北海道砂川市が市有地を神社の敷地として無償で提供していることが、政教分離を定めた憲法に違反するかどうかが争われた訴訟の上告審で、最高裁大法廷は「市が特定宗教に特別の便益を提供し、援助していると評価されてもやむを得ない」として、違憲と判断した。最高裁が政教分離訴訟で違憲と判断したのは1997年の「愛媛玉ぐし料訴訟」判決以来、2例目である。
自治体関係者の多くは「厳しい判決だ」と受け止めたかもしれないが、社会的な慣行上あいまいな部分も残る政治と宗教のかかわりに具体的な基準を示した意義は大きい。
この神社は1892年ごろ、開拓者らが五穀豊穣[ほうじょう]や無病息災を祈念して小さな祠[ほこら]を設けたのが始まり。1948年に小学校拡張のため、近くの住民が提供した土地に移転。その土地が市(提供当時は砂川町)に寄付された53年から無償提供が始まった。70年、町内会が市からの補助金を受け町内会館を建設。その中に祠も移された。会館入り口には「神社」と明記され、鳥居も立っている。「会館なので宗教性はない」と市は主張したが、最高裁はこうした現状を市が特定宗教に肩入れしていると判断した。
政教分離をめぐる判断で最高裁はこれまで、国や自治体の行為の「目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉などになるような行為」は違憲とする「目的・効果基準」を採用してきた。だが、今回の判決ではこの基準には言及せず、「施設の性格、無償提供の経緯や態様、一般人の評価などの諸般の事情を考慮し、社会通念に照らして総合的に判断すべきだ」との新たな考えを示した。
宗教法人格はなく神官も常駐しておらず、「特定宗教」と言い切るには違和感があるという意見もある。地域や集団によって異なることもある「社会通念」という基準も、あいまいさが残る。
事実、判決でも4人の裁判官が「神社の祠が宗教的性格を持つことは否定できないが、建物は地域コミュニティーの融和を図るためのもので、祠はその一部にすぎない。敷地が市有地となった寄付の経緯や神社の氏子集団の実態など、憲法判断に必要な事情について審理が尽くされていない」と判断を留保している。
「違憲状態解消には撤去や土地明け渡し以外に合理的、現実的な手段があり得る」として市側敗訴の二審判決を破棄し、審理を札幌高裁に差し戻したことからは、信教の自由への配慮もうかがえる。判断の難しい事案だったということだろう。
今回のように公有地に建つ宗教施設の全国的な数字はないが、「数千件にとどまらない」(砂川市)とみられる。建物だけで神官が常駐しないケースや祠だけのケースも少なくない。判決では「文化財や観光資源、地域親睦[しんぼく]の場として意義を持つ場合もあり、憲法判断の重要な考慮要素になる」とも言及している。今回のケースが全国一律に適用されるものではないが、以前からの慣行、慣習として漫然とした対応がなかったかどうか、最高裁判決を政教分離の原則を再認識する機会にしたい。
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