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2010-01-24

世界に偏在するクソゲー圧力にあらがえ

ちょっと前に読んだエントリーですごく心に残っていたのが以下のエントリーです。

師匠筋の言葉だが

「世界はクソゲー力(ちから)に満ち溢れていて、

普通にゲームを作れば必ずクソゲーになる」

というものがある。

これは真実だと思う。

これはかなり入ってくる言葉です。このゲームという言葉をプラットフォームに置き換えて、「普通に作るとプラットフォームは使い物にならなくなる」でもいいのですが、この「普通に作るとだめなモノになってしまう問題」を見かけたり、出くわしている気がします。

例えば、ゲーム開発における目標である「ゲームとしての面白さ」という、定量化が難しい複合的な指標から構成されている要素は、個人として感覚として持つことはできても、チームとして達成すべき指標にすることは難しいです。この難しさに挑戦するとき、個人の感覚をベースに、批判したり、意見を述べたりすると、一気にクソゲー化が進みます。これを避けるためには、チーム内でどのような方法論を採用するか、どのようなコミュニケーション手法を採用するかということが非常に大事です。

この「定量化しにくい指標をチームでなんとか共有する方法論」というのが、最近の製品、プラットフォーム、ソフトウェア開発のメイントピックになっている気がします。ここの部分をおざなりにすると、一気に製品は陳腐化し、プラットフォームは使いものにならず、ソフトウェアは独りよがりなものになります。

この指標をどのチームが担保するかというのが現在の組織論の重要なトピックだと思うのですが、ここをトップダウンにするか、ボトムアップにするか、カリスマに頼るか、外部にアウトソーシングするかということを意識or決定しないままプロジェクトを走らせると、たぶんクソゲー圧力に屈することになるでしょう。自戒を込めてメモっておきたい言葉だと思いました。

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