「邪推」の言い訳
「敵・味方思考」シリーズの最後をアップする前に、たんぽぽさんが反論めいた記事を挙げていますので、軽く?押さえておきます。
あちらで、「愛をこめて」という、内容とタイトルが全く乖離した記事があがっています。
内容は簡単に言えば、
「あれは邪推じゃなく正当な推測だ。お玉は違うというなら証拠を見せろ」
という、笑っちゃう内容ですので、軽くお料理させていただきます。
> わたしの知るかぎり、本来の民主党の支持層や、
> 浅野氏の直接の支援者は、「共産党の独自候補」論争には
> ほとんどかかわっていなかったと思います。
この文章は問題だらけです。
1.「わたしの知るかぎり」の具体的な情報は何一つ示されていないので、そんな情報が本当に一つでもあったのかすら、読者には分からない。
2.「本来の民主党の支持層」「浅野氏の直接の支援者」とは、誰の事を指しているのか不明。「東プロ」は、これに当てはまらないとか、後付けで見苦しい言い訳しそう。
3.「わたしの知るかぎり」と言う以上、当然限定情報である。その限定情報が正しいという根拠すら提示できないまま、「思います」との結論を述べる。
こういうのは、「推論」ではなく「妄想」ですね。
>よって、共産党やその周辺の人たちが、お玉おばさんの、
>このあとの考察に関するメインの情報源と、考えたしだいです。
結局、なぜそう「考えた」のか?という「事実」に基く根拠提示が一つもありません。
>お玉おばさんは、「根拠なく雰囲気だけで」なんて、
>わたしのエントリのことを書いています。
>しかし、このように、根拠があって判断できることで、
>「雰囲気だけ」ではないし、「邪推」でもないことです。
ここまで、事実根拠はまだ一つも提示されていません。
>「雰囲気」という単語にこだわっていますが、
>「どうもそのようだ」くらいの、推測の意味合いです。
爆笑!それって、全く同じですよ。
で、たんぽぽさんがこの記事で反論(出来ていないが)しようとしたのは、元記事の
>都知事選のときの、お玉おばさんの情報源は、
>当時のブログを見たところ、どうも共産党系と右翼系のブログばっかりで、
>民主党や浅野サイドのブログは、ほとんど見ていない雰囲気です。
の部分だけ。
で、「雰囲気」や「どうもそのようだ」という事実証明がなんら出来ていない事を根拠に、「そうだとすると」と、以下の「邪推」が爆発している点については何の釈明もない。
>そうだとすると、情報ソースが偏っているわけで、
>それで、共産党シンパの言うことを、そのまま信じて
>共産党候補が理不尽な目にあっていると、思い込んだのかもしれないです。
>
>神戸市長選は、自分の地元で、選挙運動にも関わったので、
>樫野サイドの内情が、よく見えていたものと思います。
>それで共産党が理不尽なことをしていると、わかったのでしょう。
>
>それでも、そこらへんの共産党支持者であれば、
>開き直ったり、自己正当化の強弁をするだけでしょう。
>こんどの神戸市長選でも、共産党に批判の眼を向けているし、
>お玉おばさんは、まだまともなほうなのかもしれないです。
「どうもそのようだ」と、事実確認もしていない(そもそもできようがない)感想を事実であると仮定し、「そうだとすると」と「邪推」を次々と展開していく。
これらは全て、根拠提示がゼロであり、事実であるかという評価の命題にすら値しない。
まともな論者なら、自らの主張の根拠には一番気を使うはずだが、全く根拠提示を行わず、全て仮定を事実にして積み上げる。
で、その中身は、お玉おばさんや共産党への中傷である。
では、この文章の目的はなんなのか?という事だが、「邪推 (たんぽぽのなみだ〜運営日誌)」の記事でも明らかにしたように、お玉おばさんが実際にどう考えたのか、「神戸市長選挙」がどうだったか、なんてこの方には実はどうでもいいのである。
