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まずは、元の語義から。
英和辞典によれば、twitter には、動詞と名詞がある。動詞は「(小鳥が)さえずる」という原義があり、派生的に「ぺちゃくちゃしゃべる」という語義が生じている。名詞は、それぞれの動詞の名詞化だ。
tweet というのは、twitter の原義である「(小鳥が)さえずる」という意味だけがある。
ただし今では、Twitter で語ることを tweet (する)というふうに表現しており、twitter という言葉の方は、名詞だけが用いられているようだ。つまり、動詞と名詞がはっきり区別されるようになっている。
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次に、初心者向けの解説。
Wikipedia によれば、こうだ。
Twitterはブログとチャットを足して2で割ったようなシステムを持つ。各ユーザーは自分専用のサイト(ホーム)を持ち、「What's Happening?(今どうしてる?)」の質問に対して140文字以内でつぶやきを投稿する。つぶやき一つ一つはブログのエントリに相当し、つぶやきごとに固有のURLが割り当てられる。また、IT用語辞典バイナリによれば、こうだ。
ホームには自分のつぶやき以外に、フォローしたユーザーのつぶやきもほぼリアルタイムに表示される。このつぶやきの一覧を「タイムライン」と呼ぶ。例えば「ビールが飲みたい」というつぶやきに対し、それを見たユーザーが何らかの反応をすることで、メールやIMに比べて「ゆるい」コミュニケーションが生まれる。
Twitterのサービスは、シンプルに、コミュニティに登録された仲間同士で「What are you doing?」(今、何をしているか)に対する回答を伝え合うというのがコンセプトとなっている。一回に登録できる文字数は最大140字以内である。「つぶやき」のようなコメントを気ままに共有することで、ゆるいコミュニケーションが図れる、という点を特徴としている。以上のような説明は、初心者向けの説明だ。本サイトの読者なら、たいていの人は理解しているだろう。私としても、いちいち屋上屋を重ねるような説明はしない。
Twitterに投稿される「つぶやき」は、ツイート(tweet)と呼ばれる。
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さて。「 Twitter は時代の最先端だ」というふうに認識をする人々もいる。たとえば、次の3例(プラス1)だ。
→ 鳩山首相がTwitterを開始
→ ビル・ゲイツ氏、Twitter開始
→ 孫正義社長がTwitterでつぶやき開始
cf. ソフトバンク孫社長が全社員にTwitterへの参加を指示?
では、Twitter は本当に時代の最先端なのだろうか? これが本項の話題だ。
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そこで考察しよう。
そもそも、Twitter は次のような形で出現した。
・ 「今何してる?」を話題とする。
・ 140字に制限する。
このうち、後者はちょっとわかりにくい。情報量をあえて制限することには、メリットは何もないからだ。ではなぜ、メリットをあえてなくすようなことをしたのか?
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ここを考えると、Twitter の狙いが透けて見える。次のことだ。
「現代はケータイの時代である。人々はのべつまくなしに、ケータイで連絡を取り合う。『今何している?』を話題として、友人同士でケータイでいつも連絡を取り合う。短文で。……だから、ケータイと同じことを、ネットでもやってみよう。つまり、ケータイのパソコン版だ」
これが Twitter の当初の狙いだったと透けて見える。だからこそ、Twitter は当初、あれほどにも、「今何している?」という使い方を推奨していたのだ。
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しかし、当初の狙いをはみだして、ユーザーが勝手に新たな使い方を発見する、というのは、ネット時代にはよくあることだ。このことは Twitter にも当てはまった。「今何している?」という使い方をはみ出して、単に「つぶやく」ことを目的として利用するようになった。「今何している」ことに限らず、ありとあらゆることについて「つぶやく」ために用いられるようになった。
では、そういうふうに「つぶやく」ことに使われるとして、既存のブログやホームページとは、どう異なるか?
