2010年01月21日

◆ 検視と解剖

 (病気・事故死などでなく)変死した死体を解剖することで、犯罪の有無がわかる。ところが日本では、解剖する率は 10%未満である。では、どうすればいいか? 妙案がある。

 ──

 変死した死体を解剖して死因を調べることを、検視(検死)という。このことで犯罪の有無を確認できる。
 逆に、検視をしないと、犯罪が見逃される。たとえば先日、婚約者である男性を次々と殺した詐欺女がいたが、犠牲者のうちの一人は検視されずに「自殺」と判断された。こうして、犯罪が見逃され、次の犯罪を引き起こすこととなった。
 つまり、検視をすることは、犯罪を見逃さないことに結びつき、次の犯罪を予防する。これほどにも検視というものは重要だ。死刑よりもずっと重要だ。
 にもかかわらず、日本では予算不足で、検視する率が 10%未満である。2008年の数値では 9.7%だという。
 この問題に対処するため、警察庁は検視体制を強化するために、有識者の研究会を発足させるという。( → 読売・夕刊・社会面 2010-01-21

 ──

 なお、検視不足という件は、かなり前から話題になっていた。たとえば、下記。
  → ニューズウイーク日本語版の紹介
  → 東京新聞の孫引き

 ──

 では、この問題に対して、警察庁の方針は解決策になるか? たとえば、予算を現状から5割アップすれば、解決するか?
 否。5割アップしても、10% から 15% になるだけだ。焼け石に水である。調査される比率は5割増でも、調査されない比率は 90% から 85%に下がるだけだから、ほとんど変わらない。つまりは、予算を5割アップしても、ほとんど意味はない。
 それどころか、民主党の方針では、「事業仕分けにより、予算削減」を打ち出しかねない。増やす金など、どこからも出てきそうにない。

 さらに言えば、いくら金を増やしても、肝心の医者がいない。そもそも、死んだ人間でなく、生きた人間を治療するためでさえ、医者は不足している。特に救急医療や産科では不足している。医者不足のときに、死体を見るための医者を駆り出したら、ますます医療崩壊がひどくなる。
 というわけで、現状はほとんどお手上げだ。

 ──

 そこで「名案はありませんか?」という質問が出るだろう。となると、私の出番だ。  (^^);
 はい。さっそく名案を示します。こうです。

         


         


         


         


 検視の場では、死体が大幅に過剰である。
 その一方、死体が大幅に不足しているという場がある。それは、どこか? 大学の医学部だ。

 医学部では、医学部生のための死体がまったく不足している。献体してくれる篤志家が少ないからだ。仕方なく、ホルマリン漬けの死体を、チョビチョビと解剖したりする。
 だいたい、どこの大学でも、週に3,4日、それが3,4か月掛って、1体のご遺体を解剖するんです。ご遺体はその長期間、腐らないようにしっかり防腐処理されています。カビとか生えたらかわいそうですしね。
( → 実習のレポート
 しかし、これっぽっちでは、全然勉強にならない。もっと大量に解剖の実習をするべきだ。(そもそも、解剖の実習が少ないから、外科医になりたがる人も少なくなる。悪循環ふう。)

 こうして、一石二鳥の名案が浮かぶ。
 「医学部生が解剖の実習を兼ねて、変死の死体を解剖する」

 ということだ。
 これは非常に効率がいい。なぜか? 変死者には何らかの異常(つまり死因)があるはずだが、その死因を探ることが実際の課題となるからだ。ただの「解剖ごっこ」ないし「解剖の実習」ではない。実際の本番バリバリの解剖だ。それが医学部生に委ねられる。医学部生だって、本気にならざるをえない。
( ※ また、通常の献体は、老人が多いが、変死者の場合は、若い人が多いから、皺だらけの死体を解剖するより、ずっと興味深い。たとえば、オッパイのデカいストリッパーの殺人死体などがある。   (^^); )

 ただし、初心者がいきなりすべてをやるのも、無理だろう。だから、次のように階層化したグループを作ることが好ましい。
  ・ 実習をする1年生、2年生
  ・ それを指導する3年生、4年生
  ・ それを監督する5年生、6年生(および研修医)
  ・ 全体を統率するプロの検死官1名


 実際に検視をするときは、グループ体制で行なう。下級生から上級生までがかわるがわるという感じで、分担して、死体の各所を調べる。わからないところなどは、上級生に訊く。
 ときどき、面白い死因が見つかったら、検死官に報告する。そして検死官は、「おもしろいぞ、これを見ろ」と生徒たちを呼び集める。
 (例)青酸カリの死体では、口からアーモンド臭がするので、嗅がせる。
 (例)絞殺と扼殺の違いを、首筋の跡から判別させる。
 (例)一酸化炭素中毒の血液の色が鮮明なのを見せる。


