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オーストラリアの先住民アボリジニ

オーストラリアに何万年も前から住む先住民「アボリジニ」について、簡単にご紹介いたします。

アボリジニの歴史と現状 武器
アボリジニの伝説 食べ物
聖地 映画
ディジュリドゥと神への踊り クイーンズランド州のアボリジニ
彫刻とペインティング


アボリジニの歴史と現状

歴史

オーストラリアにはもともとアボリジニーという先住民族が住んでいました。今のオーストラリア大陸に4〜5万年前から住んでいたといわれています。全部で400〜800種類の種族が共存し、種族によって異なった言葉を話します(つまり異なった種族同士は言葉が通じない)。彼らは、理想的な共産主義文化をもち、ほとんど争いがなかったとされています。しかし、アボリジニーの人々が争いを好まなかったことから、後から踏み込んできたヨーロッパ人によって彼らの土地や文化が簡単に破壊しつくされてしまったということです。

その後、政府の政策や保護のもと、オーストラリアにはまだたくさんのアボリジニーが住んでいて、独自の文化を伝え続けています。オーストラリアのいたるところに、アボリジナルアートや民族楽器のお店が並んでいます。かわいらしいデザインも目を引きます。ここを訪れる人たちはきっと一度は目にすることでしょう。

失われた世代(Stolen Generation)

過去にアボリジニーの子供達が、白人によって連れて行かれる時期がありました。これは、アボリジニーと白人の間に生まれた子供を、白人の社会で育てるために親から引き離し、施設で教育させるという政府の制度でした。子供たちは二度と家族のもとには戻れませんでした。その数は全体の30%に及びました。昨年このストーレンジェネレーションを題材にした映画が作られ反響をよびました。アボリジニーに対する根強い差別がこの国に存在することを公に認めたかのように思われます。

現状

アボリジニーはオーストラリア国内のあちこちに住んでいますが、少数派となり差別を受けることも少なくありません。今まで屋外で生活してきたために屋内で暮すことに慣れておらず、閉所恐怖症の人が多いといわれています。また、アルコールに対する耐性が弱いため、強度のアルコール依存症になっている人もよく見かけます。このため、他人にお金をせびったり、昼間からアルコールを飲んでふらふらしたりしている人も場所によっては目立つことがあります。彼らは風呂に入る習慣がなく、顔も独特なため、旅行者や住民に誤解され怖がられることもままあります。



アボリジニの伝説

アボリジニーの人たちは太古から伝えられる法律(伝説)を持ち、彼らの生活はこの法律によって守られています。ある例として、彼らは普通の名前のほかに、もうひとつ別の名前をもちます(男女別にそれぞれ4〜8種類ほどある)。彼らはこの名前によって、結婚できるかどうか決まります。これによって、近親相姦を防ぐことができます。また部族ごとに独立しているので病気の伝染も防げます。このため、ヨーロッパ人が入植してきた時に持ち込まれた病気で、人口が激減してしまったそうです。



聖地

アボリジニーは部族ごとに聖地を持っています。世界最大の一枚岩として有名なオーストラリアの中央部に位置するエアーズロックもそのひとつです。アナング族という種族の聖地で、彼らの言葉で「ウルル」と呼ばれ崇拝されています。ここは部族の中の数名しか登ることが許されていないそうですが、現在多くの観光客がこの地を訪れています。

観光を優先する政府とアボリジニーの間で長い間裁判が行われ、政府が敗訴する形で終わりました。エアーズロックはアナング族に返還されたのです。しかし、政府がエアーズロックの入場料の一部を部族に還元するという形で、現在も多くの登山客が登り続けています。みなさんはどう思われますか。けっこう深刻な問題です。



ティジュリドゥと神への踊り
アボリジニーの独特の民族楽器で、昔から精霊と交信するためのお祭りで使用していました。シロアリによって空洞化されたユーカリの木から作られた、2mほどの長い筒のような笛です。独特な呼吸法(鼻から吸い続けながら口から吐き続ける)を用いて音の高さを調節し、音楽を奏でます。太古の時代を連想させる神秘的な音がします。

神に祈るための儀式のひとつが踊りです。歓迎の踊りや別れの踊り、食料が手に入った時の踊りなどを、このディジュリドゥの音楽にあわせて踊ります。大変独特な動きで、面白いカンガルーダンスというのもあります。種族や目的によって異なり、テーマパークや道端など人が集まるところで見ることができます。



