日本:農家所得直接補償、自由化に耐えられる仕組み?
03.10.24
カンクンWTO閣僚会合でWTOドーハ・ラウンドが一休止になった。メキシコとの自由貿易協定(FTA)交渉も中断した。これ以上の貿易自由化の意味を問い直し、別の政策を工夫する絶好の機会が生まれた。しかし、政府はFTA締結の遅れに焦燥感を高め、農業を含めた「構造改革」指向を強めるばかりだ。アジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会談の傍らで行なわれた記者との懇談で、小泉首相は「農業鎖国はできない。農業構造改革はまったなしだ」と述べて物議をかもしている。日本経済新聞(10月24日)によれば、中川経済産業相は23日、同社とのインタビューで、FTA交渉推進に向けて「農業に限らずどの分野でも構造改革が必要」と語り、FTA締結を後押しするために国内の構造改革を進める姿勢を示したという。また、メキシコとのFTA交渉再開はで「きるだけ早いほうがいい」という首相の指示を受け、衆院後を目指す考えも強調したという。
農業貿易自由化・関税保護削減は不可避という認識が定着、そのなかで、すべての関係者が高関税を下げても農家が耐えられる仕組みを模索し始めた。そうした仕組みとして、農家の所得を補填するための直接支払いが脚光を浴びている。農水省は、日本農業の競争力不足は小規模兼業農家が多いことからくると、大規模農家に補助金を重点配分、さらに大規模農家に限定した所得補填直接支払いも考えているようだ。衆院選のマニフェストや公約は、ほとんどの党が価格支持(従って関税保護)を放棄、所得直接補償の導入を掲げている。その具体的方法は未だ不明確だが、補償は一定レベル以上の規模や所得の「担い手農家」に集中されそうである。所得補償も経済効率の高い大規模農家を育て、非効率な小規模農家・兼業農家を切り捨てる「構造改革」を加速するための手段と考えられているようだ。だが、それがもたらす結果はどんなものか、今こそ熟考する必要がある。そのためには、EUとフランスの例を見ておくことが有益であろう。
EUが一般的な所得補償直接支払い制度を導入したのは1992年の共通農業政策大改革(マクシャリー改革)によってである。その最大の目的は、高い保証価格で無制限に買い上げ、また輸出補助金(正確には払戻し金)によって売りさばく市場組織のために生じる過剰生産を解消することにあった。このような制度の維持は財政事情が許さなくなっていたが、フランスを中心とする各国の抵抗は、長年の間、改革を阻止してきた。ウルグアイ・ラウンドを通しての「外圧」が、ようやく改革を可能にした。ウルグアイ・ラウンドでは、保証価格を維持するために不可欠な可変輸入課徴金(輸入に際して、域内価格と世界市場のときどきの差額を徴収することで、域内価格を保証価格のレベルに保つ)の廃止・関税化の受け入れが不可避だったからだ。保証価格は引き下げられ、それによって生じる農家の所得損失を補う直接支払いが導入された。それは、穀物等の大規模耕種作物については面積に応じて支払われた。牛肉については、従来からあった頭数に応じた奨励金(肉用オス牛特別奨励金、肉用繁殖母牛奨励金)の引き上げの形で所得補償がなされた。
その結果はいかなるものであったのか。減反政策をと相まってのこの改革は、多少なりとも過剰の解消に貢献した。面積や頭数に応じた支払いは、受け取り補助金の増加を狙う規模拡大(小規模農家の吸収による経営集中)を刺激、中小農家は激減した。フランスでは、1979年から1990年の間に、農家数は126万3,000戸から92万4,000戸へと、年率2.4%で減少したが、この減少率はそれから6年の間に3.4%に高まり、1996年には73万5,000へと激減した。この間70ha未満の規模階層はすべて減少、小規模農家ほど減少率が高かった。100ha以上の農家は、79年から90年の間に3万5,000戸から4万4,000戸に増えただけだったが、それから96年までの間に7万戸へと急増した。
これはEUやフランスが狙った結果ではない。しかし、所得直接補償を最初から構造改革加速の手段をみなす日本には願ってもない結果であろう。おまけに、EUの直接支払いは小規模農家を除外するものではないが、日本ではこうした農家は支払いの対象から外されそうだから(そんなことがどうして許されるかは、ここでは問わない)、効果は一層劇的となる可能性もある(ただし、フランスなどに比べて兼業機会が多い日本では、兼業農家の追い出し効果は減殺される可能性もある)。だが、その結果、狙った競争力はどれだけ強化されるのだろうか。劇的な規模拡大と構造改革が進んだフランスでさえ、この意味での効果はほとんどなかった。世界市場における際限のない低価格競争は、フランスをますます苦境に追い込んだだけである。それこそが、1999年のフランス新農業基本法の動機となったのだ。
1999年新農業基本法の制定過程は、EUのアジェンダ2000のCAP改革過程と重なっている。CAP改革案を公式に討議する最初の機会となった1999年3月31日のEU農相理事会で、当時のルイ・ルパンセック農相は、「国際競争力の強化のために保証価格を一層引き下げ、その代償として農業者への直接援助を増やそうとするこの改革案が実施されれば、農業者の可処分所得に占める直接援助の比率は穀作農家で110%、畜産農家で220%にもなって、納税者に対して到底正当化できないし、再開間近の国際貿易交渉を乗り切ることもできない」と、このような直接援助政策を真っ向から批判、とりとめもない各国代表の演説に居眠りしていたフィシュラー委員を飛び上がらせた。
