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ガメ・オベールの日本語練習帳iii-大庭亀夫の生活と意見 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-01-17

gameover10012010-01-17

ソウルフード

15:36 | ソウルフード - ガメ・オベールの日本語練習帳iii-大庭亀夫の生活と意見 を含むブックマーク はてなブックマーク - ソウルフード - ガメ・オベールの日本語練習帳iii-大庭亀夫の生活と意見 ソウルフード - ガメ・オベールの日本語練習帳iii-大庭亀夫の生活と意見 のブックマークコメント

わっしが大好きなミラ・ネアの「The Namesake」は、ニューヨークに越してきた若いインド人の妻が、生まれて初めて出会う寒さにかじかみながら、コーンフレークとミルクの朝食を食べるところから始まります。しばらく考えてから若妻はスーパーから買ってきてあったチリパウダーをコーンフレークにかける。

わっしはもちろん他の観客と一緒に笑いますが、一方では(コンジョナシなので)、もう涙でスクリーンがにじんでしまう。


今度、移民のおっちゃんやおばちゃんに会ったときは、もっとやさしくすんべな、と自分に言い聞かせる。


気が強い半分イタリア人な嫁のportulacaさんがイタリア杏で梅干しをつくっておる。

http://d.hatena.ne.jp/portulaca198/20090711

やっぱり、わっしはこーゆーの見ると、頼まれもせんのに涙ぐむのだよね。

アホですのい。

20代の後半にして涙腺機能がこわけたようだ。

パースナップを使ってきんぴらごぼうをつくる日本人の女助教授や、スパゲッティを使って饂飩をつくるショーシャマンは、まるで全身で母親の乳房に吸い付く赤ん坊のようである(例がなまなましくてすまん)


人間は遠い土地に移動して、そこに住むと、生まれた土地の食べ物を飢えたひとのように求めるもののよーだ。


わっしが日本にいたとき、よく一緒に遊んだ、世田谷ののベッドルームが7つある社宅に住んで、「こんな狭い家に押し込められて」とゆっていつも怒っていたJ夫人はアイルランド系の合衆国人で合衆国の大きな会社の役員夫人であった

。たいへんプライドが高いひとです。

ところが、このひとがわっしが合衆国に行くときには、ガメ頼むから「あれ」買ってきて、といつも頼むのでした。

「あれ」というのはリコリシュやねん(^^)

リコリシュは、ひとによって、好きなのと嫌いなのがはっきりしていて、それが手にはいるかどうかが死活問題のひとびともいるのね。

だから「ガイジン」同士でよく助け合ったものであった。


ロンドンは言うまでもないが、オークランドでもたとえば「ドサプラザ」というようなところにゆくと、是も非もなく故郷の匂いを満喫したくなった南インド人たちが群がっておる。


わしはゆかんからわからんが、オークランドのくそまずい(義理叔父証言)日本料理

は、いつも日本人であふれているそーです。


うまくゆえないが、わしは、そーゆー話を聞くと、なんだか泣くのい。

なぜだろうか?

前にも記事に書いたが、バターンの死の行進の監視の役割についていて、なけなしのきんぴらごぼうを捕虜に勧めたせいで(捕虜虐待の罪状で)処刑された日本の若い兵隊や、

黒パンを焼いた「マツヤマさん」たちのことを考える。


わっしにとっては、日本にいたときは「ローストフード」だろうか。

それよりも、なんちゅうか、「ほんとうの西洋料理」に飢えていたような気もします。

パンもスープも、肉ですら味が違うので、わっしはなんとなく「なにからなにまでインチキな世界」にでもいるような錯覚に陥ることがあった。

いやいや、ウソだな、それは、ラムとリコリシュとパン。

このみっつが、ときどき夢に見るくらい欲しくなった。


みっつとも日本にもあるじゃん、というひとは、まことに何も判らんひとである。


全然うまくゆえないが移民のひとびとは、もともとが「勇気」のひとびとであって、明るさもあれば、どんなことが起こったって楽天的に考えて解決してゆこうとする特質があると思うが、それでも食べ物だけはなかなか移民しきれないようです。

わっしはサンドリンガムの街にあるインドスーパーマーケットに出かけて、ブルカの女のひとたちが、スパイスの棚の前に立って、何十分も過ごしているのを正視できないもののよーです。