 いやあ。勉強になりますね。
 医学部生は勉強になるし、検視の解剖率は上がる。一石二鳥。まさしく名案。

   (^^)v



 [ 付記 ]
 医学部生に解剖がなぜ必要か? ……わかりにくいかもしれない。「いちいち人間をバラバラにしなくてもいいだろう」と思うかもしれない。そこで理由を示す。
 解剖とは、つまりは、手術の練習なのだ。生身の健康な人間を相手に、手術の練習をするわけには行かない。だから死体を相手に、手術の練習をする。それを「解剖」と呼んでいるだけだ。
 解剖しても、実際には癌の病巣などが見つかるわけではないし、その病巣を取り出すわけでもない。おかしくなっている部分を修理するわけでもない。だから単に「解剖」と呼ばれる。とはいえ、その実態は、「手術の練習」なのである。
 そして、手術の成功率は、手術の経験にほぼ比例する感じで、向上する。だからこそ、解剖の実習をたくさん積んでおくことが必要なのだ。医学部卒業までに、百以上の死体を解剖することが好ましい、と思える。
 
posted by 管理人 at 19:40 | Comment(8) | 一般 (雑学)
この記事へのコメント
 「医学部廃止論」というのがある。次の趣旨。
 「医学部を廃止して、医師国家試験の合格だけを要件とすればいい。合格者に対して、二年間の実技研修をすればいい。これは旧来の司法試験の場合と同様だ」

これについて、前に論じたことがある。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/greentree/koizumi/a37_news.htm#igakubu

 しかし、本項を読めばわかるように、医者には多大な実習が必要だ。今の医学部教育がなっていないというのは事実だろうが、その代案は、医学部教育をやめてしまえということではなく、医学部教育を充実させることだ。
 


Posted by 管理人 at 2010年01月21日 22:34
最近の管理人様のテーマは実に難解だ!
今回のケースも正論だが、難解だ!
要点:
人間は感情的な生き物だ!ゆえに、すべての行動が合理的ではない!

比喩:
仮に、あなたに最愛の妻、愛人、娘がいます。

不幸にも突然死(変死=ほとんど全てが変死扱いされる)してしまいます。

生前の彼女達の全裸を人前に曝す愚か者は、異常者を除き皆無です。

では、死後、自身の気持ちを瞬時に切換え、今回の妙案の如く、赤の他人のオッパイ星人?
達にかつての宝物を謙譲出来るでしょうか。


Posted by pino at 2010年01月22日 10:33
お医者さんに裸を見られるのがいやなら、今後、治療も受けず、出産も不可能になります。

そもそも、あなた自身が、母親が他人に裸を見せたから生まれたんですよ。

医者とか、風呂屋の番台とかは、普通の人間じゃないんです。小さな子供じゃないんだから、「恥ずかしいよー」なんて泣かないで。

あと、殺人などの犯罪性が明白でない変死の場合は、解剖には遺族の同意が必要ですから、いやなら「やだよ」と言えば済む問題です。
というわけで、お望み通り。よかったですね。 


  ↓


 ただし死んだ本人は悲しいかも。殺人で殺されたのに、自殺扱いにされたせいで、犯人が見逃されてしまう。
 「どうしてあたしを殺した真犯人を見逃すのよ!」と思って、成仏できないかも。
Posted by 管理人 at 2010年01月22日 12:36
どうも、初コメ失礼します。
私なぞの実習レポートを引用していただき光栄です^^

管理人様は医学教育における解剖をちと勘違いされているようです。
解剖に供される遺体が少ないからチマチマ解剖しているわけではなく、細部の構造をみるためにこうしているのだということです。
現に、解剖に供されるご遺体の要件に、事故死や変死ではないこと、があった気がします。(ちょっとあいまいですが)
医学教育での解剖(系統解剖、といいます)は、何が正常か、を学ぶ場なんです。
もちろん、開けてみてびっくりな構造が出てくることもありますが、それは死因にかかわるモノではなくバリエーションの問題になります。全てが教科書的なご遺体はほとんどないもんです。

さらにですが、死因究明のための病理解剖や司法解剖は、手術手技とはだいぶかけ離れてしまいます。

お近くに医学部を擁する大学があれば、ぜひ法医の講義を聴講してみてください。
そーっと潜れば聴講できますよ。
法医の解剖が手術の手技とはかけ離れたものであることがわかっていただけると思います。

。。。まぁ死因究明の後で残った部分(講義中のスライドでは絞殺とかでも全身くまなく解剖してたんでそんな場所があるか謎ですが)を手術の練習台にするのは。。。ちょっと良心が痛みますよね。
全く関係のない部分を壊すわけですから。

学生に実習の一環として法医解剖をやらせるというのは案としてはありだと思います。
解剖資格など法的な面でクリアすべき課題は多いですが。。。
時期としては臨床の座学が終わった4年の終わりか、臨床実習後の選択実習の一環として6年の前半が妥当なところでしょう。