単にそれをネタにしてお玉さんと共産党を叩きたかった、中傷したかったと理解するのが適切でしょう。そんな記事を盲目的に擁護しようとする人が、まだ残っているのが不思議ですが、きっと「敵・味方思考」から抜け出られないからだろうと「邪推」しちゃいます。
あと、ここも笑わせていただきました。
>わたしの10月29日エントリの主旨は、
>お玉おばさんが、過去から現在にいたるまで、
>どのように考えが変わった(と思われる)かです。
とうとう、そんな何の価値も無い事が「主旨」だと白状しちゃいました。
「他人の考えの変遷」を「推測」することに、どんな意味と価値があるのか?教えて欲しいものです。
仮に、どうしても知りたかったのなら直接聞けばよい。
勝手に「邪推」する言い訳には全くなりません。
ただ、このブログを始めて確信しましたが、このたんぽぽさんの行為の本性は、もうすでに多くの方、かつてのたんぽぽさんのお仲間からすらも見透かされ、もはや相手にされていないようです。こちらの何倍ものアクセスがありながら、拍手やコメントを残す方がほとんどいらっしゃらず、ウォッチャーは沢山いるが、賛同者は極少数という孤立ぶりです。
全くの新参ブログであるこちらの情況と比べてみると、これまで述べてきたたんぽぽさんとその残存取り巻きさんたちの行為が、全く支持されていないことが本当に実感されます。
#ちなみに、信じるかどうかは知りませんが、自分で自分の記事に拍手を入れるような自作自演行為を私はしていませんからね。
自業自得とはいえ、ちょっと哀れですね。
あちらで、「愛をこめて」という、内容とタイトルが全く乖離した記事があがっています。
内容は簡単に言えば、
「あれは邪推じゃなく正当な推測だ。お玉は違うというなら証拠を見せろ」
という、笑っちゃう内容ですので、軽くお料理させていただきます。
> わたしの知るかぎり、本来の民主党の支持層や、
> 浅野氏の直接の支援者は、「共産党の独自候補」論争には
> ほとんどかかわっていなかったと思います。
この文章は問題だらけです。
1.「わたしの知るかぎり」の具体的な情報は何一つ示されていないので、そんな情報が本当に一つでもあったのかすら、読者には分からない。
2.「本来の民主党の支持層」「浅野氏の直接の支援者」とは、誰の事を指しているのか不明。「東プロ」は、これに当てはまらないとか、後付けで見苦しい言い訳しそう。
3.「わたしの知るかぎり」と言う以上、当然限定情報である。その限定情報が正しいという根拠すら提示できないまま、「思います」との結論を述べる。
こういうのは、「推論」ではなく「妄想」ですね。
>よって、共産党やその周辺の人たちが、お玉おばさんの、
>このあとの考察に関するメインの情報源と、考えたしだいです。
結局、なぜそう「考えた」のか?という「事実」に基く根拠提示が一つもありません。
>お玉おばさんは、「根拠なく雰囲気だけで」なんて、
>わたしのエントリのことを書いています。
>しかし、このように、根拠があって判断できることで、
>「雰囲気だけ」ではないし、「邪推」でもないことです。
ここまで、事実根拠はまだ一つも提示されていません。
>「雰囲気」という単語にこだわっていますが、
>「どうもそのようだ」くらいの、推測の意味合いです。
爆笑!それって、全く同じですよ。
で、たんぽぽさんがこの記事で反論(出来ていないが)しようとしたのは、元記事の
>都知事選のときの、お玉おばさんの情報源は、
>当時のブログを見たところ、どうも共産党系と右翼系のブログばっかりで、
>民主党や浅野サイドのブログは、ほとんど見ていない雰囲気です。
の部分だけ。
で、「雰囲気」や「どうもそのようだ」という事実証明がなんら出来ていない事を根拠に、「そうだとすると」と、以下の「邪推」が爆発している点については何の釈明もない。
>そうだとすると、情報ソースが偏っているわけで、