笑いたければ笑えばよい。

どうか、がんばって、と思って、それだけで胸がいっぱいになる。

インド人たちはドケチなのでセキュリティを雇わないが、もしセキュリティを雇っていたら、ブルカの女のひとたちをみつめて涙ぐんでいるわしなどは、いきなり警察に通報されそうです。

シークの家族を空港で止めて侮辱した、というニュージーランドパスポートコントロールなら、もう戻らんでいいから、とわしに言うかもしれん。



魂、をいっぱい買いこんで、うんと、この国で幸せになってくれればよいが、と思います。

pottenpotten 2010/01/17 10:47 ガメさん、おはようございます。
kobeniさんのお名前をここで見かけるとは思っていなかったので、ちょっと驚いていました。
以前増田で書いた記事(http://anond.hatelabo.jp/20091102194623)にkobeniさんがブクマコメントを付けてくださっていたので、見覚えがあるなあ……と思っていたのです。

息苦しいのも自分一人では変えようがないのも相変わらずですが、今半分のところ半分は、社会の観察をするために仕事をしています。どこかに取っ掛かりが見えないかな、と考え続けています。
じーっと見続ける内に、男性会社員特有の口には出さない取引のさじ加減、なんかもぼんやりわかってきました。反対に女性には、あまりそういうさじ加減のようなものが伝えられない現状も。
同じ職場にいて、同じ仕事をして、でも伝えられるものが違う、というのに悔しい思いもありますが、よく見ていればある程度は気付けないこともないとわかってきました。
根本的に書きたいことは上の記事で書ききってしまっているので、ここでは特に書きません。

働く女性という問題に限らずジェンダーの問題は実に根深いのですが(性犯罪の自衛論に腹を立てて、以前やはり増田でこんなことも書きました。http://anond.hatelabo.jp/20090420215113)、一気に変わる、というのは起こらないと実感するには、1年程度の社会人経験で充分でした。


私が働いている理由のひとつには『会社組織の観察のため』というものがあります。そして入社前から既に、『女性である自分は男性社員に比べてどの程度必要とされているのだろうか』という疑問を持っていました。
一番辛い時期は誰かが発した言葉の裏を考えるまでに疑心暗鬼にもなりましたが、今はそうではありません。男性は女性の処遇について、全く作為なく『そういうものである』としか思っていないのだから、最初から疑っても無駄だったのです。裏なんてなかったのですから。


>わっしの国では女びととゆえど「仲間」なので、「なにを抜かす」とゆっていても、それで噛み合った議論が出来る。
>日本語でそれが出来ないのは日本の女のひとびとの立場が低すぎて、議論にもならないからです。
私はガメさんが使う、仲間という表現がとても羨ましいと思うのです。そこには男とか女とか人種とかではなく、「だって皆人間じゃないか」というフラットな視線が感じられるからです。
極端な話、結婚ですら女性の立場は『契約ではなく愛で繋がった年季奉公』と変わらないことが多いと思っています。特に専業主婦という立場は、大変不安定です。このままでは無理だ、と気付いた頃には『ご主人様』の元から逃げ出すことすら困難なのですから……。


>この自分が持っている気持ちはなんであろーと思って見つめてみると、これはキョーミとしか言いようがないものであって、そもそも自国の女びとのことを考えているときとは違うものであるよーだ。
けれど、ガメさんは理不尽なことに怒ることができ、kobeniさんのコメントにショックを受けることもできます。そういう気持ちは、例えその根源が興味であろうととても大事なものだと思うのです。


>日本の女のひとびとの地位は奴隷そのものであって、他のものでは全然ない。
こういうことを言うと、日本では恐らく(この言い方はお上代行のようで嫌なのですが)『縛られても鎖で繋がれてもいないのに何が奴隷か』と言われてしまうのでしょう。強制労働させられるだけが、奴隷の定義ではないのに。精神的にや構造的に奴隷、というのが理解されなさそうです。
多分ガメさんのブログにもたくさん居るのでしょうが、『耳と耳の間に理解不能なものが詰まっている人』がどうしても多すぎる。一人二人叩き潰したとしても、今も何処かで子供達がそういう教育をされてしまっているのでしょう。


>わしが日本の女に生まれたら、万策をつくして他の国に逃げる。
私は逃げるかどうかはまだわかりませんが、とりあえず日本以外の場所を見たい、と思っているので結果的にそうなるのかも知れません。
せっかく人間として生まれたのだから、死ぬまでに色々なものを見て、考えていきたいのです。


