HOME
> 論説 > 原発と地域との共生 40年を検証、新たな道探れ
2010年01月24日原発と地域との共生 40年を検証、新たな道探れ
クリーンエネルギーとして原子力発電の役割が注目されている。原子力エネルギーは国家政策だ。福井県で原発が運転を開始して40年。15基が集中立地しながら国民、消費地から感謝され、果たして「原子力と地域との共生」が深まっただろうか。高速増殖炉もんじゅの運転再開やプルサーマル計画、高経年炉の延命、さらに敦賀原発3、4号機着工へ新たな動きが出る節目に、「原発と地域」を多角的に検証すべきである。
■電力事業者は地域の一員■
「共生」という言葉が頻繁に使われだしたのは1996年以降だ。前年の12月8日、もんじゅナトリウム漏れ事故が発生した。原子力委員会はこれを機に、国民の意見を政策に反映させる「原子力政策円卓会議」を開催。2000年3月に出した見解で「原子力施設と立地地域の共生は、原子力の長期的な定着のためには不可欠な課題」と明記した。
05年に閣議決定した「原子力政策大綱」には「国と地方の関係」「立地地域との共生」が盛り込まれた。注目すべきは、事業者に長期的、総合的な地域振興に向けて「地域の一員」としての自覚を求め、企画段階からパートナーとしての積極参加を促したことである。
「共生」が加速したのは同じ05年だ。関西電力、日本原電、日本原子力研究開発機構が一斉に地域共生本部などを福井市内に設置。関電は原子力事業本部を美浜町に移転し人員と機能を増強した。きっかけは前年8月の美浜3号機死傷事故である。関電の各発電所や事業本部の従業員1813人のうち、県内雇用は38・6%。「地域の一員」としての役割が一層求められることは確かだ。
原子力政策で明らかなのは、国や事業者の地域振興策がすべて事故と不可分の関係にあることだ。「工場」が事故のたびに政策が充実し、事業者が地域貢献度を増していく現実がある。仮に事故がなくても地域としっかり向き合っていただろうか。
国や事業者を動かすのは地域の主体性である。県は全国に先駆け原子力安全対策課を設置、独自の安全チェック機能を果たしてきた。これが国民合意形成や安全規制、税制、地域振興などの具体化につながった。
■ポスト原発は原発か■
「共生」を肉付けするのは電源三法交付金である。74年の制度化以来、県市町(村)に交付されたのは約3042億円(08年度現在)。また核燃料税は累計約1442億円に達する。原発関連税収は県税収入全体の10―15%を占め、財政力の弱い全国の立地市町村では一般会計の半分以上を占める魅力の「原発マネー」だ。一方で、施設の減価償却が進んで固定資産税が減少し、事業者の業績悪化で税収が大幅に落ち込む状況の中、「ポスト原発は原発」というジレンマにも直面している。
県は05年に「エネルギー研究開発拠点化計画」を策定した。原子力と地域産業が共生する全国のモデルケースを目指すが、これももんじゅ事故が背景にある。事故リスクの「見返り」ではなく、自立した地域再生への試みとしてどう未来へ発展させるのか。知恵が求められるのは当然だ。「共生」は与えられるものではなく、創(つく)りだすものといえよう。
■大学の新たな取り組み■
こんな中で県立大の地域経済研究所が「原子力・エネルギーの可能性と地域社会の進む道」研究プロジェクトをスタートさせた。4年間かけて地域経済への役割を検証する。拠点化計画にも焦点を当て、電源立地地域としての将来像を探っていく。2月3日にはシンポジウムを予定。新たな取り組みとして注目したい。
福井大は「安全と共生」を基本に昨年4月「国際原子力工学研究所」を開設した。広域連携により研究開発や人材育成の足場を築いていく。これも拠点化計画の一環である。
本県をフィールドに「希望学」に取り組む東京大社会科学研究所ではテーマの一つに原子力を掲げた。本県にとって原発とは一体何なのか。住民意識の深層にも入り込んだ研究成果を期待したい。(北島 三男)