>それで、共産党シンパの言うことを、そのまま信じて
>共産党候補が理不尽な目にあっていると、思い込んだのかもしれないです。
>
>神戸市長選は、自分の地元で、選挙運動にも関わったので、
>樫野サイドの内情が、よく見えていたものと思います。
>それで共産党が理不尽なことをしていると、わかったのでしょう。
>
>それでも、そこらへんの共産党支持者であれば、
>開き直ったり、自己正当化の強弁をするだけでしょう。
>こんどの神戸市長選でも、共産党に批判の眼を向けているし、
>お玉おばさんは、まだまともなほうなのかもしれないです。
「どうもそのようだ」と、事実確認もしていない(そもそもできようがない)感想を事実であると仮定し、「そうだとすると」と「邪推」を次々と展開していく。
これらは全て、根拠提示がゼロであり、事実であるかという評価の命題にすら値しない。
まともな論者なら、自らの主張の根拠には一番気を使うはずだが、全く根拠提示を行わず、全て仮定を事実にして積み上げる。
で、その中身は、お玉おばさんや共産党への中傷である。
では、この文章の目的はなんなのか?という事だが、「邪推 (たんぽぽのなみだ〜運営日誌)」の記事でも明らかにしたように、お玉おばさんが実際にどう考えたのか、「神戸市長選挙」がどうだったか、なんてこの方には実はどうでもいいのである。
単にそれをネタにしてお玉さんと共産党を叩きたかった、中傷したかったと理解するのが適切でしょう。そんな記事を盲目的に擁護しようとする人が、まだ残っているのが不思議ですが、きっと「敵・味方思考」から抜け出られないからだろうと「邪推」しちゃいます。
あと、ここも笑わせていただきました。
>わたしの10月29日エントリの主旨は、
>お玉おばさんが、過去から現在にいたるまで、
>どのように考えが変わった(と思われる)かです。
とうとう、そんな何の価値も無い事が「主旨」だと白状しちゃいました。
「他人の考えの変遷」を「推測」することに、どんな意味と価値があるのか?教えて欲しいものです。
仮に、どうしても知りたかったのなら直接聞けばよい。
勝手に「邪推」する言い訳には全くなりません。
ただ、このブログを始めて確信しましたが、このたんぽぽさんの行為の本性は、もうすでに多くの方、かつてのたんぽぽさんのお仲間からすらも見透かされ、もはや相手にされていないようです。こちらの何倍ものアクセスがありながら、拍手やコメントを残す方がほとんどいらっしゃらず、ウォッチャーは沢山いるが、賛同者は極少数という孤立ぶりです。
全くの新参ブログであるこちらの情況と比べてみると、これまで述べてきたたんぽぽさんとその残存取り巻きさんたちの行為が、全く支持されていないことが本当に実感されます。
#ちなみに、信じるかどうかは知りませんが、自分で自分の記事に拍手を入れるような自作自演行為を私はしていませんからね。
自業自得とはいえ、ちょっと哀れですね。
tag : 敵味方思考
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そのような「雰囲気」です
Looperさん
>お玉おばさんは、「根拠なく雰囲気だけで」なんて、
>わたしのエントリのことを書いています。
>しかし、このように、根拠があって判断できることで、
>「雰囲気だけ」ではないし、「邪推」でもないことです。
こうして読むと、たんぽぽさんの「根拠」の概念は、一般的な意味とは違うのかもしれませんね。「根拠がある」と書けば、それが根拠になる、という意味合いかもしれません。
この場合、たんぽぽさんが提示する根拠は、当時の(お玉おばさんの)ブログから、「共産党系と右翼系のブログばっかり」「民主党や浅野サイドのブログは、ほとんど見ていない雰囲気です」と、推測した部分を引用して提示することで、なのにほとんどしていませんね。唯一引用していたのは、
