”石油ピーク"の意味するところ”
新しい日本の価値観と知恵の創造に向けて
と題する石井 吉徳 東京大学名誉教授の緊急提言です。
石油の世紀と「石油ピーク」
20世紀は"石油の世紀",豊かな石油によって人類が最も繁栄した時代だったのであろう。現代を象徴するクルマ社会は「常温で流体の石油」あってのもので,大量生産型の工業文明はクルマから開花した。石油は単なるエネルギー源ではない。化学合成原料であり,現代農業を根底から支えるもの,石油はまさに「現代文明の生き血」である。
この石油の価格がいま高騰している。その理由として,いろいろなことが考えられている,中国,インドなどで需要が急増し,需給が逼迫しているにもかかわらず,投資が不十分であること,ハリケーンの影響が甚大であったことなどである。その視点に立てば,高騰は一過性であり,いずれ価格は下がることになる。科学技術が進歩し,市場が機能し,投資が進めば新規油田が発見されるから大丈夫,経済成長もいつまでも続く…。本当にそうなのだろうか? これが本稿の主題である。
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この記事は4/4記事の再投稿です。
しかし,現実はそうではないようである。北海油田はすでに生産量のピークを迎え,OPECの主要メンバーのインドネシアですら石油の純輸入国となった,近年,大きな油田は発見されない。どうやら人類は地球の有限性に直面しているのでは,その象徴が"石油ピーク:Oil Peak"なのでは,と思われてくる
『The Party's Over(パーティーは終わった): Oil, War And The Fate Of Industrial Societies』 (Richard Heinberg著・2003年)という本が読まれている。その主張は明快である。石油が支えた20世紀の「浪費型パーティー」──大量生産・消費・廃棄型社会が終わる,世界各地で起こる紛争は資源獲得競争が原因と警告する。そして,これからは"Relocalization"の時代が到来するというのである。
これは日本的には,地方分散社会,地産地消,地域経済の自立を推進しようということになる。これからは自然と共に生きる知恵を創造するという意味である。日本は75%が山岳の島国,大陸欧米から学ぶことは本来少ないのである。
世界の石油供給余力の低下
このような見解には反論が多い。地球に限界があることを理解せずに,経済は年率何%でいつまでも成長しなければならないと思うからであろう。指数関数的なGDP成長は,有限地球では永続するはずないのだが,いままでは豊富な石油がこの願いを支えていたのである。
しかし,この石油に陰りが見えてきた。2兆バレルという究極的な石油埋蔵量もいまでは半減した。新規油田は思うほどには発見されない。その結果,300億バレル/年という膨大な需要に対し,発見量は4分の1程度でしかない。それでもまだ多くの人は,石油が有限であることを認めようとしない(図-2参照)。
図2 広がる石油の発見量と生産量のギャップ(ASPO: The Association for the Study of Peak Oil & Gas )
地下にある石油は森林とは違い,目には見えないからであろうか,最近では「埋蔵量成長」などという言葉すら現れた。非在来型のカナダ,タールサンドなども埋蔵量に含めているが,オイルサンドは石油とは違い,生産には大量のエネルギー,天然ガスが使われ,水も大量に必要になる。オイルサンドは量は膨大であるが,ネット・エネルギーは少なく在来型の油田とは比べものにならない。後述するが,資源は量だけで判断してはならない。そして,日本では根強い「技術万能思想」も楽観論を支援する。石油探査,採取技術もまだまだ進歩するとなり,ここで思考が停止する。
中東の石油の知られざる実態
周知のとおり日本の中東石油依存は約90%と異常に高い。これは重大問題であるが,中東の意味,なぜ中東に石油が集中するのかなどはほとんど知られていない。そのためであろうか,これからまだまだ石油は見つかると期待する人が多い。
だが,これは間違っている,石油は非常に限られたところにしかない。中東ですら石油があるのはごく限られた地域,中東の7%,ペルシャ湾岸5カ国,サウジアラビア,イラク,イラン,クエート,アブダビ首長国連邦のみである。
これは太古の地球史における大陸移動説から大局的には説明できる。ほぼ2億年前,赤道近くに存在した西に閉じた内海テチス海に沈殿した膨大な有機物が,いまの石油の源である。当時,二酸化炭素濃度はいまの10倍,気温は温暖で活発な光合成が膨大な有機物を育てた。幸い堆積したテチス海は内海であったため,攪拌されず,長い間,酸欠状態が続いた。この地球史上の僥倖が,超巨大な中東の油田群を生み育てたのであるから,第二,第三の中東はないと考えなければならない。
