「昔はいつも泣いてたけどね」と話すマリーベルさん。今、そのまなざしは強い光を宿している
美しい大きな瞳には、強い決意が宿っている。フィリピン人のマリーベルさん(33)=仮名=は小学4年の娘(10)と2人暮らし。日本人の夫との間で続く離婚訴訟はこの春にも、判決が出る。「私、日本で一人で頑張る。子どもがいるからね。日本語もだんだん覚えてきました」
「でも、あのころは泣いてるばっかりだった」
マリーベルさんは10年ほど前、興行ビザで半年間、日本で働いた。夫とはその時出会った。郷里で娘を出産し、正式に結婚したのは2001年。04年に夫と暮らすため、長女を連れて再び日本にやってきた。
「なんとか生活できる」という期待はすぐに打ち砕かれた。たどり着いたのは九州のある小さな町。夫のアパートは、暗く冷え切っていた。夫の稼ぎはパチンコに消え、ガスも水道も電気も止められていた。
「子どもに食べ物要るから、知り合いのフィリピン人にもらいに行った。恥ずかしいけど仕方なかった」。スナックで働き始めた。「仕方ないからね」。当時を振り返り、目を伏せる。店は3カ月後に辞めた。夫が客への売春を強要したからという。
ベッドメークの仕事を始めたマリーベルさんに、夫はパチンコ代をせびった。黙っていると顔をたたき、腹を殴る。暴力は3年間続き、左耳の鼓膜が傷ついて聞こえなくなった。07年、警察に駆け込み、片言の日本語で事情を説明して、シェルターに保護された。
今、マリーベルさんは食肉加工工場で働いている。暴力が吹き荒れたあの家で「私は『やめて』『ごめんなさい』ばかり」だったという女性の面影はない。
自立に向けて日本語を学ぶため、小学校の先生の計らいで、1年生の教室で娘と机を並べてもらった。「子どもの方が早く覚えるから、教えてくれた。今は日本語できて、周りの人と話できてうれしい」と笑顔がのぞく。フィリピン語が堪能な夫との暮らしでは、日本語ができなくても困らなかった。それが、外の社会から自分を遠ざける壁だったことに気付いた。
自転車で30分かけて通う工場では、長い包丁を使って豚や牛を解体する。体力勝負の仕事だ。同僚の日本人とのコミュニケーションもスムーズになってきた。「今はアルバイトだけど、社員になれるかもしれない。給料多くなると、また心配が一つなくなる」。連日の残業にも力が入る。
「私はハイスクールまでしか行ってないから、フィリピン帰っても仕事ない。自分の家ない。お父さんお母さんも年取ってる」。ここで生きていく決意は固まっている。
来日して約25年、福岡県内の老人ホームで働くフィリピン人のパメラさん(46)=同=もシングルマザーの1人。7年前に日本人男性と離婚し、高校1年の娘(16)と2人暮らしだ。
ずっと歌手やダンサーとして夜の繁華街を仕事場にしてきたが、3年前にヘルパー2級を取得した。現在の時給は800円。日給1万4千円だった夜の世界との差は大きいが、「将来のことを考えるとね」と表情は明るい。ここにも、自立の道を着実に歩くフィリピン人女性がいる。
九州には約1万人のフィリピン人が暮らし、各地の教会などを拠点にしたコミュニティーがある。週末に通う教会で、後輩たちに「お姉さん」と親しまれるパメラさんは、切実な相談をよく持ち掛けられる。「日本人と結婚したい」「離婚して、子どもを夫に取られそう」-。
国際結婚の増加に伴い、離婚件数も増え続ける。妻がフィリピン人、夫が日本人の夫婦に限っても、08年で約4800組が離婚した(厚生労働省調査)。
パメラさんは言う。
「私が経験したことは、できるだけ教えてあげたい。ほかの国で暮らしていることが、お互いに助け合う気持ちを大きくしているのかもしれません」
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▼国際結婚
厚生労働省の調査によると、夫婦の一方が日本人の国際結婚は、婚姻件数全体の約5%にあたる年間約3万7000件(2008年)。1983年に1万件、89年に2万件、99年に3万件を超え、増加傾向にある。国籍別にみると、妻が外国人の場合、中国籍が42.5%(同)で最も多く、フィリピン、韓国・朝鮮と続く。夫が外国人の場合は、韓国・朝鮮が25.5%(同)で、米国、中国の順。一方、国際結婚した夫婦の離婚は08年は約1万9000件。離婚後に、子の親権などをめぐるトラブルも起こっている。
=2010/01/10付 西日本新聞朝刊=