========
浅野さんの批判記事を右翼系ブログでも
共産党ブログでもたくさん紹介してありました。
========
で、この部分だけ。まさか、「たくさん紹介してありました」から「共産党系と右翼系のブログばっかり」を推測したのでしょうか。そのような「雰囲気」です。
>お玉おばさんは、「根拠なく雰囲気だけで」なんて、
>わたしのエントリのことを書いています。
>しかし、このように、根拠があって判断できることで、
>「雰囲気だけ」ではないし、「邪推」でもないことです。
こうして読むと、たんぽぽさんの「根拠」の概念は、一般的な意味とは違うのかもしれませんね。「根拠がある」と書けば、それが根拠になる、という意味合いかもしれません。
この場合、たんぽぽさんが提示する根拠は、当時の(お玉おばさんの)ブログから、「共産党系と右翼系のブログばっかり」「民主党や浅野サイドのブログは、ほとんど見ていない雰囲気です」と、推測した部分を引用して提示することで、なのにほとんどしていませんね。唯一引用していたのは、
========
浅野さんの批判記事を右翼系ブログでも
共産党ブログでもたくさん紹介してありました。
========
で、この部分だけ。まさか、「たくさん紹介してありました」から「共産党系と右翼系のブログばっかり」を推測したのでしょうか。そのような「雰囲気」です。
これはひどい
たんぽぽさんの所は、コメント欄が痛々しいことになっていますね。顔ぶれがすごい。ja e w ckさんにja e w ckさん、それから……あれ?
なるほど、「筋金入りのホンモノ」「ラストスター」だけが残ったと。確かに『すごい』顔ぶれ。違う意味で痛々しい。
もっとも、たんぽぽさんが誰からも相手にされない事実は、彼にとって(※)主観的には意味薄いでしょう。彼には自分が無いのだから。
彼は自分が嫌われていると言い、Looperさんの拍手数やらんきーブログをひいて、『数の暴力に圧殺される少数かつ正当なワタシ』を演出する。
反対に波に乗っている時は、自ら火をつけて廻って、「この人が批判されていますよ」「ここが火事ですよ」とやる。『多くの人に支持されている正当なワタシ』を。
なるほど、「この人が批判されている」「ここが火事」なのは事実でしょう。しかし、“批判”しているのはたんぽぽさん自身、火事にしているのはたんぽぽさん自身。自分がやっていることを、あたかも「みんな」がやっているかのようにすり替える。本当に自分の言論に自信があれば、このようなことはしない。誰が何と言おうと「私が批判する」「私が火を起こす」。
たんぽぽさんの行動は、常に「みんなに良く思われたい」ということ。自分でまいた火種を、あたかも公然のもののようにすり替えることで、人から認知されたいとす。自分に不利な時は、周囲に泣いてみせて同情を引こうとする。
愛されたい、それがたんぽぽさんの行動原理。
(※)彼でなく彼女かも知れませんが、たんぽぽさんが称する性別も年齢も、一切どうでもいい。顔写真はもっと要らない。かつさんが言う通り、「あなたが思っているほど、人はあなたのことなど気にかけちゃいない」。
ちなみに、『これはひどい』を愛用する自称翻訳家がいます。おやおや、カントまで出てきたぞ。
しかしこれは、もともと出来の酷いゲームを揶揄して使われたオタク用語。若者が愛用するのには自然な言葉ですが、およそ言論に関わろうとする者が流行感覚で染まるとなれば、その言語センスは腐臭を放っている。遊びで言論を為すような者がリベラルならば、私はリベラルでなくていい。
なるほど、「筋金入りのホンモノ」「ラストスター」だけが残ったと。確かに『すごい』顔ぶれ。違う意味で痛々しい。
もっとも、たんぽぽさんが誰からも相手にされない事実は、彼にとって(※)主観的には意味薄いでしょう。彼には自分が無いのだから。
