市有地を地域の神社に無償で使わせていることは、憲法の政教分離原則に反するかどうか。最高裁大法廷は「違憲」の判断をした。行政は少数者の宗教や良心の自由へ配慮がいっそう求められよう。
北海道砂川市にある小さな神社は、市有地の上に町内会館と一体となって立っている。祠(ほこら)や鳥居などもある。町内会に市が無償で提供している形だ。
神職はおらず、管理や運営は町内の氏子集団で行っている。ただ、お祭りの時には、神職や巫女(みこ)が来て、お祓(はら)いなどの宗教的行事もしている。
憲法では政教分離原則を規定するが、とくに八九条で「公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは団体の使用、便益もしくは維持のため、支出してはならない」と定めている。
最高裁はこの条文を踏まえ、無償提供により「氏子集団の宗教活動を容易にしている。一般人から見て、特別の便益を提供し、援助していると評価されてもやむを得ない」とし、「違憲」に導いた。「一般人の目から見た評価」というポイントに重点を置いた新視点で判断したといえよう。
政教分離原則をめぐる最高裁の憲法判断は十一件あるが、「違憲」となったのは、一九九七年の愛媛玉ぐし料訴訟判決以来、二件目である。公有地上の宗教施設は、一説には全国に二千以上あるともいわれ、波及が注目される。
今回、砂川市内の別の神社も訴訟対象となったが、こちらは「合憲」と判断された。神社の土地が既に市から、地域の人でつくる「地縁団体」に移っており、この譲渡が違法状態から回避する行動とみなされたためだ。
全国各地域・集落ごとに点在する神社は、人々の生活に密着した習俗的な存在とも考えられる。お参りを生活習慣としている人も多い。それだけに「あまり神経をとがらせなくてもいいのでは」という意見もあるだろう。
だが、軍国主義と結び付いた国家神道の時代を記憶に刻み込んでいる人もいる。神社の運営費を町内会費とともに支払うケースなどは、ためらいを覚える人もいるだろう。
キリスト教を信仰する原告は、戦時中に参拝を強いられ、兄が戦死した体験を持つ。
社会は戦後、大きく変ぼうし、国際化が進む。さまざまな信仰や宗教観が混在している現代だ。政教分離原則はより厳格さを求められているのではないか。
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