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いくら穏やかな口調であっても相手は検察官である。偽りの自白から勇気を振るって否認に転じたものの、密室でじわじわと責められ、再び追い込まれてしまう。足利事件で無期懲役が確定し、その後釈放された菅家利和さんの無念さを、あらためて思う。
きのうまで2日続いた宇都宮地裁での再審公判で、取り調べを録音したテープが再生された。あまりに生々しい内容だ。担当した元検事は証人尋問で、菅家さんを犯人と決めつけたことを「非常に深刻に思っている」と述べただけで「当時、犯人と認められる状況にあった」と謝罪を拒んだ。かたくなな態度は残念である。
これではやはり容疑者取り調べの全過程で録音・録画を義務付ける可視化のため、刑事訴訟法を改正しなければなるまい。
捜査段階から公判まで日本の司法に付きまとう自白偏重。そこから脱し公正な裁判を確立するための決め手として、全面可視化の必要性が叫ばれて久しい。
これまでの冤罪(えんざい)事件の被害者や弁護士らによると、捜査当局は身柄を拘束した容疑者に対し、強圧的な追及や言葉巧みな誘導尋問で責め立て、立件や起訴に好都合な自白を引き出してきたという。
本来なら物証の重視を刑事裁判の前提としなければならないはずだ。証拠を裏付ける容疑者の供述も、任意性が保証されてこそ信頼できる。
一般市民が参加する裁判員制度が昨年5月にスタートした際、検察側は一部に限って録音・録画を試行してきた。裁判員に判断材料を提供するためだろう。ただ可視化の対象を広げることには「供述をためらわせ捜査に支障がある」として消極的なようだ。
しかし証拠となる調書は、取調室での実際のやりとりとは違って捜査側の意向に沿った形になっている、としばしば指摘される。むしろ録音や録画でそのまま示した方が、容疑者の肉声も自然な姿で伝えられるのではないか。
捜査全般には個人情報も含めて秘匿すべきものがあるのは当然だが、供述を得る場面の可視化を拒む理由にはなるまい。
民主党などは、既に多数を占めていた参院で昨年4月、可視化の刑訴法改正案を議員立法で可決していた。7月の衆院解散で廃案になったものの、政権交代で実現の可能性は一段と高まった。
今国会への法案提出をめぐり、このところ政府与党の幹部の発言が相次ぐ。小沢一郎民主党幹事長の元秘書、石川知裕衆院議員らの逮捕にからみ、検察当局をけん制する狙いも取りざたされている。「政治とカネ」にまつわる疑惑解明を妨げようとするのであれば、動機が不純だ。
冤罪事件を今後、決して起こしてはならない。全面可視化はそのためにこそ必要なのである。
法改正に当たっては対象範囲や提示方法を調整することも欠かせまい。賛否をいきなり問うよりも幅広い合意の形成が好ましい。国会での徹底した論議を望む。
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