彼は自分が嫌われていると言い、Looperさんの拍手数やらんきーブログをひいて、『数の暴力に圧殺される少数かつ正当なワタシ』を演出する。
反対に波に乗っている時は、自ら火をつけて廻って、「この人が批判されていますよ」「ここが火事ですよ」とやる。『多くの人に支持されている正当なワタシ』を。
なるほど、「この人が批判されている」「ここが火事」なのは事実でしょう。しかし、“批判”しているのはたんぽぽさん自身、火事にしているのはたんぽぽさん自身。自分がやっていることを、あたかも「みんな」がやっているかのようにすり替える。本当に自分の言論に自信があれば、このようなことはしない。誰が何と言おうと「私が批判する」「私が火を起こす」。
たんぽぽさんの行動は、常に「みんなに良く思われたい」ということ。自分でまいた火種を、あたかも公然のもののようにすり替えることで、人から認知されたいとす。自分に不利な時は、周囲に泣いてみせて同情を引こうとする。
愛されたい、それがたんぽぽさんの行動原理。
(※)彼でなく彼女かも知れませんが、たんぽぽさんが称する性別も年齢も、一切どうでもいい。顔写真はもっと要らない。かつさんが言う通り、「あなたが思っているほど、人はあなたのことなど気にかけちゃいない」。
ちなみに、『これはひどい』を愛用する自称翻訳家がいます。おやおや、カントまで出てきたぞ。
しかしこれは、もともと出来の酷いゲームを揶揄して使われたオタク用語。若者が愛用するのには自然な言葉ですが、およそ言論に関わろうとする者が流行感覚で染まるとなれば、その言語センスは腐臭を放っている。遊びで言論を為すような者がリベラルならば、私はリベラルでなくていい。
Re: そのような「雰囲気」です
ガイヤルドさん、
> で、この部分だけ。まさか、「たくさん紹介してありました」から「共産党系と右翼系のブログばっかり」を推測したのでしょうか。そのような「雰囲気」です。
はい、で、それが本当だという「根拠」提示はやっぱり無いのです。
しかも、Tさんが根拠としてあげたお玉さんのエントリーでは、浅野支持派のコメントを引用して紹介していて、他を見るまでもなく、その「邪推」の「根拠」は最初から破綻しているんですね。
実は、その「雰囲気」すらなかったんです。
> で、この部分だけ。まさか、「たくさん紹介してありました」から「共産党系と右翼系のブログばっかり」を推測したのでしょうか。そのような「雰囲気」です。
はい、で、それが本当だという「根拠」提示はやっぱり無いのです。
しかも、Tさんが根拠としてあげたお玉さんのエントリーでは、浅野支持派のコメントを引用して紹介していて、他を見るまでもなく、その「邪推」の「根拠」は最初から破綻しているんですね。
実は、その「雰囲気」すらなかったんです。
Re: これはひどい
論理派さん、
> 愛されたい、それがたんぽぽさんの行動原理。
なるほど・・・
確かに、盲目的愛を与えてくれる人を求め続けているように思いますね。
お姫様願望が強いのかな?
だから、愛を与えてくれる人とくれない人という区別=「敵・味方思考」をするのかもしれませんね。
と「邪推」しておきます(爆
でも、それが真逆の結果を生んでいることが痛い。
> ちなみに、『これはひどい』を愛用する自称翻訳家がいます。おやおや、カントまで出てきたぞ。
ああ、「ブーメラン」という言葉がやたらお好きなブーメランさんですね。
偉人の言葉を引用するのがお好きなようですが、言ってるそばからそれに反するダブスタ行為をしている自分にどうして気がつかないのだろう???と、不思議に思います。
あれで、言行さえ一致していれば尊敬を得られるのに・・・ああ、もったいない・・・
> 愛されたい、それがたんぽぽさんの行動原理。
なるほど・・・
確かに、盲目的愛を与えてくれる人を求め続けているように思いますね。
お姫様願望が強いのかな?