個人的に今の日本の少子化は女性達の静かな反抗、のようなものだと思っています。早く何とかしないと、国が潰れるよ、と。
ですが、生みたかった、子供が欲しかった、という人達がそういう反抗の礎になっていく社会は、本当に堪らないです。
しかしそれでも社会の動きというものが鈍重で見当違いの方向に向かったりするので、いつの日か取り返しが付かない程になってしまうのかも知れません。


他人様のブログなのに、何かを書き始めるとどうも長文になってしまうのは悪い癖です。すみません。


それではガメさん風邪はどうですか? お大事に。
もしまだ具合が悪いのでしたら、よく眠ればきっと明日には楽になりますよ。よい夢を。

goukgouk 2010/01/17 18:59 ガメさん

毎度ながら、最初に先ず他の記事の感想。

私が幼いころに読んだどの戦争の本でも
若い軍人の死に際に叫ぶのは「かーちゃん」だった。

実際にはとーちゃんや恋人の名だったかもしれないが、

お国のために というのはどこまでいっても建て前だった、
ということを表現したかったのだろうなと思う。


ここからが本題。

歴史に大変疎い私の言うことなので、
すごく浅い知識の中での話、ということを
前提に聞いて欲しいのだけど、

日本に限らず、大昔は女の地位が低かったが
太古の日本においては、むしろ女の地位が高かった。

女の王(シャーマンである卑弥呼)だとか
天照大御神(日本を守る女の神)だとかが
国づくりの中心に出てくるぐらいだからね。

それが覆されるのは、平安時代。

そのことに興味を持って、平安時代の文学を研究している
女性の記事が、大変興味深い。

http://www.athome-academy.jp/archive/history/0000001033_01.html

それで気になって調べたのだけど、日本の宗教に
「穢れ=女」の概念が持ち込まれたのも、やっぱり平安時代だった。

http://wiki.blhrri.org/jiten/index.php?%A1%F6%E3%D2%A4%EC

元々あった日本の宗教では「穢れ=死」だったのだけど
平安時代になって、突如「穢れ=女」が追加されたということらしい。



文学にも歴史にも疎い私ではあるが

最初のURLにある人間学部教授の女の人のように
文学から差別を考えるってのはきっと正しいんだと思う。

私が何となく感じていることを、ずばりと言い当てる人は
例に洩れず、誰もが文学に深く親しんでいる人ばかりだから。

#勿論、ガメさんもその中の一人であるよ。

で、私のような乱暴者の言葉では
心に言葉を届けられんのはわかりきっているのでw

文学はとても大事だと思ってます。



以下は、私見ですが。

ブコメにも勘違いしている人を見かけるのだけど、

性差別を無くすということは、
性差を否定することとは違うと思う。

性差を知り、理解し、認め、受け止めた上で
#受け入れるじゃなくて、受け止める←ここが大事

初めて正しく性差別を無くすことや、
トランスジェンダーなどの、枠の外にいる人を
認めることが出来ると思ってます。



奴隷であるうちは、どんだけものを考えても
奴隷の意見でしかない、というジレンマを
どこかで感じることが出来たら良いんだと思う。

kamayankamayan 2010/01/17 19:20 日本人で多少マトモな考えをしていたら「日本から逃げたい」と一度は思うのですが、日本の語学教育能力はたいへん貧弱で公立学校だけの学習ではふつう英語習得に挫折するのと、それ以上にあらゆる機会を通じて「諦める」ことを学ばされるので、日本社会をより良く改善させようとかそういう意思を持ち続けるのがたいへん困難なのだと思われます。民主主義国家の形式は一応あるけれど、実際には情報はあらゆるところで分断されていて民主主義の土台がまだないし、民主主義と「責任中枢の不在(無責任)」の区別がついている日本人のほうが少数派だし。

kobeni_08kobeni_08 2010/01/17 23:53 >ガメさん

こんばんは。

私宛に返事を書いて下さってたこと、存じあげませんでした。
読みたかったなあ!というのが正直なところです。


ガメさんから見ると、日本の女性の状況は
不可解極まりないかもしれません。
でも、上でpottenさんが書かれていることが事実です。

>男性は女性の処遇について、全く作為なく『そういうものである』としか思って
>いないのだから、最初から疑っても無駄だったのです。裏なんてなかったのです
>から。

角田光代の小説に、なぜ結婚し子供をもうけるのかと聞かれたサラリーマン夫が
「そんなこと、考えたことなかった」
と言うセリフがあります。
日本の男性の多くは、自分達が女性を虐げているとは思っていません。
「男は金を稼ぐものだ。戦争に行けと言われたら行くもんだ。そういうもんだ。」
と思っている。
例えば、女性は結婚したら仕事なんかサッサと辞めたいものだと思っている。
子供を育てる事が女性の幸せだと思っている。
そんな女性を男は守るもんだと思っていて、差別しているとは思ってないんです。