彫刻・ペインティング
アボリジナルアートは大変有名。カンガルーなどの動物の壁画がたくさん残っている。石を原料とした絵の具を使い、赤や黄、白、黒などが使われる。線や点を基本として、草から作った筆を手前から遠くへ押し出すように描く。壁画は北部で多く残っているそう。ショップではTシャツや壁紙にペインティングを施したものが売られている。


武器
ブーメラン、スピアー(槍)など。獲物を得るときに使っていたとされます。木でできたかわいいブーメランをショップで買うこともできます。色々な大きさがあり、お部屋の飾りとしても素敵です。


食べ物
芋虫(カミキリムシの幼虫でウィッチディクラブと呼ばれる)を火で軽くあぶったものはジューシーなピーナッツといった感じでおいしいようです。また、カンガルー、ワニ、大トカゲなどの肉も食べていたらしいそうです。現在でもカンガルーやワニのお肉を扱っているお店やレストランもあるので、オーストラリア旅行の記念に試してみるのもいいかもしれません。カンガルーピザなどもお薦めです。


映画

ラビット・プルーフ・フェンス(邦題:素足の1500マイル)

1931年、政府の「隔離・同化政策」によって幼い3人の少女は親から引き離され、強制的に寄宿舎に収容されてしまう。そこから、母の待つ故郷を目指して1500マイルもの距離を歩いて逃走する。

機会があればぜひご覧下さい。



クイーンズランド州のアボリジニ
クイーンズランドの南東部は天候に恵まれ食料の宝庫であったことより、一部族約50〜60人ぐらいで形成された多数の部族がこの地域に住んでいました。その中でもブリスベン地域にはジャガラ(Jagara)族とウンダンビ(Undanbi)族が住み、この地方で広範囲に渡り使われたターブル(Turrbul)語を言語としました。

獲物のいるところへ渡り移り住むアボリジニ族の食生活は、カンガルー、エミュー、バンディクーツ、トカゲ、ネズミ、蟻、芋虫、地虫、卵、魚、100種以上の植物、果物、蜂蜜などであり、食事の準備は一般的に男性が肉類を、女性が植物の根、木の実、貝類など用意します。特に決まった食事の時間をもちません。

アボリジニ族の成人式は、ボラ・リング(Bora Ring:丸く平らに盛りあげた大小の土地を500mの小道で結ぶ)に多数の部族が集まり神聖に行われました。成人を認められた後に、体に各部族を表す傷模様(切り傷をつけ炭の粉を擦り込んで作った模様)がつけられます。成人に達しない者と女性へは死に対しての痛みを見たり聞いたりすることが禁じられています。ブリスベンにボラ・リングの跡がケッぺラ(Keperra)、トゥーブル・ポイント(Toorbul Point)、サムフォード(Samford)、モギル(Moggill)地域に残っています。

アボリジニ族と白人との間に、土地に対しての考え方の根本的な違いがありまする。まず白人は土地は人が所有するものと考え、一方アボリジニ族は人が土地に属し聖なるものと考えています。もともとアボリジニ族は白人に対してとても友好的であり、例えばオーストラリア開拓当時の探検家へ水のある場所を教えるなど協力を惜しみませんでした。しかし、白人の入植が増え進むみしたがって、先住民・アボリジニ族の土地が奪われるようになり、土地をめぐって各地で小競り合いが発生しましたが、白人側では争いに全く関係しない地方のアボリジニ族を金銭で雇い、軍服と武器を与え自警軍を創り、結果的にアボリジニ族どうしで殺し合いが行われました。これをブラック・ウォー(Blak War)と呼びますが、19世紀末までクイーンズランドにおいて数千人のアボリジニ族が殺され、生き残ったアボリジニ族は部族が解体され土地を完全に失ってしまいました。

伝統的な狩猟の場・土地を失ったアボリジニ族は白人の食料に頼ることになりました。しかし、小麦・砂糖など食材の変化によって体調を崩すアボリジニ族が後を絶えませんでした。また土地を失うことにより、古い規律、習慣、言語なども同時に失ってしまったのです。オーストラリア政府や各教会は先住民・アボリジニを救済しようとするが、それは孤立した場所へ彼らを集めることで行われました。

1967年に行われた国民投票の結果、連邦議会にて先住民・アボリジニ族への特別法が制定されました。連邦政府はアボリジニ族が社会の一員になることを願い、一方、アボリジニ族は彼らの土地や将来について発言力の強化を願っています。1980年にザ・ナショナル・アボリジニ・コンファレンスが設立され、そこではアボリジニ族の要望を受け連邦政府へ提案する役目を果たしています。



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