有田焼は2016年に「創業400年」を迎える。有田町の窯業関係者らは、本番の400年祭や前年のプレイベントについて協議を開始したが、じっくり議論を重ね、磁器発祥の地と職人の底力を見せる企画を大々的に展開してほしい。同時に、景気低迷で体力が弱った陶都の再生を図る需要喚起策も発信したい。将来を見据えた戦略眼を期待する。
日本の磁器は1616(元和2)年ごろ、朝鮮人陶工の李参平(初代金ヶ江三兵衛)が有田町で焼成したのが始まりとされる。創成期の古窯跡に立つと、苦心を重ねた陶工の手仕事が目に浮かぶ。
有田は、これら先人たちの創作意欲によって「器の町」「白磁の町」として発展。瞠目(どうもく)すべき斬新な造形と装飾の美は、ろくろ、赤絵、染付の名工が生み出し、その血が深遠な作風を築き上げた。
しかし、現在の業界は依然〝厳冬の時代〟から抜け出せないでいる。2008年の主要企業の売上高は億5700万円にまで落ち込み、ピーク時(1991年)の4分の1まで縮小した。
苦境下で行われる400年祭やプレイベントは県民を巻き込み地域、県域を超えた取り組みが必要だ。事業計画は今後、昨年発足した検討委員会で詰めていくが、どんなアイデアが出るか楽しみだ。
山口隆敏有田商工会議所会頭は、新年名刺交換会で400年祭開催に当たり「先人の検証」「市場調査」などを強調した。過去を検証し将来を展望する記念祭を開催し、活路を切り開くには山口会頭らの強い指導力が試される。
有田のメーカーなどは身を削りながらも伝統の清雅を守ってきた。磁器発祥の地を誇りとし、鍛え抜かれた陶技はファンの心をつかんだ。メーンイベントは手仕事の粋と筆致の妙を訴えたい。
その一つが伊万里・有田焼伝統工芸士会が、長年要望している全国伝統的工芸品大会の誘致だ。次に白磁、染付、染錦、赤絵などの大花瓶や大皿を400個ずつ飾り、誘客への起爆剤とする。空き店舗を会場に他産地ではできないパフォーマンスで祝う。職人を対象にした公募展を新設し優秀者に「伝統賞」を授与することも考えてみたい。
昨年6月、大分県別府市で国際現代芸術フェスティバルが開かれた。アーティストが制作した作品群を市街地に展示。街はアートを見る若者らでにぎわい、地域おこしの一端を担った。町の活性化には若者の力も欠かせない。
有田は将来、焼き物を含む多彩な芸術家が集う世紀型の「創造都市」を目指してほしい。若いアーティストが文化を育て、町のにぎわいを演出する。これを機に街づくり、人づくりについても大いに意見をぶつけよう。
消費不況の直撃を受けている製陶業者の再建策も急務となっている。福岡、関西、関東への販売戦略とともに、観光客をどう呼び込むか。隣県や異業種と連携を深め、消費者を満足させるプランを待っている。
今年の有田は再生への足がかりを模索する重要な1年になる。議論は始まったばかりだが、将来像を語り合う中で、にぎわいを取り戻す発想が生まれてくる。難局を乗り越えるのは、窯業者ら自らの信念と行動力しかない。(田代準治)
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