だから、愛を与えてくれる人とくれない人という区別=「敵・味方思考」をするのかもしれませんね。
と「邪推」しておきます(爆
でも、それが真逆の結果を生んでいることが痛い。
> ちなみに、『これはひどい』を愛用する自称翻訳家がいます。おやおや、カントまで出てきたぞ。
ああ、「ブーメラン」という言葉がやたらお好きなブーメランさんですね。
偉人の言葉を引用するのがお好きなようですが、言ってるそばからそれに反するダブスタ行為をしている自分にどうして気がつかないのだろう???と、不思議に思います。
あれで、言行さえ一致していれば尊敬を得られるのに・・・ああ、もったいない・・・
小人ども(笑)
>でも、それが真逆の結果を生んでいることが痛い。
この辺については、たんぽぽさんが時々表明している親嫌いに何か要因がある……のかも知れません。
愛されたいと願う気持ちの強い人は、しばしば無理難題や出鱈目な要求をして、それでも無条件の「あるがままの私」を肯定してくれる相手を求めます。いわば、他人に対して試練を与える。
「わたしを愛せよ」との試練を。
無論、その願いは叶えられませんが、そうするとこの人は自分を愛さない他者そのものを憎悪するようになる。自分は不当に虐げられている、悪いのはみんな他者だ……と。
しかし、たんぽぽさんの精神構造を詮索しても無意味なことです。どのような背景があろうと、ネット上の他者を愛することはできないし、また「ネット人格」とやらに価値は無い。私達はただ、紡がれた言葉のみを介して論じたり考えるだけですから。
ただ、皮肉でなく、たんぽぽさんには専門家や身近な人間と向き合って欲しいと思います。
>ああ、「ブーメラン」という言葉がやたらお好きなブーメランさんですね。
この「かつ」なる怪人は、ある意味において興味深いサンプルですね。
私達は、立派な人間を見ては我が身の小ささに恥ずかしくなったり奮起したりし、おかしな人間を見てはこっちまで恥ずかしくなってしまう。
それは、無自覚の内に私達が他者の行いを、自分のことのように追体験しているからです。「共感」能力と言ってもいいかも知れません。偉人の行いを自分ならどうするだろうとシミュレートしたり、ネット上の論争程度で敵だ味方だ悪意だ邪推だのと大騒ぎする小人どもを見ては「自分がもしこんな事をやっていたなら……」と逃げ出したくなる。
これは、理性と呼ぶべきものなのだと思います。先に、これは共感能力だと書きましたが、同時に人に備わった理性でもある。良いものを模倣し、悪いものを検討した上で取り除く。この働きがあるからこそ、社会は前進し人間は信頼できる。
さて、このかつ先生。それなりに読書はしているようです。しかし残念ながら、先哲の言葉を読んでも、それを「自分のことのように追体験」できていない。その眼鏡は空しく黒インキの上をなどってゆくだけで、天才の遺産を前にしても「自分もかくありたい」とまるで思ったためしがない。
だから冒涜的にも、ただ天才の言葉を借りパクするだけで、何一つ彼の中には残っちゃいない。言行不一致がここに極まる。理性が無い。偉人を見て、自分も前進しようとする理性が無い。だから劣る。
はきだめのゴミ共にはそれでも生き字引のように見えるのかも知れませんが、それこそ鳥なき里の蝙蝠。世の中には、哲人の言動に見習ってどこまでも理性を高めてゆく人間がゴロゴロしている事実は、指摘しておかなければならないでしょう。
そこで彼氏には、シェイクスピアの著名な一節をもって代表させるのがふさわしいでしょう。
『悪魔でも聖書をひくことができる。身勝手な目的にな。』
この辺については、たんぽぽさんが時々表明している親嫌いに何か要因がある……のかも知れません。
愛されたいと願う気持ちの強い人は、しばしば無理難題や出鱈目な要求をして、それでも無条件の「あるがままの私」を肯定してくれる相手を求めます。いわば、他人に対して試練を与える。
「わたしを愛せよ」との試練を。
無論、その願いは叶えられませんが、そうするとこの人は自分を愛さない他者そのものを憎悪するようになる。自分は不当に虐げられている、悪いのはみんな他者だ……と。
