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2010年01月21日女優・岡田茉莉子が自伝 夫・吉田喜重との映画人生
俳優生活が半世紀を超える岡田茉莉子さんが昨年末、自伝「女優 岡田茉莉子」(文藝春秋)を出版した。今も第一線で活躍する名優が歩んだ記録は、優れた女優論、映画論であり、貴重な戦後映画史ともいえる。中でも夫で福井市出身の映画監督、吉田喜重さんとの映画製作に関して多くの紙幅が割かれ、公私にわたる名パートナーとしてのエピソードが興味深い。
2人は松竹在籍時に出会う。看板女優だった岡田さんが映画出演100本記念映画として「秋津温泉」(1962年)を企画・プロデュース・主演し、吉田さんが監督した。当時、20代の吉田さんは大島渚、篠田正浩らとともに、気鋭の映画監督として“松竹ヌーベル・バーグ(新しい波)”と称され、注目を浴びていた。初監督作「ろくでなし」(60年)を見て吉田さんの才能にほれ込み、監督に指名したのが岡田さんだった。
「秋津温泉」は松竹伝統のメロドラマの定型を踏まえた男女のすれ違いを描きながら、日本人の精神史を二重写しにする官能的な映画だった。岡田さん演じる主人公は戦後、戦時の抑圧から自由を得ながらも堕落していく恋人に絶望して自殺する。松竹在籍時の吉田さんの映画は、戦中と同じように均質化を求める権力構造に、戦後も変わらず従順な日本人の共同体意識を通し、抵抗者の受難を浮き彫りにしている。
「秋津温泉」は多くの賞を受け、2人は64年に結婚する。しかし同年に封切られた映画「日本脱出」のトラブルで吉田さんが松竹を退社。岡田さんも行動をともにして独立プロを設立する。岡田さんを主役に据えた60年代後半から70年代にかけての連作は、女性という男性にとっては他者の視線から、また個人思想と権力構造の緊張関係から、家父長制支配に象徴される家族や国家の虚構を暴く。
商業映画と一線を画して「作家の映画」を貫く吉田さんの一つの到達点が関東大震災時、憲兵隊に殺された伊藤野枝を岡田さんが演じた「エロス+虐殺」(70年)といえる。
吉田さんの直近作は2003年の「鏡の女たち」。広島で被爆した女性の家族の生きざまを通し、戦争の不条理を浮かび上がらせた。岡田さんの熱演が光り、吉田さんの12歳での福井大空襲の被災体験も投影されている。世界的な核廃絶が問われている今こそ、再見されるべき1本だろう。
「鏡の女たち」の公開を契機に、吉田さんのすべての劇映画19本はDVD全集に収められ、評論集「吉田喜重 変貌(へんぼう)の倫理」(青土社)、解説本「吉田喜重の全体像」(作品社)も刊行された。また近年、吉田さんの評価が海外で高まっており、仏や米などで回顧上映が行われた。同い年の2人は今年、喜寿を迎える。再び岡田さんとのコラボレーションで吉田さんの新作が実現し、文字通りの“喜びの年”となることを期待する。