社説

文字サイズ変更
はてなブックマークに登録
Yahoo!ブックマークに登録
Buzzurlブックマークに登録
livedoor Clipに登録
この記事を印刷

社説:閣僚の報道批判 軽率な発言ではないか

 小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体の土地購入を巡る事件の報道に関連し、鳩山内閣のメンバー2人が記者会見で相次いで発言した。

 原口一博総務相と平野博文官房長官である。いずれも、情報源を「関係者によると」とした記事について疑問を呈したものだ。閣僚が記事の書き方にまで踏み込んで批判するのは極めて異例である。適切さを欠く軽率な発言だと指摘しておきたい。

 それぞれの発言を振り返る。

 原口総務相は「関係者によると」とした記事やテレビニュースについて「何の関係者か分からない。そこを明確にしなければ、電波という公共のものを使ってやるには不適だ」などと述べた。平野官房長官も「関係者によると」について「すべてとは言わないが、記事の中身によっては公平でないものがある」と話した。批判の矛先が検察からメディアにも向かったかのようだ。

 まず、お断りしたい。裁判員制度が始まるのを機に、毎日新聞は、事件・事故報道の記事スタイルの一部を見直した。「情報の出所」をできる限り明示し「関係者によると」の表現もできるだけ避けることを原則とした。多くの報道機関も同様の見直しをしている。

 事件の取材先は、捜査関係者に限らず多岐にわたる。情報の出所を明示することで取材源を守れない恐れがある場合は、「取材源の秘匿」が優先することも確認した。それが、国民の「知る権利」に応えるため、適切な方法だと考えたためだ。

 記事のスタイルを含めた自由な報道は、憲法で保障された表現の自由に基づく。もちろん、その前提は「事実の報道」であり、それが覆った場合、報道側は責任をとる。

 だが、2人の発言は、事実か否かではなく、情報源の表現方法に介入したものと受け取れる。

 特に原口総務相は、放送の免許権を持つ立場だ。21日には、報道批判の意図はないと発言したが、実はテレビ報道をけん制したように映る。自民党政権下、放送行政への政治側の介入を民主党が批判してきたことを思い起こしてほしい。

 報道の最大の役割は、時の政権、最高権力を監視することだ。民主主義社会において、政権当事者が厳しい批判にさらされるのは常である。その点からも「監視される側」の権力の中枢が、監視する役割を担うメディアに、事細かく注文を出すような発言はいかがなものだろうか。

 小沢氏の事件への民主党の対応は、いかにも冷静さを欠いている。「捜査情報の漏えい問題対策チーム」を作るより前に、まず、真相解明のチームを党内に作り、世間の疑問に答えるべきではないか。

毎日新聞 2010年1月22日 東京朝刊

 

PR情報

社説 アーカイブ一覧

 

おすすめ情報

注目ブランド