病(やまい)は免罪符にならない
件の女性は実際に精神的な疾患をお持ちだったようですね。
何人かの方が書いておられた上、当の御本人も自らブログで明かされている。
私も迂闊でした。事が事だけに「単なるヒステリー」や「被害妄想」として片付けようもない。
非常に神経を遣わねばならない。正直申し上げるに厄介だ。
ただ、病名に見覚えがあり、もしや今回の事に繋がる何かが見出せるやもしれぬと思い、旧友・知己など辿りましたら以下の様な話を聞くに至った。
何か大きな衝撃やダメージ等がトラウマとなり、その後ストレスを伴った際に起こる症状を「境界性パーソナル障害」というが、症状には個人差がある。
患者の多くが「感情や行動を制御する事が困難で、対人関係や社会活動において問題や混乱を生じやすい性格傾向」にある。
患者によっては記憶喪失や人格交代、多重人格、凶暴性が見られたり、日常の仕事や生活に支障を生ずるような場合もある。広義の「不安障害」の一つ。
「心を開き素直になる事の出来る相手」や「自身を認め褒めてくれる相手」など、信頼できる人が周囲にどれだけ存在するかが症状の改善のカギを握ることもある。
心から愛し愛される絶対的な存在との恋愛や結婚は克服への道の一つである。
その患者を心底 愛し慈しむ、温かくやわらかな存在、
それこそが病気を完治させることが出来るもの と言えるかもしれない。
●る●様は以前、傾奇者さんに「他の人は単なるコメンテーターにすぎないけど、傾奇者さんの言葉は時に心に沁みる」と仰った。それ故「抱えている病気のせいで危害を加えそうになったら止めてほしい」と頼んだ。
これは傾奇者さんが実際●る●様から言われた事実。
しかしこれを含めたメッセージを今日、●る●様のブログのコメント欄に傾奇者さんが書き込んだ事を歓迎できなかったのか、
●る●様は丸ごと削除した。これも事実。
●る●様が無意識にか意識的にか持病克服の手立ての一つに傾奇者さんを頼った という事が仮説として成り立つならば、それが叶わぬ事の落胆、傾奇者さんが愛している「自分ではない誰か(彼女)の存在」へのストレスがあったろうことは想像に難くない。
●る●様は、5月22日付の傾奇者さんのブログ コメント欄に
「私は、人として歌舞伎さんを愛していました。」と書いた、これは事実。
「それを色恋にされるのは、如何かと思います。」とも書いておられる。これも事実。
続けて
「さらに、すでに少なくともお一人。愛しい彼女がいらっしゃる。
そこに、よそ見をするななど、ちゃちを入れる気はまったくありません。
ご自分の人生を華やかに生きるのは良いことかと思いますから。」としている。これも事実。
これは自身のブログに婚外恋愛に関する嫌悪や軽蔑を綴っておられる事と矛盾する。
事実を繋げて浮き彫りになるのは傾奇者さんへの執着、叶わぬ想いの裏返し?
だからといって傾奇者さんを陥れるような事が許される訳もない。謝るべきである。
複雑な家族関係や家庭の事情などを鑑みても、それが傲慢さを許す理由には成り得ない。
「ペタ切れになるほどワタシのブログには読者がいるの」
「注目されたい認められたい褒められたい」
「ワタシって凄い?凄いでしょ?」
「愛して!ワタシの事を愛して!」
ブログを読むほどに●る●様の叫びが聞こえて来るようで居た堪れなくなる。
●る●様が心から愛し愛される誰かと幸せになられる事を衷心より祈る次第である。
傾奇者さんへの謝罪など絶対に出来ないであろう頑なな心であるうちは、
それは絶望的であると言わざるを得ないのが残念だが。
1 ■自分の事例の 為に本当にありがとうございます。
自分も かなり 感情的になり 事を 大きくし過ぎたかと 反省もしております。
しかし 譲れないものは 譲れない。 不器用な頑固者です。