菱研顧問。1938年3月7日東京に生まれる。59年外交官上級試験合格。60年一橋大学法学部卒業、外務省入省。60〜61年米国陸軍語学校でロシア語を、61〜63年ハーバード大学大学院で国際政治学、ソ連外交論を専攻。63年在モスクワ日本大使館三等書記官、65年外務省国際資料部事務官、67年経済協力局事務官。70年より在マニラ、73年より在ワシントン各大使館一等書記官。75年サイゴン陥落の直後、外務省アジア局南東アジア第一課長に就任し、ハノイに飛んで対北ベトナム外交正常化に尽力し、大使館開設。 1977年退官し、伊藤憲一事務所を設立して外交評論活動を開始するとともに、青山学院大学国際政治経済学部で80年より助教授、84年より教授として2006年まで国際政治学、戦略論を講義。ほかに、1980年より87年まで米国ジョージタウン大学戦略国際問題研究センター(CSIS)東京代表、85年より86年まで東京大学教養学部講師などを兼任。 また、1982年ワシントンにおける四極フォーラム(日米欧加の国際的政策提言組織)の創立に参画し、その日本会議(日本支部)事務局長に就任。91年四極フォーラムが解散し、その日本会議がグローバル・フォーラムとして独立したあとは、世話人事務局長、2004年より執行世話人(至現在)。さらに、1987年には財団法人日本国際フォーラムの創立に参画し、専務理事を経て、90年より理事長(至現在)。また、2004年には東アジア共同体評議会の創立に参画し、議長(至現在)。 主たる単著は『国家と戦略』(85年、中央公論社)、『新・戦争論』(07年、新潮社)、『大国と戦略』(88年、文芸春秋)、『「二つの衝撃」と日本』(91年、PHP研究所)、『地平線を超えて』(93年、三田出版会)など。 |
菱研顧問。英国エジンバラ大学特任客員教授、元参議院議員。元外務省参与、NHK教育テレビ講師を経て、東京国際大学商学部教授をつとめた。この間、“同時通訳の神様”としてさまざまな外交交渉の重要舞台に登場。日本テレビのニュースキャスターもつとめるなど、マルチ人間ぶりをいかんなく発揮。国際的な人脈の厚さは当代随一といわれている。著書に『異文化に橋を架ける』『國弘正雄自選集(全6巻)』『私家版和英』、訳書に『狂ったサル』『ライシャワーの日本史』など70余冊に及ぶ。 |
菱研顧問。拓殖大学在学中より中川一郎氏の秘書を務め、1983年衆議院議員選挙で初当選。第二次橋本内閣で国務大臣北海道・沖縄開発庁長官、小渕内閣で内閣官房副長官などを歴任する。2005年8月、新党大地を結成し、代表に就任。同年9月の衆議院議員選挙で返り咲きを果たす。現在、国策捜査による不当逮捕を受けた自身の経験から、取り調べの全面可視化の実現、えん罪の撲滅を訴える。また、恵まれない地域や弱い立場にある人の声なき声に耳を傾け、北方領土問題、アイヌ民族問題など、幅広い分野に精力的に取り組む。『汚名 国家に人生を奪われた男の告白』『闇権力の執行人』など、著書多数。 |
菱研顧問。元衆議院議員。天理大学専任講師、奈良県立短期大学助教授、ノースウェスタン大学客員教授、ヴァンダービルト大学客員教授、明治大学法学部教授を経て、衆議院議員に。経済企画政務次官、文教委員会理事、大蔵委員、衆議院決算行政監視員などを歴任。現在、東京農業大学教授、帝京大学客員教授、拓殖大学客員教授、日本脳卒中学会会員。経済人類学者・評論家として、硬軟両領域で活躍。著書も『経済人類学』『パンツをはいたサル』『脳梗塞になったらあなたはどうする』など多数。 |
菱研顧問。衆議院議員、当選3回。婦人参政権が成立後、初の選挙に当選した。=現職(社)日本ラテンアメリカ婦人協会名誉会長、国連婦人開発基金日本国内委員会地域等委員会ユニフェムさくら名誉委員長、NPO育桜会会長、(社)アジア福祉教育財団評議員、自民党各種女性団体連合会会長、能楽喜多流十四世六平太記念財団理事長、日中平和友好連絡会会長、文化団体竹光会会長など。*勲三等宝冠章、ブルガリア及びホンジュラス・コロンビア等ラテンアメリカ各国より勲章、ペルー・ガテマラより平和功労賞など賞多数。 |
菱研顧問。中国浙江大学日本文化研究所客員教授。慶応大学に学ぶ。後に米国教育法人「日米経営科学研究所(ハワイ)」で国際ビジネス・コースを修め、東京の中堅印刷資材輸出入商社で貿易部長として欧米でのビジネスに従事。1993年には世界エスペラント協会副会長に選ばれ、2期6年間その任にあり、66カ国を歴訪、サンフランシスコ州立大学を始め日本と諸外国でエスペラント教授をつとめ、講演行脚した。1988年から2000年まで学校法人川口学園でコミュニケーション論を論ずる。現在は有限会社国際文化工房役員。 |