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【土曜訪問】

乾いてきた世に憤激する 90歳で『たそがれ詩集』刊行 やなせ たかしさん(漫画家・詩人)

2009年7月11日

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 「アンパンマン」と一緒にほほ笑むダンディーな男性はやなせたかしさん。漫画家、イラストレーター、作家、さらに八十四歳で歌手デビューと多彩な活躍をしてきた。今日は詩人としての足跡を紹介したい。長年にわたり「詩とメルヘン」など詩誌の編集に打ち込み、『愛する歌』など数々の詩集も発表した。九十歳になった今年も『たそがれ詩集』(かまくら春秋社)を上梓(じょうし)したばかりだけれど、本人は「詩人」を自称したことはない。なぜか。

「僕は詩人ではなくて、好き勝手に書いているだけ。詩で食べているわけではないし、そもそもほかの人が『あの人は詩人だ』というのは分かるけれど、本人が『自分は詩人だ』というのは変だと思います」

 なるほど。少し耳が遠くなったというものの、背筋をすっと伸ばし、年齢を感じさせないめりはりのある話し方だ。あのギネスブックへの申請も検討中というアンパンマンと二千を超すキャラクターに囲まれ、老いをどこかに置き忘れてきたような快活さだが、『たそがれ詩集』では自身の“晩年”に直面する心持ちを率直にうたう。「いのち」と題した一編はこう。

《厚顔可憐の老境は/はじめてきたが/おもしろい/なるほど/いのちのおしまいは/こんな風に/なるのかと/うなずきながら/旅をする》

 三十編あまりの作品に共通するのは、悠揚迫らぬユーモアとペーソス、七五調や語呂合わせが生むリズムの良さ。つい口ずさみたくなる素朴な魅力がある。

「ぼくは詩人じゃないから、現代詩がどうなっているかなんて考えなくていい。リズムを踏んだ詩なんて古いと言われても、それでいい。リズムのある詩の方が好きなんですから」

 詩壇との付き合いは持たず、「現代詩は読んでもよく分からない」とはっきり言う。今も愛するのは、若いころから親しむ中原中也や立原道造、島崎藤村のリズムと抒情(じょじょう)だ。一昨年から責任編集する季刊誌「詩とファンタジー」でも、アマチュアの抒情詩を紹介することに主眼を置く。

「今の日本は、抒情がばかにされる国だね。詩だけではなくて、映画にしても何にしてもみなそう。世の中が乾いてきた。昔の日本は貧しかったけれど、ホームレスはいなかった。乞食(こじき)って言うと今は叱(しか)られるけれど、昔は《お乞食さん》といって、社会と共生している部分さえあった。でも今は東京だけじゃなく日本中にホームレスがいて、生きるか死ぬかの生活でしょう。非情な時代です」

 九十歳を過ぎて直面するこの国のありようを、厳しく批判する。にこにこ笑うアンパンマンの作者は、実は憤激の人でもあった。一九七七年刊行の詩論『詩とメルヘンの世界』を今年改訂補筆した『だれでも詩人になれる本』(かまくら春秋社)でも、こう書かずにはいられなかった。

《なぜ、東京は乱雑で、街はメチャメチャなのか。/なぜ、ほとんどの印刷物は奇妙なのか。/なぜ、文学も、漫画もポルノ化するのか。/なぜ、文化人がギャンブルに熱中して、子供にギャンブルをするなというのか。/なぜ、婦人雑誌はセックスの記事ばかりかくのか。/なぜ、幼児の本が、あんなにけたたましいのか。/なぜ、歌謡曲大会で、少年少女が発狂したように奇声をあげるのか。/それが生き甲斐(がい)なのか。/それが生きてるってことなのか。(中略)もちろん、ぼくらは天使じゃない。/ぼくらは聖人じゃない。/しかし、これらの現象に対して精神は加速せずにはいられない》

 その「加速した精神」が書かせてきたのが、やなせさんの詩である。誰のためでもなく、誰にほめられたいのでもなく、たった一人でつづってきたことば。

「詩人は仲間同士でほめているだけで、普通の人たちは読んでいない。セクトのようになっていて、それは短歌や俳句でもそう。先生がいて、ピラミッドがあって、同人誌に投稿していると順々に出世をする」

 そうしたものをとっぱらいたい。プロもアマもなく、読む人が面白ければそれでいい詩。それをひたすらに目指し続けたやなせさんの心の結晶が『たそがれ詩集』であり、幅広い年代の読者から「自分の気持ちにぴったり」と反響が寄せられる。続編はいつごろ?

「たまったら出しますが、書こうと思って書けるものじゃなくて、どこかからこぼれて来るものなので、さていつになるか。もう次はないかもしれません」

 その“次”に期待しつつ、九十歳の詩心にいま一度触れてみる。

《この世が/いやになった時/のんき眼鏡を/かけなおし/無理に笑って/がまんする》

  (三品信)

 

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