社説
高校無償化/改革のメッセージ発信を
新政権の教育政策の目玉の一つ、高校授業料の無償化は、これまでの固定化した日本の教育制度や厳しい財政事情を考えれば、思い切った改革だ。 子ども手当と同様、実質は家計の負担軽減が目的だが、給付ではなく公立高での徴収自体を行わない。私立高生にも学校を通じ授業料相当額の就学支援金(年約12万円)を助成する。国の責任で高校教育の機会均等を実現する趣旨は明快である。
ただ、無償化によってこれからの高校教育をどう変えていくのか。そのメッセージが政権内から聞こえてこない。今国会での論戦に期待したい。 中央教育審議会(中教審)は1999年、高校入試の合否判定で「適格者主義」撤廃を決め、高校進学率は今、約98%に達している。事実上の全入時代と言ってもいい。
義務教育並みに授業料を国が負担するのは、国際的な常識だ。経済協力開発機構(OECD)加盟国では、大学の無償化政策も既に広がりつつある。 「高校から先は親の負担」という意識が強かった日本では、個々の学費を公費で賄う考えが浸透せず、高い税負担で教育を保障する北欧のようにはいかなかった。今回の制度でも特定扶養控除を縮小し、財源をひねり出すなど台所事情は厳しい。
従って不備も見える。高校に通っていない子どもの世帯は負担が増すし、既に自治体から減免措置を受けている低所得世帯には上乗せの恩恵はない。 無償化の先にある高校教育の将来像がきちんと示されなければ、引き換えにほかの文教予算がどんどん減らされるかもしれない。そんな不安も残る。
もう一つの懸念は、実質的な義務教育化が教育現場を画一的にさせ、生徒の個性に応じた多様な教育の機会が狭まるのではないかという点だ。 文部科学省は高校教育改革の柱としてこの十数年、総合学科や単位制高校、中高一貫教育といった制度改革を進めてきた。生徒や地域のニーズに応じた学校づくりの新しい試みだった。新政権は、こうした道半ばの政策を引き継ぐのかどうか。
民主党の「政策集2009」では、06年に独自にまとめた教育基本法案を踏まえ、自治体を教育行政の軸に据える方向を打ち出している。例えば、教育委員会制度を撤廃し、保護者、住民、専門家らが参加する「学校理事会」を設置するなど地域主導の教育政策を掲げる。 10年度予算案では、それを実行に移す道筋が見えない。
OECDの調査によれば、日本の高校生の平均学力は低下が著しい。教育水準の底上げは喫緊の課題だ。一方、近年の就職状況が厳しいことを考えれば、職業意識をはぐくむ実践的なキャリア教育もカリキュラムにきちんと位置付けられるべきだ。 こうした足元の現実を踏まえ、地域の主体性を生かした教育ビジョンをどう実現していくのか。無償化を契機に、生徒自身が高校教育の地平の広がりを実感できるような改革に向け、議論を深めてほしい。
2010年01月21日木曜日
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