映画「An Officer and a Gentleman」の邦題は、ご存じですよね。
140文字のエントリーが飛び交うTwitterへの注目が、日に日に増しています。とりわけ最近、ネット上の話題を超えて、伝統的なメディア、テレビの情報番組や、ラジオ、新聞、雑誌などで、Twitter(ツイッター)ブームを紹介していたり、具体的な操作方法を視聴者や読者に解説していたりするのを、よく見かけます。
しかし、情報番組の司会者や、アナウンサー、コメンテータ−、といった人たちの殆どが、自分個人ではTwitterをやっておらず、「いつのまにか、こんなに世間では、つぶやくことがブームになっていたんですねぇ」といった調子で、「また、インターネットの中で始まった、よくわけのわからない、ゴチャゴチャした何か」として伝えられている印象があります。
この際に、Twitterのとっかかりとなるのが「つぶやく」というキーワードであり、従来メディアのベテランたちから、「暇な連中の戯言」という冷笑気味なトーンで片付けられてしまう大きな理由になっているように思います。
映画の邦題などで「原題はそういうニュアンスじゃないのになぁ」と思うことがしばしばありますが、「Tweet」を「つぶやく」と翻訳してしまったことがいかに罪深いかを最近、よく感じるのです。「140文字限定」、「つぶやき」、「フォロワーにのみ伝える」。こうしたキーワードだけで判断すると、いかにも閉じた空間の自己満足的なツールにしか見えない。約3年前に私が初めてTwitterの説明をアメリカ駐在の社員から受けたときも、「なぜアメリカで注目されているのか、正直よくわからないな」と思ってしまいました。
リアルタイムウェブの価値
ただ業務上の必要性から「関係ないね」と片付けるわけにもいかず、徐々に自分でもTwitterを使うようになり、大勢の人をフォローし、Tweetする、すなわちTwitter上で発言するようになって、この一見、これといった色がなく、プレーンな仕組みの持つ、底しれない可能性に気づくようになっていきました。
私は、Twitterのコミュニケーションの価値は、その発言の内容がなにげない「つぶやき」であることよりも、「時間軸の共有」にある、と見ています。
正確な言い回しは忘れてしまったのですが、以前、渋谷の某大型書店で『Twitter社会論』の著者津田大介さんの手による「Twitterで100人をフォローしてみてください。人生が変わります」という趣旨のPOPを見かけました。人生が変わるかどうかはともかく、たしかに、Twitterの面白さは、100人くらいをフォローしないと、その「時間軸を共有しているスケールの面白さ」が実感できないような気がします。
もちろん、自分の友人・知人だけでTwitterをやっている人を100人というのは、ネット業界関係者でもないと、なかなか難しいかもしれませんが、30人の友人・知人と、70人の著名人や報道機関・企業のアカウント、ということであれば、ちょっと頑張れば可能なのではないでしょうか。
津田さんの言うとおり、100名くらいをフォローすると、「今、この瞬間、この情報に、これだけの人が関心を示していて、その関心をハブとしてつながっている」というダイナミズムが、フォローしている人の発言が一覧表示される「タイムライン」を眺めていて実感できるようになります。
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