湧いては消える/消えずにとどまる③
***
原宿「福よし」。清潔な店内、常連客中心の客層、張りのある声で楽しそうに仕事をする礼儀正しい店主、お洒落エリアの中心にあって周囲の喧噪もどこ吹く風の静謐(せいひつ)さを保つ店構え、全てにおいて好ましい。唐揚げ定食の唐揚げは大分名物・鳥の天ぷらに近く、しつこくなくて美味しい。友人の推薦通りの良店。
***
東山「AGOSTINI」。いつも目の前を通るので試しに行ってみた。ほんの出来心。例えるならば、職場や何らかのコミュニティーでいつも周辺をウロウロしている女子に、恋愛感情はないんだけれども、先方にもどうやら刺さってるもんだから、戯れに関係を持ってみるようなもの。いや、真に受けて誤解する人もいるから、もうこの手の例えはやめよう。
まず接客がいただけない。ボナセーラ!なんて大げさに陽気なイタリア風を押し付けてくる店も好きじゃないが、ここは必要以上に薄暗く辛気くさい。例えば何かを質問したとする。スプマンテのグラスって泡がよく出るように内側に切れ目が入ってるんですよねえ、とか。すると、もちろん比喩的な意味でだが、仏頂面で木で鼻をくくったような回答が返ってくる。特にイタリアンは同伴者との融和を主たる目的とする客が多いだろうに、これでは逆効果。店の冷たい対応に「ありえないよねー」なんて一体感は生まれるが、中国共産党じゃないんだから、外に敵を作ることで一致団結するよりはもっと前向きに盛り上がりたいもの。
次、料理。不味くはない。不味くはないが、気になったのはオリーブオイル。きっとこだわっているんだろう、相当質の良いものだと思うが、それだけに香りが強すぎて、料理の風味が損なわれる。画竜点睛とばかりに最後にピピッと振りかける、それは本場さながらのやり方なのかもしれないが、食べていても味や香りがどうにも出しゃばってきて、自分の好みには合わない。
店の設計上、シェフは厨房にこもりっきり。出で立ちは真摯な職人風なのだが、客や店内の様子をうかがう様子もなく、だからこそ、接客その他にも手ぬかりが生まれるのだと思う。客と給仕とのやり取りの様子、ひと口目の客の反応は、さりげなく注視しておくべきなんじゃないだろうか。
***
霞が関「丸亀製麺」。讃岐でうどんを食い歩いたことのある身にとっては、わずかに何かが本場と違う、それは水なのか空気なのかわからないのだけれども。それでもこの店が、ここ日本の中枢に突如できた商業施設内で、現地そのままの味を再現しようと真面目に取り組んでいる様子は伝わってくる。味は讃岐の平均レベルであり、従って、東京にあるうどん屋としては十分以上に美味しい。
*)その後、この店は上場企業のチェーン店だと発覚。こんなもんだ、自分の舌なんて。
***
中目黒「聖林館」。前にも書いたがサボイを創ったピザ職人の店。ハイテクを駆使した竈(かまど)は、さながら鉄鋼所の高炉。いまや東京中に広まった土とタイルで出来た竈(かまど)も、そもそもはサボイが先駆けの一つであったわけだが、それを超えて更に高みに昇ろうとの店主の気概の表れか。単なる思い込みの効果なのかもしれないが、他店より10-15%程度は美味しく感じる。
***
密かに身近な友人にパワープッシュしている麻布十番の某店。良い点はたくさんあるが、一つは「この一品が美味かった」と誰もが思うようなキラーディッシュの存在。訪れたことのある人同士が「○○が美味かった」「そうだよね」と連帯感や共感を持つことができる。つまり映画話はつまらない、という自分の主張とも通じるのだけれども、「あの店旨かった」「ふーん」では終わらない要素が、店構えや立地の他にもちゃんとあるということ。
これは例えば、今や店舗を増やして手垢のついてきたAWキッチンなどにも言えることで、同店のバーニャカウダ(野菜をにんにくやアンチョビでできた暖かいペーストに漬けて食べる料理)は確かに美味しく、かつ同料理の存在を知らない人にとっては新鮮であったから、「あーAWキッチンね。あそこのバーニャカウダが美味しかった」などと語り草になって、早耳・先駆けをもって任ずる人達よりも、ずっとずっと絶対数の多い、二番手レストランホッパーズの層に広がっていく。だからこそ新たにできた箱に誘致されたりする。
とはいえ、AWキッチンについて言えば、自分の知人でも群を抜いたグルメの人間が、「あの店はバーニャ~とペンネアラビアータをバカの一つ覚えのように勧めてくるのが鬱陶しい/客を侮っている」と批判し、それは確かに的を射ていると思うが、一見(いちげん)客にとにかくわかりやすいキャッチーなものを提供することが、マスに刺さる秘訣であることは否めない。
***
おまけ。五反田が熱くなりそうな予感。既に元・石頭楼(俺は認めないね、分裂後の新しい呼び名は)、ミート矢澤、フランクリンアベニューなどがあるが、高輪、三つの山、白金などの山の手に囲まれた、若干品のない街、利便性高く賃料その他も多分割安、という特徴を鑑みればもっとおもしろい店がたくさん埋もれている/出てくるとしても全く不思議ではない。大崎や品川みたいな没個性の開発をせずに野卑な方向に伸びていけばいいじゃないか。