しかし、たんぽぽさんの精神構造を詮索しても無意味なことです。どのような背景があろうと、ネット上の他者を愛することはできないし、また「ネット人格」とやらに価値は無い。私達はただ、紡がれた言葉のみを介して論じたり考えるだけですから。
ただ、皮肉でなく、たんぽぽさんには専門家や身近な人間と向き合って欲しいと思います。
>ああ、「ブーメラン」という言葉がやたらお好きなブーメランさんですね。
この「かつ」なる怪人は、ある意味において興味深いサンプルですね。
私達は、立派な人間を見ては我が身の小ささに恥ずかしくなったり奮起したりし、おかしな人間を見てはこっちまで恥ずかしくなってしまう。
それは、無自覚の内に私達が他者の行いを、自分のことのように追体験しているからです。「共感」能力と言ってもいいかも知れません。偉人の行いを自分ならどうするだろうとシミュレートしたり、ネット上の論争程度で敵だ味方だ悪意だ邪推だのと大騒ぎする小人どもを見ては「自分がもしこんな事をやっていたなら……」と逃げ出したくなる。
これは、理性と呼ぶべきものなのだと思います。先に、これは共感能力だと書きましたが、同時に人に備わった理性でもある。良いものを模倣し、悪いものを検討した上で取り除く。この働きがあるからこそ、社会は前進し人間は信頼できる。
さて、このかつ先生。それなりに読書はしているようです。しかし残念ながら、先哲の言葉を読んでも、それを「自分のことのように追体験」できていない。その眼鏡は空しく黒インキの上をなどってゆくだけで、天才の遺産を前にしても「自分もかくありたい」とまるで思ったためしがない。
だから冒涜的にも、ただ天才の言葉を借りパクするだけで、何一つ彼の中には残っちゃいない。言行不一致がここに極まる。理性が無い。偉人を見て、自分も前進しようとする理性が無い。だから劣る。
はきだめのゴミ共にはそれでも生き字引のように見えるのかも知れませんが、それこそ鳥なき里の蝙蝠。世の中には、哲人の言動に見習ってどこまでも理性を高めてゆく人間がゴロゴロしている事実は、指摘しておかなければならないでしょう。
そこで彼氏には、シェイクスピアの著名な一節をもって代表させるのがふさわしいでしょう。
『悪魔でも聖書をひくことができる。身勝手な目的にな。』
Re: 小人ども(笑)
論理派さん、
> ただ、皮肉でなく、たんぽぽさんには専門家や身近な人間と向き合って欲しいと思います。
ネットで自分に都合の良いというだけで真偽も定かでないものを探してきては、「人叩き」のネタとして使うだけですから、人ときちんと向き合ったことがないのだろうという推測は、それほど外れていないのだろう思います。
> 『悪魔でも聖書をひくことができる。身勝手な目的にな。』
もう、なんだか彼は引きこもっちゃった感じですね。
たんぽぽさんも、こちらの指摘には何一つ答えられず黙したまま、関係のない中傷を悔しそうにするだけとなりました。
パピヨンさんは、あれだけ字数を使っても、さつきさんの指摘を何も否定できずにいる。
事実と論理に無頓着だと、あーなってしまうのでしょうかね?
これが皆さんの教訓となれば、全くの無駄ではないのかもしれません。
> ただ、皮肉でなく、たんぽぽさんには専門家や身近な人間と向き合って欲しいと思います。
ネットで自分に都合の良いというだけで真偽も定かでないものを探してきては、「人叩き」のネタとして使うだけですから、人ときちんと向き合ったことがないのだろうという推測は、それほど外れていないのだろう思います。
> 『悪魔でも聖書をひくことができる。身勝手な目的にな。』
もう、なんだか彼は引きこもっちゃった感じですね。
たんぽぽさんも、こちらの指摘には何一つ答えられず黙したまま、関係のない中傷を悔しそうにするだけとなりました。
パピヨンさんは、あれだけ字数を使っても、さつきさんの指摘を何も否定できずにいる。
事実と論理に無頓着だと、あーなってしまうのでしょうかね?