「コメントのやりとりがある」という点では、ホームページよりもブログに近い。ただし、違いもある。次のことだ。
「ブログは、不特定多数を相手として、会話をする。 Twitter は、登録された相手という、不特定中数を相手として、会話をする」
ケータイというものは、特定の小数または不特定の小数との会話ができる。ブログは不特定多数との会話ができる。その中間を埋めるものとして、不特定中数を相手とした Twitter というものが新規に出現したわけだ。
( ※ なお、不特定多数が不特定多数と相互的に会話をするのは、2ちゃんねるのような掲示板である。これはかなり初期に出現した。巨大化の方針。Twitter は、それとは逆に、縮小化の方針を取っている。)
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ここで注意。以上のことだけでは Twitter の本質をつかんだことにはならない。なぜなら、不特定中数を対象とするなら、mixi のような SNS もあるからだ。
では、SNS と違って、Twitter にはどういう特徴があるか?
ここまで考えると、Twitter の一番核心的なことがわかる。それは「 140字 」という字数制限である。
この字数制限は、ケータイメールの無駄話によく似ている。ケータイメールの無駄話は、たいていが極端に短い文章だ。それと同じことが Twitter にも見られる。
では、その本質は? 私は、こう考える。
「 Twitter は、140字 という字数制限があることで、まともな論説を書くことが不可能になり、ただの無駄話しかできなくなってしまう。そこで、無駄話をするための道具として、 Twitter が特徴を発揮する。ネットの世界では、有能な人は立派な文章を書き、無能な人はひどい文章を書く。そこでは、利口と凡人の差がはっきりと付くので、凡人は恥ずかしくて使いたがらない。しかるに、 Twitter ならば、誰もがただの無駄話しかできなくなるので、凡人も気軽に無駄話をできる。こうして、凡人のための無駄話用のツールとして、 Twitter が大いに栄えることになった」
これは「俳句化」とも言える。短歌では、上手と下手との差が付くが、俳句では、字数が短すぎるがゆえに、上手と下手との差が付きにくい。アマチュアだって十分に第一線に立てる。表現の可能性の限界を大幅に低くすることで、誰もが下手にならずに済むのだ。
( ※ これはまあ、囲碁に対する五目並べみたいなものかもしれない。)
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さて。 Twitter の本質は「凡人のための無駄話用のツール」だと判明した。
となると、これを凡人が使うのは当然だろうが、これを優秀な人が使うのはおかしい。特に、鳩山首相のような一国の首相が使うのは、本末転倒だ。
首相たる者は、たった一人が全国民に対して発言できる。そのためには、テレビも新聞もネットも、あらゆる媒体が利用される。大々的に大声で唱えるための拡声器があるのだ。とすれば、「つぶやく」ということ(不特定中枢を相手にすること)は、本末転倒だ。
さらにまた、首相たる者は、一国の命運を左右するような大事なことを語るべきだ。無駄話なんかを語るべきではない。
簡単に言えば、こうだ。
「鳩山首相は、Twitter で接続してきた一部国民を相手に、短い文章で無駄話を語るべきではない。たとえば、『小沢さんはおれの同志なんだよなあ』とか、『小沢さんは検察と戦ってほしいなあ』なんて、ぼそぼそとつぶやくべきではない。もっと堂々と語るべきだ。全国民を相手に、正面を向いて、長い文章で論理的に語るべきだ。」
要するに、一国の首相たる者は、つぶやいたりするべきじゃないのだ。というか、まともな人間はすべて、Twitter なんかを使うべきではないのだ。それよりは、ブログやホームページによって、全世界に堂々と長々と語るべきなのだ。それだけの語るべき内容があるはずだからだ。無意味な無駄話よりも、意味のある有意義な話を語るべきなのだ。
「 Twitter は、流行しているから、おれもやろう」
