2010年1月21日11時6分
クリスマスシーズンを迎えた苗場スキー場(新潟県湯沢町)。だが、ゲレンデにシュプールを描くスキー客はまばらだ。中高年の姿が目立つ。イブの24日に苗場プリンスホテルに予約が入ったのは全室の4分の1だった。
20年前――。苗場プリンスのイブの宿泊は、数カ月前に予約受け付けが始まると、またたくまに埋まった。若者たちが四輪駆動車(4WD)で苗場を目指した。ゲレンデに流れるのはユーミン(松任谷由実)の「恋人がサンタクロース」。1987年に公開された映画「私をスキーに連れてって」はゲレンデの恋を描いた。
90年代前半に頂点を迎えたスキーブーム。苗場はその象徴だった。
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苗場は61年、堤義明氏(75)の率いる西武グループが開いた。
日本オリンピック委員会(JOC)会長も務めた堤氏は冬のスポーツに力を入れ、苗場など全国にスキー場を開いた。98年の長野五輪後、国際オリンピック委員会(IOC)の栄誉委員に就いた。
だが2004年、グループに有価証券報告書の虚偽記載問題が発覚。堤氏は翌年、証券取引法違反容疑で逮捕され、有罪判決を受けた。
西武ホールディングスは06年度、リゾート施設40カ所を手放した。このうちスキー場11カ所は買い手がつかず、廃業に追い込まれた。
堤氏の動きと軌を一にするように、スキーブームはしぼんだ。苗場スキー場の08年度の利用者数は127万人。ピークだった92年度の318万人の3分の1だ。上越新幹線が開通した82年以前の水準に逆戻りした。苗場プリンスは今季から夏と冬だけの営業になった。
苗場は、06年トリノ五輪の男子スキー回転4位の皆川賢太郎選手(32)の出身地。だが、皆川選手が小学生の頃に約20人いた地元のジュニアチームは今4人だけ。皆川選手の母則子さん(55)が地元で約30年営むペンションも経営は苦しい。「当時、今のように客が少なかったら賢太郎にスキーをさせることはできなかった」
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日本にスキーが伝わって、来季で100年だ。
「西武の苗場、東急の白馬。スキー場開発は大資本に頼り切りで進められた」。冬のスポーツを研究するNPO法人「ウインターレジャーリーグ」事務局長の坂倉海彦さん(68)は、日本のスキーの軌跡をこう総括する。
「不況で資本が見放せば終わり。レジャーとしてのスキーが衰退し、スポーツとして取り組む若者の減少や競技力の低下にもつながっている」
ブームの衰退は、別の影も落とした。
湯沢町には、山肌を切り開くようにリゾートマンション約50棟が林立する。総部屋数は約1万5千戸。温泉やプールが備えられたものも多い。
大半はスキーブームの時代に建てられた。地元の不動産会社は「当時は土地があれば建てるという状態。分譲すれば即完売だった」と懐かしむ。
今、価格は暴落している。かつては平均2千万〜3千万円だった部屋は200万円程度に下落している。15万円という部屋まであり、「湯沢のマンションは車より安い」とさえ言われる。所有者の多くは首都圏の住民。スキーをしなくなって手放したいが、値が下がりすぎて売るに売れなくなっている。
町では92年以降、新たなリゾートマンションは建っていない。
不動産会社の担当者は心配する。「全体の6割くらいは、1年に1回も使われていない。このままではスラム化してしまう」(大谷聡)
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