凄みのある飯塚高史 飯塚の凄み レスラーに必要なもの何年連続で1月4日に東京ドームに向かっているだろうか。今やプロレス・プロ格闘技で唯一の東京ドームでの大会となった新日本プロレス恒例の新春興行。観客の入りは全盛期に比べれば寂しい限りだが、K―1もドームから撤退した今、ここで興行ができるだけプロレス人気は健在という気もしてくる。 お正月だから、舞台裏ではレスラー、関係者、記者などの新年のあいさつが飛び交う。プロレスラーにも社会常識が求められる時代(昔も求められてはいたと思うが…)。リング上ではヒール(悪役)を演じている選手であっても、バックステージでお世話になっている記者の姿を見つけると、「今年もよろしくお願いします」とあいさつしてくる。 当然といえば当然なのだが、何かが違う、という気持ちもある。筆者がファンとしてプロレスに熱狂していたのは、タイガー・ジェット・シンや上田馬之介、スタン・ハンセンらが暴れ回っていた時だった。 シンはサーベルを、ハンセンはブルロープを振り回してファンのみならず記者を追いかけ回し、上田は金髪を振り乱してファンをけ散らした。 当時でも専門誌・紙にはロングインタビューがあったから、ホテルの部屋などでは担当記者に紳士的に接していたのだと思う。だが試合会場では、顔見知りの記者であっても蹴散らし、そのシーンをファンに見せることで凄みをアピールした。 プロレスラー、特にヒールにとっては、バックステージも“闘いの場”のはず。どんなに親しい記者であっても笑みを浮かべて接するべきではないと思う。周囲に多くの記者がいる時ならなおさらだ。それが失礼だと思うなら、控室から出てくるべきではない。日ごろの行動から凄みを感じさせてこそ、ファンに訴えるエネルギーが生まれてくる。 そんな中でも、飯塚高史からは恐怖が感じられた。帰途につくため控室から出てきても、顔見知りの記者を探そうともせず、誰に対してもニコリとも笑わず、一直線に駐車場へ向かった。そのムードに思わず後ずさりしそうになった。この迫力こそが、今のプロレスラーに必要なものではないだろうか。(格闘技ライター・樋口郁夫) 【共同通信】
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