しかし,頼りの中東の油田群もいまでは歳をとった。たとえば世界最大のサウジアラビアのガワール油田だが,これは1940年代の発見である。第二のクエートのブルガンはさらに古く,1930年代に見つかった。このように中東の大油田の多くは数十歳の老齢である。それでもこのガワールから,いまでも世界最大450万バレル/日,サウジアラビアの60%の石油が生産される。だが,その自噴圧力もさすがに衰え,いまではその維持に毎日700万バレルもの海水が圧入されている。
石油生産のピークから減退へ
エネルギー投資銀行,ブッシュ大統領のエネルギー・アドバイザーを務めるMatthew R. Simmonsは,最近の著『Twilight in the Desert: The Coming Saudi Oil Shock and the World Economy』で,サウジアラビアの限界を詳細に論じている。その主張にはサウジ政府をはじめ多く人が反論するが,その是非はともかく,まず一読をお薦めする。
さらに,一般的にほとんどのOPEC諸国も生産余力はそれほど多くはないようである。OPEC以外の産油国も石油生産のピークを過ぎた国が多いという。「石油ピーク」とは,生産が需要を充たすことなくピークを打つということで,「枯渇」するということではない。石油ピークの後,生産は徐々に年率2〜3%程度で減退すると言われている(図-3参照)。
図3 世界の石油生産量:過去と未来(C.J.Campbell 1998)
もうひとつ重要なのは,中東が異質の文化を持つイスラム圏であることである。石油をめぐる国際力学は今後さらに難しくなるであろう。したがって,今日の石油問題は戦略性の高い国家安全保障上の問題と認識すべきである。
あらためて「資源」とは何か
すでに人類は石油の究極可採量である約2兆バレルの半分を使ったという。しかし,アメリカの地質調査所などは,3兆バレルの埋蔵量があり,オイルサンドも膨大などと,石油ピーク論を否定する。世間はそうした楽観論に耳を傾けたがるのである。
しかし,結論的にはこれは見方の違いでしかない。つまり「資源の質」をどう理解しているかという問題であり,平たく言えば質の悪いものまで資源量に含めれば,いくらでも量は増やせるのである。そこで改めて言うが,「資源」とは,まず,@「濃縮されている」,A「大量に」ある,そして,B「経済的な位置に」あるものである。
森林,石炭,石油,天然ガス,ウランなど基幹エネルギー源はこれらをすべて満たすのである。一方,広く期待される自然エネルギーは,濃縮されていないのが悩みであり,利用することが難しい理由がここにある。海水ウランも濃縮されたエネルギーが必要である。話題のメタンハイドレートも濃縮されていない代物である。宇宙太陽発電が荒唐無稽なのは,そこが宇宙だからである。
「ごみは資源」という場合にも「濃縮されていない」ことに注意したい。このため循環社会のキーワードである3R(Reduce, Reuse, Recycle)のなかで,最初の"R"が最も重要なのである。まず無駄をしないこと,話題のゼロエミッションも,浪費社会と決別することが前提である。
エネルギーの質を定義するEPR
エネルギーにおいて,「ネット・エネルギー」,「エネルギー収支」が重要である。これは「エネルギー利益率」のことで"EPR=Energy Profit Ratio"(エネルギー生産に必要な入力エネルギーと生産される出力エネルギーの比)で定義される。
エネルギー利益率:EPR = 出力エネルギー/入力エネルギー
言うまでもなく,これが1.0以上でなければならない。「入力エネルギー」が大切ということで,マネーコストではない。EPRを理解すると,エネルギー問題の本質がわかってくる(図-4参照)。
図4 各種エネルギー源のEPR
BJ Fleay B Eng, M Eng Sc, MIEAust, MAWWA, Associate of the Institute for Science and Technology Policy
Murdoch University, Western Australia
presented at the:Chartered Institute of Transport in Australia National Symposium, Launceston Tasmania 6-7 November 1998
BEYOND OIL:TRANSPORT AND FUEL FOR THE FUTURE
その2に続きます
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