なんて考えているようでは、ITのことを何もわかっていない、と言われても仕方あるまい。 Twitter は便利だし、利用者はとても多数だが、それは、 Twitter が優れている(高機能である)からではなくて、 Twitter が凡人用のツールだからだ。
「自分は凡人だから凡人用のツールを使おう」と思っているのならば、妥当であるが、「自分は傑出した人間だから、最先端の Twitter を使おう」なんて思っているようでは、結局は、ITのことをわかっていないのである。
( ※ 鳩山だけじゃないね。ゲイツも、孫正義も、池田信夫も。これらのように Twitter を使いたがる連中は、結局は半可通だ。その点、スティーブ・ジョブズは、そんなことはしないな。さすがに。)
[ 余談1 ]
「そういうおまえは何をしているんだ?」
という疑問には、こう答える。
「ブログやホームページを何種類も持っています」
具体的に例を挙げると:
・ Openブログ
・ nandoブログ
・ 泉の波立ち
・ Google and Me ブログ
・ 知的な書評ブログ
・ ブログ・テンプレート Seesaa
・ 知の道具箱
・ 文字講堂
・ クラス進化論
・ 量子論のサイト
うーんと。これで全部だったっけ? あ、まだ「悪の華」などのサイトがあったな。あんまりたくさんあって、数え切れない。 (^^);
つぶやくかわりに、拡声器で大々的に語る、というのが、私の方針だ。
[ 余談2 ]
有名人ならば、つぶやくにしても、Twitter よりももっと便利な道具を使うといい。それは何か? その最先端の使い方は、しょこたんが示している。ブログでつぶやくのだ。一日に何十回も。短文で。ケータイみたいにして。しかも画像を付けて。……これこそケータイ用途で Web を使っていることになる。
しょこたんブログは Twitter 2.0 である。現状の Twitter よりも、はるかに先を進んでいる。
【 関連項目 】
Twitter でなく、ブログやホームページについては、下記の項目でおまけふうに説明した。
→ 書評 ブログ 「読書する運動選手」
「ブログというのは日替わりで更新されるが、日替わりで有益な情報を出せるほど多産的 productive な人は、そう多くはない」
というような話。
【 追記1 】
「 Twitter は面白いか?」
という質問には、イエスともノーとも答えられる。ただし、ここでは本質的なのは、「面白いか否か」であって、「役立つか否か」ではない、ということだ。
Twitter は、ネット上の文字会話(チャット)のようなものである。それは何か情報を伝えて役に立てようとするものではなく、そのとき限りの楽しみのためにある。
その意味で、 Twitter の会話は、「今何している」というリアルタイムのものであると同時に、「過ぎたものには意味がない」という刹那的(せつなてき)なものだ。その一瞬にのみ価値があり、その瞬間が過ぎれば価値がなくなる。……現実にはそれほど急速に価値が消えるわけではない。(音声電話の会話ほどではない。文字メールほどでもない。)とはいえ、やはり、過ぎた日の会話には「賞味期限切れ」という印象がつきまとう。その点では、ブログやホームページよりもずっと早く賞味期限切れになる。ほとんど生鮮食品ほどの「生もの」である。
Twitter を使うかどうかは、そういう即時的・刹那的な無駄話を楽しむかどうかによる。換言すれば、その人が暇であるかどうかによる。暇で仕方ないなら、Twitter で時間をつぶせばいいだろう。一方、忙しくて仕方ないなら、Twitter なんかやっている暇はないはずだ。
鳩山さんはどっちなんでしょうかね? 本来ならば、Twitter なんかやっている暇はないはずだが、これをやって楽しみたいのだとすれば、暇がたっぷりあるのかも。(仕事をしていないことの証明かな。)
【 追記2 】
「初心者には使いやすいのかな?」
と思って、ちょっと試してみたが、あまり使いやすくないですね。
(1) 加入しようとすると、途中で英語画面に変わる。日本語化されていない。
(2) 公式サイトで検索すると、ごく最近の分しか検索されない。
→ 別の twitter 検索サイトでは検索できるが、あまり有名でない。
http://pcod.no-ip.org/yats/