新基本法の提案理由説明のなかで、彼は、「欧州農業は最も競争力が強い世界の競争者と同じ価格で原料農産物を世界市場で売りさばくことを唯一の目標として定めるならば、破滅への道を走ることになる。それは、フランスの少なくとも30万の経営を破壊するような価格でのみ可能なことであり、それは誰も望んでいない。公権力の介入は、欧州、そして世界で商品化される得る高付加価値生産物の加工を助長するときにのみ意味をもつ」、「農業のための大きな公的支出は、それが雇用の維持・自然資源の保全・食料の品質の改善に貢献するかぎりでのみ、納税者に持続的に受け入れられる」と述べた。彼の言う構造改革とは、世界の原料農産物市場で対等の競争力をつけることではない。そんなことをしていれば、フランス農業は破滅、農村の雇用は失われ、農村コミュニティーは荒廃、食品安全(狂牛病、ダイオキシン汚染・・・)も環境保全も確保でなきない(以上は、北林寿信「方向転換目指すフランス農政」『レファレンス』99年3月号、同「フランス農業基本法の制定」『農業構造問題研究』2000年No.2を参照)。
こうして、新基本法は、経済的・社会的・環境的な多面的機能を同時に果たすための経営計画を立て・これを実行する農家を直接援助するCTEと呼ばれる契約制度を導入したのである。この援助を受ける農家(個別農家や農家集団)は、品質改善・多角化(加工・直販・ツーリズムなど)・有機農業などにより経営の経済機能を強化し、雇用の維持や拡大に貢献し、水質・草地・生物多様性(農用在来種の利用や保全も含む)・景観の保全や自然災害防止に貢献する、地方的状況に応じた多様な経営計画を策定、これを実行しなければならない。価格引き下げにともなう所得補償のような直接支払いはすぐに全廃できないが、すべての直接支払いがこのような形でのみ行なわれる方向を目指さねばならない。それによってのみ、農業政策は持続可能なものになるというのである。
ともあれ、世界の最も競争力ある競争者との低価格競争に狂奔するかぎり、フランスの農業・農村といえども破滅するしかない、これがルパンセック農相が発した銘記すべきメッセージである。そのために、今、先進国・途上国を問わず、世界のすべての国の農業と農村が危機的状況に追い込まれている。最強の競争力を誇る輸出国(例えばブラジルやアルゼンチン)でも、農産物輸出拡大優先戦略が経済多角化を阻み、環境を犠牲にし、貧富の差を拡大させ、貧困撲滅を遅らせている。突如として輸出依存の貧困軽減策を主張しはじめたオックスファムなどのNGOの影響力の増大が、これらの国の原料品輸出拡大最優先の戦略を加速している。輸出・外国依存の開発・貧困軽減政策も見直しの時期だ。それは、途上国間の競争も激化させ、弱小途上国の経済に深刻な打撃を与えている。
「市場依存を強めるよりも自己依存を強めることを優先する考えはオックスファムの思想にはない。グローバリゼーションの根本的オールターナティブの一つにローカリゼーションがある。これはローカルな生産を優先する政策で、ローカル経済を再建し、多角化する。これは、オックスファムが強調する市場アクセスを求める国々の間の破滅的競争への道とは反対の道だ。国際貿易は、ローカリゼーションにより、国内で得られないものを交換するという遠隔地貿易の本来の姿を取り戻す。
私が覚えているオックスファムのアプローチに対する第三世界の最も簡明な批判は、シアトルで聞いたものだ。公開討論会で、北の開発NGOの一メンバーが、貧困軽減への南の道は北への最大限の市場アクセスを与えられることにあるのかどうかと尋ねた。チリの草の根環境保護運動家のサラが答えた。”北の人々はなぜ輸出が我々に利益を与えると考えるのか。それは我々の環境を破壊し、不平等を拡大している”」(YES- KEVIN WATKINS (senior policy advisor at Oxfam UK) ,Is Oxfam right to insist that increased access to Northern markets is a solution to the Third World's problems?,The Ecologist)。
ついでに言えば、貿易関連輸送は地球温暖化の主要な原因の一つとされる二酸化炭素の排出を最も急速に増やしている部門の一つである。輸出または輸入への依存の増大は、この意味で地球環境への悪影響も大きい。米国は京都議定書拒否で温暖化対策を怠るばかりでなく(ただし、名誉のために言っておけば、多くの州政府は連邦政府の温暖化対策に不満をもち、訴訟さえ起こしてその強化を求めている⇒米国12州が温室効果ガス排出規制を求めて連邦政府を提訴,03.10.24)、巨額の巨大農場補助金が生み出す過剰農産物のダンピング輸出によっても、地球温暖化を加速していることになる。わが国産業界も、二酸化炭素削減のための経済的コストに不満を述べる前に、農産物・食料の輸入を減らすことを考えるべきである。
わが国の「国益」のためと称してFTA締結と「構造改革」を急ぐ人々には、自身の国へのその影響を熟慮する余裕もないのだから、まして協定相手国や地球への悪影響まで考える余裕はない。ただただ、協定に失敗すれば、わが国は「 」円の巨額の損失をこうむると言うのみだ。
「貧しいねキミらは」(「フーテンの寅」、立ち小便をタコ社長にとがめられて)。
関連情報:文献:ジャック・ベルテロ「世界の自滅的な農業政策
農業情報研究所(WAPIC)