そしてまた、多くの女性も、男性に虐げられているとは思っていません。
守られていると思っている。

この勘違いが、日本の女性の地位がなかなか上がらない大きな理由だと思います。

勘違いだと気がつくのは、「そういうもんだ」から外れたり、外れたいと願った人だけですから。


たぶんガメさんは、こんな日本の現状に対して、
正論を言うことの虚しさに気づかれたのかなと思います。
私も前回のエントリ(「働くママは権利ばかり主張して、義務を果たさない?」)を書いた後、同じ気持ちになりました。
正しいことを言うだけではどうにもならない位、根が深いんです。

ただし、現実を知り、是々非々の中で妥協点を見つけ、少しずつ前へ進むというようなことは、私たちのような、現場にいる人間がやればいいことです。

灯台のように、行くべき道を照らす人や、
理想や信念を思い出させてくれる人がいなければ、
「そうはいっても現実は」の「現実」に、私たちは簡単に屈してしまいます。
なんかおかしい、と思っても、とっとと諦めた方がラクだからです。

歴史的観点や、国際的観点は、
「なにが正しいのか」を考える際に、非常に大切ですよね。
とにかく、日本は遅れている。先進国とは思えないくらい。そのことを、私たちに教えてほしい。

それに私は、ここ最近のガメさんのエントリを読んで、非常に励まされてるんです。正直、子供を産んでから、「もうこの国やだ…」と思うことが格段に増えました。これ以上、男性に失望したくはないし、(自分が間違ってるのか?)という気持ちにもなりたくないです。
そういう風に、ガメさんの、ジェンダー関連のエントリを待っている人はたくさんいると思いますよ。これからも楽しみにしています。

ちなみに私が、海外へ出ないのは、日本語が好きだからです。
それに日本人って、一人ひとりと話してみると、みんな誠実で優しいですよ。


>pottenさん

あなたが書いた増田は、非常によく覚えています。
あなたはきっと若いのに、書かれていることは現状をとても適確に捉えていたから、下の世代がそんな風に思ってるなんて…と、けっこうショックでした。

あなたはきっと今、なにか自分が思うようにいかないことがあると、
「これは、自分が女だからかな」と、度々思ってしまっているのではないか。
その気持ちはすごくよく分かります。しかも、事実そうであることも混じっているかもしれない。

でも正直、私は、子供を産むまで、そんな気持ちになったことはほとんど無かったです。それだけ、フェアな会社で働いていました。
「私が女だからいけないんだ」という気持ちは、自分ではどうすることもできないこと(=女であること) を原因にすることになり、非常に辛いと思います。なので、あまりそう考えない方がいいです。明らかに女性差別だと思われることがあったら、そこから逃げることです。女性をフェアに扱う会社は、探せばあります。そこは、驚くほど風通しがいいはずですから。

そして、一生、自分の力で稼ぐということもまた、できない世の中ではありません。そこは男女関係なく、プロを目指してほしいと思います。


結婚・出産をしてから、本当の戦いが始まったという女性は多いはずです。
子供はホントに素晴らしいです。オンナに、ものすごい力を与えてくれます。
だからね、あまり大きなものを、一人で抱え込みすぎないで。
「こんな世の中だから、子供なんか産んでも…」みたいな、漠然とした荷物を背負わないでほしい。
現実の中でちょっとずつ、ちょっとずつ前に進むような努力を
「まずは自分のために」やっていこう、お互い。
私はブログ(kobeniの日記)の方で、そんなことをレポートしていけたらと思います。よかったら、遊びにきてください。twitterもやってるし。
増田見たときから、気になっていたんだよね。




ガメさん…人ん家のブログに長々と、すいませんでした。
これからもエントリ楽しみにしてます。


kobeni

ぽんぴいぽんぴい 2010/01/18 00:43 『教訓1 日本人に生まれたら兵士になって必死こいて戦って死んでも誰もきみの名前をおぼえていてはくれぬ。だから、戦場へ行くのはただの無駄死にである』