これが皆さんの教訓となれば、全くの無駄ではないのかもしれません。
誤解や間違いがあった時に・・
あのね、本当は一言ごめんって言ってくれれば済んだことなんだよね。
さすがにちょっと怖かったよ・・
とにかくわたしの過去記事を何十も収集していた場所がプライベートモードになってホッとしています。。どなたか知りませんが、彼(彼女?)に助言くださってありがとうございます。
過去4年を振りければうちなんて、「これはひどい」記事満載ですから・・
さすがにちょっと怖かったよ・・
とにかくわたしの過去記事を何十も収集していた場所がプライベートモードになってホッとしています。。どなたか知りませんが、彼(彼女?)に助言くださってありがとうございます。
過去4年を振りければうちなんて、「これはひどい」記事満載ですから・・
Re: 誤解や間違いがあった時に・・
お玉さん、
> あのね、本当は一言ごめんって言ってくれれば済んだことなんだよね。
> さすがにちょっと怖かったよ・・
orz...
あの〜、ちょっと外しすぎ、認識甘すぎです。
「誤解や間違い」だったら確かに「ごめん」と言えるかもね。
でもあれは、「誤解」でも「間違い」でもなく、意図的な確信犯。
「ごめん」なんて対応の選択肢は、Tさんには最初からありませんよ。
> とにかくわたしの過去記事を何十も収集していた場所がプライベートモードになってホッとしています。。どなたか知りませんが、彼(彼女?)に助言くださってありがとうございます。
それも甘いな〜
いつまたオープンにするか分かったもんじゃないと思うけど?
> あのね、本当は一言ごめんって言ってくれれば済んだことなんだよね。
> さすがにちょっと怖かったよ・・
orz...
あの〜、ちょっと外しすぎ、認識甘すぎです。
「誤解や間違い」だったら確かに「ごめん」と言えるかもね。
でもあれは、「誤解」でも「間違い」でもなく、意図的な確信犯。
「ごめん」なんて対応の選択肢は、Tさんには最初からありませんよ。
> とにかくわたしの過去記事を何十も収集していた場所がプライベートモードになってホッとしています。。どなたか知りませんが、彼(彼女?)に助言くださってありがとうございます。
それも甘いな〜
いつまたオープンにするか分かったもんじゃないと思うけど?
No title
私が、よく締め出されるブログで言っていることで、最も発言しているのは、まさにこのエントリー記事。
立場の違いなんかよりも、こっちの方が重要な問題なんだよね。
特に、人生や命を賭けて実際に取り組んでいる人がいたり、あるいは、専門知識を要するものなどについては、中途半端な根拠や自分の思いだけで批判したり非難するのはNG。
でも、匿名性に甘えているせいか、こういう指摘をすれば反発をするだけで反省がない。そういうマインドが、今ならばネット言論での人権侵害を招いたり、過去においては関東大震災のときの朝鮮人虐殺事件につながったという戒めがない。
日本国憲法第三章については、「一から作り直すつもりで」憲法を作成した方がいいような気がするよ。条文そのものを改正するのではなく「自由とは何か」「権利とは何か」を、国民全員が正しく理解し、その理解の下に、正しくつかわれるマインドを醸成するためにも、「変える変えない」ではなく、「建設する」という意味での『作業』が必要なんだろう。
立場の違いなんかよりも、こっちの方が重要な問題なんだよね。
特に、人生や命を賭けて実際に取り組んでいる人がいたり、あるいは、専門知識を要するものなどについては、中途半端な根拠や自分の思いだけで批判したり非難するのはNG。
でも、匿名性に甘えているせいか、こういう指摘をすれば反発をするだけで反省がない。そういうマインドが、今ならばネット言論での人権侵害を招いたり、過去においては関東大震災のときの朝鮮人虐殺事件につながったという戒めがない。
日本国憲法第三章については、「一から作り直すつもりで」憲法を作成した方がいいような気がするよ。条文そのものを改正するのではなく「自由とは何か」「権利とは何か」を、国民全員が正しく理解し、その理解の下に、正しくつかわれるマインドを醸成するためにも、「変える変えない」ではなく、「建設する」という意味での『作業』が必要なんだろう。