最後に蛇足ですが、アメリカなどでは解剖実習自体がなくなりつつあります。
ホルマリンの暴露などの問題もありますが、バーチャルスライドがかなり進歩して来たためのようです。
実際、私も病理の実習で顕微鏡は一切覗いてません^^;
Posted by Kris.S at 2010年01月22日 16:54
 おっしゃっていることはわかりますが、そのことはすべて承知の上での発言です。
 舌足らずの点もありますが、文字通りに( or 曲解で)受け取らず、そちらの趣旨に従って受け取るように、読み直してください。
 私の言っていることは、そちらの言っていることと、ほぼ同じですよ。細かい注釈はしていませんが。

 なお、本項の論点は次の二点です。
  ・ 病理医の養成でなく、外科医の養成。
  ・ 医師のためでなく、国民のため。

 医者のために病理解剖をすればいいのではない。国民のために外科医不足を解消する(医療体制を確保する)必要がある。
 この論点に沿って、本項を読み直してください。また、現状がどうであるかも認識してください。

 ついでですが、医学教育と実習という観点からは、次の項目でも言及しています。
 http://books.meblog.biz/article/1989632.html

 
Posted by 管理人 at 2010年01月22日 19:25
レスありがとうございます^^

私のブログが
"仕方なく"ちょびちょび解剖している
のソースになっているのが引っかかったので、そこに集中してコメントつけさせていただいたまでです。

さて、解剖が少ないから外科医を志す学生が減る、というのが論点の一つと受け取っていますが、医学生の立場から言わせてもらうとちょっと違うかな、と感じます。
この情勢でも医学生の中に外科を志す人は少なくないんです。
しかし、実際に実習などで外科を回ったときにそのあまりの忙しさに引いてしまうんですね。
ので、卒前の手術手技の習得によって外科が増えるかと言ったらそんなことはないと思うのです。

ゆえにメジャー科を増やす一番手っ取り早いのは医者の雑用を無くしてあげること、だと思います。先生方も書類の多いのがどうにかなれば。。。と授業中もおっしゃってますよ^^;
一部の患者の肥大しすぎた権利意識と合わせて、どうにかなれば中堅以上で第一線から離れてる医師も戻ってくるでしょう。
しかし、クラークの導入にしろ人を増やすにしろ金がないのが今の状況と認識しています。


ちなみに法医解剖の少なさが問題になっているのは承知です。
最も金をかけない解決法はAIになるでしょう。
しかし、AIにしても死体の画像診断はまだまだ発達していないので解剖に勝るシステムでは無いです。
ですが、今の医療リソースでは最も現実的かと思います。

管理人さまの提案する死因究明システムも、勉強にはなる、かもですが、それこそめちゃめちゃな死体検案書しか出来ないようになると思います^^;
しかし、全員参加ではなくアルバイトで募集する形にすれば、意欲のある人を使えるので(やる気無いのはクビにも出来ますし)、それなり形になるかと思います。

ちょっと話が広がりすぎるので各々簡単にですが。
Posted by Kris.S at 2010年01月22日 22:54
> 実際に実習などで外科を回ったときにそのあまりの忙しさに引いてしまうんですね。

 それはそうですが、「ろくに実習もしないで外科医になりたくない」と思う医学部生もたくさんいますよ。外科医になるというのは、「患者を殺す覚悟がある」ということです。それだけの勇気のある医学生は少ない。「自分は患者を殺したくないから、見殺しにした方がいい。見殺しにすれば、自分の責任にはならないから」という理由で、外科医になりたがらない医者も多い。
 外科医の大多数は、何人もの患者を殺しています。自分の技能不足のせいで。しかし、それにもかかわらず、何百人もの命を救っています。そういう勇気をもつ医学部生は、あまり多くない。

> それこそめちゃめちゃな死体検案書しか出来ないようになると思います

 最初から承知の上です。それでも、10%でもまともな死体検案書ができれば、それで十分。(先輩や指導医がいる、という条件なので、実現は可能。)
 現状では、「死体検案書は一切書かない」つまり「0%」です。0%よりもマシならば、いくらでもいいのです。

Posted by 管理人 at 2010年01月22日 23:33
 誤読している人が他にもいるようなので、念のために注釈しておく。
 本項で述べた提案は「医学部生の勉強を兼ねた、法医解剖」である。「手術の練習台として死体を利用する」ということではない。その件は「解剖しても、実際には……」という箇所で述べたとおり。つまり、「解剖すること自体が自然に手術の練習になる」ということだ。
 これに対する反対概念は、「手術人形を使って実習すること」である。あるいは、「死体解剖の訓練を積まずに、いきなり生きた患者を相手に本番の手術をすること」である。「手術人形のあとでいきなり生きた患者を相手にする」というのは、経験不足になりやすい。だからその前に死体を相手に解剖すればいい。ただしそこでは、死体を相手に(人形みたいに練習台にして)手術の練習をするわけではない。単に法医解剖をするだけだ。
 そしてまた、解剖の量は、3カ月に1体というような僅少なレベルではなく、もっと頻繁に多数回の量にするべきだ。

 以上が本項の趣旨だ。いちいち語るまでもなく当り前のことなのだが、勝手に自己流に誤読する人が何人かいると判明したので、上記で注釈しておいた。
Posted by 管理人 at 2010年01月22日 23:36
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