自分の記憶さえままならぬのに、他人の記憶に残ろうとしてどうする?
無心に働けば良い。
神も仏も他人も無くとも、君にだって無心くらいあるだろう。
無とは、何も無い、という自由だ。

kochasaengkochasaeng 2010/01/18 09:48 日本食なんて食べなくたって平気だよ。3ヶ月くらいなら。
さいしょは、その国に馴染もうとして日本食を極力避けるんだが、その我慢はカツ丼の飾りに載ってるグリーンピースぐらいの意味しかないことに気が付くわけです。
で、日本食の店に行くと、日本人だらけだ。
なんで、そういう場所がイヤなんだろう。おれだってニホンジンなのにね。
タイ人のための日本食レストランに行くと、日本食そっくりの何かがタダみたいに安い。新鮮な砂糖やアジノモトを惜しげもなく投入してあって、キムチも付いてオトクです。
さすがに刺身をナムプラーで食わせるような店は、今ではもうないけどね。
ウチのヨメが「こんなの日本料理ではない」と笑うけど、周りはみんなタイ人なのがナイス。店の中で日本人はおれひとりだ。なんか自分が「バッタもんの日本人」みたいな気分になれます。

だから料理は自分で作る。つまんないものが好き。キュウリの漬け物とか。白菜の漬け物。味噌汁。あ。空芯菜の味噌汁って美味しいんだよ。
大根と人参で膾(なます)を作ったら、「これヴェトナム料理だね」って言われちゃった。そういえばそっくりなのがあったなあ。
中国人の店で買った高菜を塩抜きして細かく刻んで、シラスと胡麻を合わせて炒めて醤油とごま油をぐるっと回す。これもいい。
茄子の味噌炒めなんかもいいね。育ちがいいから、ビンボ臭い食い物が好き。

軍港のサタヒップにヨメの親戚がいるので遊びに行く。道中、パタヤの近くの道沿いに並ぶ露店で塩田の塩を買うのを忘れない。この天然塩は旨いです。1kgで50円くらいかな。
港で活きの良いイカが手に入ったら、これはもう塩辛です。
塩辛を作るのは簡単ですね。イカのワタに味噌を混ぜて、皮を剥いて水気を拭いたイカを料理バサミで切り込んで混ぜ合わせるだけ。吸盤の硬いやつ(歯みたいなの)はゴシゴシと洗い流しましょう。柚子代わりの香り付けにマナオ(タイのライム)の皮を刻んでパラパラと入れるのが好き。国籍不明の塩辛になっちゃうけど、うまい。
市販の塩辛は不味いんだもん。やたらしょっぱいし、何が入ってるんだか知らないけど腐らない。たくさん食べるとウイルスに強い体質になれるかも。

そうか。ソウルフードなんだな。「ここではない、どこか」を目指していたら灼熱の微笑国にたどり着いてしまったけれど、身も心もニホンジンを引きずっているのね。
だからときどき、おれのココロとカラダは日本食を欲しがるのか。
さいわいヨメと息子が日本食を好きなので、隠れ食いしなくてもオーケー。
息子がもう少し大きくなったら、包丁の研ぎかたと使いかたを教えるのだ。

SIVAPRODSIVAPROD 2010/01/18 16:27 初めまして。ガメさんのエントリはそれぞれ激しく首肯したりあるいはなんだか違うんじゃね?と感じたりいろいろ刺激を受けております。

異国にてソウルフードに焦がれる話で思い出したのが、ラッシャー木村がアメリカで修行中に糠漬けに焦がれるあまりパンとビールで糠床を作りまがい糠漬けを作って食べていた、という話です。大男がホテルの部屋で糠床の出来上がるのを待ち焦がれてる姿を想像するとなんだかとても切ないです。

picolin_1picolin_1 2010/01/19 00:27 >パースナップを使ってきんぴらごぼうをつくる

やりますよう。こっちの硬くて味の濃いキャベツを千切りにしてベーコン載せてお好み焼き作ったりとか。日本食に執着はないと思っていましたが、何かと母に頼んで食材を送ってもらったりしてますね、なんだかんだ言って。

最近、友人に「あふたぬーんてぃーに興味がある」とか言われることが多いのですが、調べれば調べるほど「スコンは家で焼いて、お茶入れて食べるのが一番」という気分になってきました。これもまたソウルフードなのかしら。

bystanderbystander 2010/01/19 06:02 ガメさんは優しいな。虫けらのように死んだ敵国の日本軍兵士のことを思ってくれて。私は感謝する。

