ぐっと思いつめていても、すっと冷めてしまったりするから恐ろしい。
誰も彼も「優しく」なんて言う。
友達には「優しく」しなければならない。
教師は生徒に「優しく」しなければならない。
傷つけないように口を閉じる。
喧嘩をしないように相手を認める。
「考え方は人それぞれだから。」
「価値観は人それぞれだから。」
考え方って何だろう?
「価値観」という言葉の示す範囲はどこまでだろう?
なんて孤独なことじゃないか。
だって、そうやって教わってきたんだもん。
先生言ってたし。
TVもそう言ってたし?
個人主義の横暴。
ひとそれぞれで、正しさもくそもない。
それぞれの世界をそれぞれの解釈でそれぞれに生きる。
ごもっとも。
その通り。
僕を優しいと言ったひとがいる。
正直うれしかったけれど、そうかどうかはわからない。
他人の価値観なんて認めない。
議論して決着をつけたい。
和解と休戦はあっても、譲る気は無い。
これまで積み上げられたものを「ひとそれぞれ」なんて安いことばでちゃらにしたくは無い。されたくも無い。
これでも言葉はわりと信用しているほうなんだ。
優しさにも種類がある。
僕を優しいと言ったその人を僕は優しいと思う。
担任の先生のさばさばした態度も優しいと思う。
彼らを好意的に思っている。
「ひとそれぞれ」は「易しい」のほうかもしれない。
優しいなんて言葉でみんなまるめて誤魔化すのか。
るつぼか?サラダボールか?
アメリカじゃないんだ。
使い方を誤るな。
給食を残さず食べたからって、遠い国の飢えた子供は救われない。
金をかけて育てたからって単純に幸福に繋がるわけじゃない。
あなたの子はもはやペットではないし、保険でもない。
遺伝子を運ぶことに使命感も覚えていない。
社会に尽くす気も無い。
好きな奴もいれば嫌いな奴もいるが、
ひょっとすると嫌いな奴は実はいい奴かもしれない。
でも、だからって嫌いな奴に近づいたりしない。当たり前だろう。
思いやりは屈折していく。
老人に席を譲らないという思いやりもある。
小遣いをもらってやるという思いやりもある。
屈折した優しさが正しいかどうかなんてことは全く知らない。
ただ、
どうするのが良いのか、どうすれば喜んでもらえるのか、どうすれば救えるのか。
それを悩んでいるのを見るときだけ、真面目な優しさを感じる。
これだけを本当に優しいと思える。
友達には「優しく」しなければならない。
教師は生徒に「優しく」しなければならない。
傷つけないように口を閉じる。
喧嘩をしないように相手を認める。
「考え方は人それぞれだから。」
「価値観は人それぞれだから。」
考え方って何だろう?
「価値観」という言葉の示す範囲はどこまでだろう?
なんて孤独なことじゃないか。
だって、そうやって教わってきたんだもん。
先生言ってたし。
TVもそう言ってたし?
個人主義の横暴。
ひとそれぞれで、正しさもくそもない。
それぞれの世界をそれぞれの解釈でそれぞれに生きる。
ごもっとも。
その通り。
僕を優しいと言ったひとがいる。
正直うれしかったけれど、そうかどうかはわからない。
他人の価値観なんて認めない。
議論して決着をつけたい。
和解と休戦はあっても、譲る気は無い。
これまで積み上げられたものを「ひとそれぞれ」なんて安いことばでちゃらにしたくは無い。されたくも無い。
これでも言葉はわりと信用しているほうなんだ。
優しさにも種類がある。
僕を優しいと言ったその人を僕は優しいと思う。
担任の先生のさばさばした態度も優しいと思う。
彼らを好意的に思っている。
「ひとそれぞれ」は「易しい」のほうかもしれない。
優しいなんて言葉でみんなまるめて誤魔化すのか。
るつぼか?サラダボールか?
アメリカじゃないんだ。
使い方を誤るな。
給食を残さず食べたからって、遠い国の飢えた子供は救われない。
金をかけて育てたからって単純に幸福に繋がるわけじゃない。
あなたの子はもはやペットではないし、保険でもない。
遺伝子を運ぶことに使命感も覚えていない。
社会に尽くす気も無い。
好きな奴もいれば嫌いな奴もいるが、
ひょっとすると嫌いな奴は実はいい奴かもしれない。
でも、だからって嫌いな奴に近づいたりしない。当たり前だろう。
思いやりは屈折していく。
老人に席を譲らないという思いやりもある。
小遣いをもらってやるという思いやりもある。
屈折した優しさが正しいかどうかなんてことは全く知らない。
ただ、
どうするのが良いのか、どうすれば喜んでもらえるのか、どうすれば救えるのか。
それを悩んでいるのを見るときだけ、真面目な優しさを感じる。
これだけを本当に優しいと思える。