原宿「福よし」。清潔な店内、常連客中心の客層、張りのある声で楽しそうに仕事をする礼儀正しい店主、お洒落エリアの中心にあって周囲の喧噪もどこ吹く風の静謐(せいひつ)さを保つ店構え、全てにおいて好ましい。唐揚げ定食の唐揚げは大分名物・鳥の天ぷらに近く、しつこくなくて美味しい。友人の推薦通りの良店。
***
東山「AGOSTINI」。いつも目の前を通るので試しに行ってみた。ほんの出来心。例えるならば、職場や何らかのコミュニティーでいつも周辺をウロウロしている女子に、恋愛感情はないんだけれども、先方にもどうやら刺さってるもんだから、戯れに関係を持ってみるようなもの。いや、真に受けて誤解する人もいるから、もうこの手の例えはやめよう。
まず接客がいただけない。ボナセーラ!なんて大げさに陽気なイタリア風を押し付けてくる店も好きじゃないが、ここは必要以上に薄暗く辛気くさい。例えば何かを質問したとする。スプマンテのグラスって泡がよく出るように内側に切れ目が入ってるんですよねえ、とか。すると、もちろん比喩的な意味でだが、仏頂面で木で鼻をくくったような回答が返ってくる。特にイタリアンは同伴者との融和を主たる目的とする客が多いだろうに、これでは逆効果。店の冷たい対応に「ありえないよねー」なんて一体感は生まれるが、中国共産党じゃないんだから、外に敵を作ることで一致団結するよりはもっと前向きに盛り上がりたいもの。
次、料理。不味くはない。不味くはないが、気になったのはオリーブオイル。きっとこだわっているんだろう、相当質の良いものだと思うが、それだけに香りが強すぎて、料理の風味が損なわれる。画竜点睛とばかりに最後にピピッと振りかける、それは本場さながらのやり方なのかもしれないが、食べていても味や香りがどうにも出しゃばってきて、自分の好みには合わない。
店の設計上、シェフは厨房にこもりっきり。出で立ちは真摯な職人風なのだが、客や店内の様子をうかがう様子もなく、だからこそ、接客その他にも手ぬかりが生まれるのだと思う。客と給仕とのやり取りの様子、ひと口目の客の反応は、さりげなく注視しておくべきなんじゃないだろうか。
***
霞が関「丸亀製麺」。讃岐でうどんを食い歩いたことのある身にとっては、わずかに何かが本場と違う、それは水なのか空気なのかわからないのだけれども。それでもこの店が、ここ日本の中枢に突如できた商業施設内で、現地そのままの味を再現しようと真面目に取り組んでいる様子は伝わってくる。味は讃岐の平均レベルであり、従って、東京にあるうどん屋としては十分以上に美味しい。
*)その後、この店は上場企業のチェーン店だと発覚。こんなもんだ、自分の舌なんて。
***
中目黒「聖林館」。前にも書いたがサボイを創ったピザ職人の店。ハイテクを駆使した竈(かまど)は、さながら鉄鋼所の高炉。いまや東京中に広まった土とタイルで出来た竈(かまど)も、そもそもはサボイが先駆けの一つであったわけだが、それを超えて更に高みに昇ろうとの店主の気概の表れか。単なる思い込みの効果なのかもしれないが、他店より10-15%程度は美味しく感じる。
***
密かに身近な友人にパワープッシュしている麻布十番の某店。良い点はたくさんあるが、一つは「この一品が美味かった」と誰もが思うようなキラーディッシュの存在。訪れたことのある人同士が「○○が美味かった」「そうだよね」と連帯感や共感を持つことができる。つまり映画話はつまらない、という自分の主張とも通じるのだけれども、「あの店旨かった」「ふーん」では終わらない要素が、店構えや立地の他にもちゃんとあるということ。
これは例えば、今や店舗を増やして手垢のついてきたAWキッチンなどにも言えることで、同店のバーニャカウダ(野菜をにんにくやアンチョビでできた暖かいペーストに漬けて食べる料理)は確かに美味しく、かつ同料理の存在を知らない人にとっては新鮮であったから、「あーAWキッチンね。あそこのバーニャカウダが美味しかった」などと語り草になって、早耳・先駆けをもって任ずる人達よりも、ずっとずっと絶対数の多い、二番手レストランホッパーズの層に広がっていく。だからこそ新たにできた箱に誘致されたりする。
とはいえ、AWキッチンについて言えば、自分の知人でも群を抜いたグルメの人間が、「あの店はバーニャ~とペンネアラビアータをバカの一つ覚えのように勧めてくるのが鬱陶しい/客を侮っている」と批判し、それは確かに的を射ていると思うが、一見(いちげん)客にとにかくわかりやすいキャッチーなものを提供することが、マスに刺さる秘訣であることは否めない。
***
おまけ。五反田が熱くなりそうな予感。既に元・石頭楼(俺は認めないね、分裂後の新しい呼び名は)、ミート矢澤、フランクリンアベニューなどがあるが、高輪、三つの山、白金などの山の手に囲まれた、若干品のない街、利便性高く賃料その他も多分割安、という特徴を鑑みればもっとおもしろい店がたくさん埋もれている/出てくるとしても全く不思議ではない。大崎や品川みたいな没個性の開発をせずに野卑な方向に伸びていけばいいじゃないか。