私が司馬利用太郎の小説を読まなかった理由の1つには、司馬遼太郎の小説に、英雄伝的小説な臭いがしたからです。私は地べたにはいずる回る虫けらの視点の小説が好きだ。自分が虫けらであるからだ。歴史家の中村政則は、司馬史観を批判して、鳥瞰のようにビルの屋上から見下ろすような視点であり、フィリッピンで捕虜となった大岡昇平の歴史小説と比較して、大岡昇平の小説には虫けらの視点があると言っている。大岡昇平は虫けらのように死んだ兵隊の死を考えていく内に、本当に一番被害を受けたのは戦場のフィリッピン人ではないかと考えるようになったという。

太平洋戦争は日中戦争により始まった。日中戦争が起こった要因の1つには、日本人に中国人に対する徹底的な蔑視があったと私は思う。「支那などは一撃で倒れる」と豪語した日本軍人がいた。この英雄的な思い上がりが結局日本を破滅に導いたのではないだろうか。今は、もみ手をして中国にするよる日本は、中国を蔑視した昔とは大きな違いのように見える。しかし、結局、傲慢さと卑屈さは紙の裏表にすぎない。

bystanderbystander 2010/01/22 22:32 ガメさん

「最良の人達は帰って来なかった。」戦死者を悼む世界共通の言葉であると思います。

帰って来なかった最良の人の遺書を引用します。

上原良司 「明日は自由主義者が一人この世から去って行きます」1945年5月10日 特攻出撃の前夜に記す。

(引用始まり)
「私は明確にいえば自由主義に憧れていました。日本が真に永久に続くためには自由主義が必要であると思ったからです。これは馬鹿な事に聞こえるかも知れません。それは現在日本が全体主義的な気分に包まれているからです。しかし、真に大きな眼を開き、人間の本性を考えた時、自由主義こそ合理的なる主義だと思います。戦争において勝敗をえんとすれば、その国の主義を見れば事前において判明すると思います。人間の本性に合った自然な主義を持った国の勝戦(かちいくさ)は火を見るより明らかであると思います。日本を昔日の大英帝国の如くせんとする、私の理想は空しく敗れました。この上は、ただ日本の自由、独立のため、喜んで命を捧げます」。

「権力主義、全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも、必ずや最後には敗れる事は明白な事実です。我々はその真理を、今次世界大戦の枢軸国家において見る事が出来ると思います。ファシズムのイタリアは如何、ナチズムのドイツもまた、既に敗れ、今や権力主義国家は、土台石の壊れた建造物のごとく、次から次へと滅亡しつつあります。真理の普遍さは今、現実によって証明されつつ、過去において歴史が示したごとく、未来永久に自由の偉大さを証明して行くと思われます」。

「空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人がいった事は確かです。操縦桿を採る器械、人格もなく感情もなくもちろん理性もなく、ただ敵の航空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬのです。理性をもって考えたなら実に考えられぬ事でも強いて考えうれば、彼らがいうごとく自殺者とでもいいましょうか。精神の国、日本においてのみ見られる事だと思います。一器械である吾人は何も云う権利もありませんが、ただ、願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を、国民の方々にお願いするのみです。こんな精神状態で征ったならもちろん、死んでも何にもならないかも知れません。故に最初に述べたごとく、特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思っている次第です」。

「飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、いったん下りればやはり人間ですから、そこには感情もあり、熱情も動きます。愛する恋人に死なれた時、自分も一緒に精神的には死んでおりました。天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと、死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。明日は出撃です。過激にわたり、もちろん発表すべき事ではありませんでしたが、偽わらぬ心境は以上述べたごとくです。何も系統だてず、思ったままを雑然と述べた事を許して下さい。明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。云いたい事を云いたいだけ云いました。無礼を御許し下さい。ではこの辺で。出撃の前夜記す」。
(引用終わり)

上原良司、陸軍特別攻撃隊第56振武隊員として沖縄嘉手納湾上の米海軍機動部隊に突入戦死、22歳。

戦争に責任がある源田実や辻政信が生き残り、戦後は国会議員にもなっている。「善が滅び、悪が栄える」というのはこのことを言うのでしょう。

司馬遷だったら、「天道是か非か」と叫ぶに違いない。

日本人ならば何というのかな、「馬鹿馬鹿しくて、精神衛生上良くない」と言うのかな。
日本人はまじめに怒るということは、大人気ないと感じているのかな。