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オバマ氏が米大統領に就任してちょうど1年になる。「チェンジ」へのあの熱気はどこへ行ったのか、と思いたくなるほど、冷たい逆風にさらされている。就任直後は7割近かった支持率が、最近は約50%に落ち込んでいる。
その逆風を象徴するのが、マサチューセッツ州での連邦上院補欠選挙での民主党候補の敗北だ。昨年亡くなったエドワード・ケネディ議員が47年間も維持してきた議席で、民主党の「指定席」のはずだった。昨秋のニュージャージー、バージニア両知事選の連敗に続く敗北で、ショックは大きい。
民主党は上院の安定多数を失った。共和党の議事妨害を阻止できなくなるため、成立直前までこぎつけていた医療保険改革法案の成否は分からなくなってしまった。議会対策でいっそうの妥協を迫られるのは間違いない。
逆風の原因ははっきりしている。不況の出口がいっこうに見えないことに、有権者の不満が募っているのだ。
政権発足から400万人以上が職を失った。失業率が10%台に達し、人々の生活を直撃している。膨張する財政赤字への不安も高まっている。
リーマン・ショックが引き金となった金融危機の中で発足したオバマ政権である。大胆な財政出動で破局のふちから米経済を救ったことは評価できるはずだが、痛みのさなかにいる米国民にとっては話は別なのだろう。
オバマ政権は、医療保険改革に全力をあげてきた。国民皆保険の導入は、クリントン政権も試みて、失敗した民主党の宿願だ。今回も保守派は「負担増につながる」「社会主義のよう」と猛反発し、国論を二分する対立を引き起こしている。
なぜ失業対策にもっと真剣に取り組まないのか。そんな憤りが、無党派層の支持離れの背景にあるようだ。オバマ大統領の人柄への評価は依然として高いが、その政策は不人気だ。
11月には米上下両院の中間選挙があり、政治の風圧は強まっていく。心配なのは、内政で足元が揺らぐことで外交面での指導力が弱まらないかという点だ。雇用確保を重視しようとして、保護貿易主義の誘惑に屈するようなことになっては困る。
オバマ大統領は、ブッシュ前政権の「単独行動主義」を国際協調主義に転換するとともに、「核のない世界を目指す」と核廃絶・軍縮に意欲を見せてきた。ノーベル平和賞を受賞したのも、そうした姿勢が評価されてのことだ。日本の鳩山政権も同じ方向性で協調しようとしている。
核廃絶も温暖化対策も、これからが正念場である。世界の相互依存が深まる一方で、各国とも内政に迫られてゆとりを失いつつある。初心を見失わずに、逆風をどう乗り切るか。オバマ政権に早くも試練の時だ。
公有地に昔からの神社やお寺が立っている例は少なくないようだ。
北海道砂川市にある空知太神社は、明治の開拓時代に住民がつくったほこらが起源だ。いまは町内会が所有し、氏子が管理している。神官はいない。祭りには別の神社から神官が来て神式の儀式が行われてきた。
問題は、砂川市が土地を無償で貸していることだった。最高裁は、国や自治体に宗教団体への公金の支出を禁じる憲法の政教分離原則に違反している、との判決を下した。明快な違憲判決を支持したい。
政教分離原則は、国や自治体と宗教とが一切かかわりを持つことを禁じているわけではないが、限度を超えてはいけない。砂川市の場合は、特定の宗教を助けていると見られてもしかたない。これが最高裁の判断だ。
「この神社の宗教性は薄く、市に宗教的な目的もない」という市側の合憲の主張を退けた。
伝統的な習俗と憲法の大原則をどう調和させるか。
この点について判決は、違憲状態を解消するために、原告が求めるような施設の撤去だけでなく、土地の譲渡や有償での提供などの手段もありうると述べた。現実的な取り組みを例示したということだろう。
最高裁は1977年に津市の地鎮祭を合憲として以来、政教分離原則に照らしても許される行為を幅広く解釈してきた。13年前に愛媛県が県費で靖国神社に納めた玉串料について違憲と判断し、初めて歯止めをかけた。今回の判決も、その流れを維持しているといえる。
裁判の対象になったのは、過去に政教分離原則が鋭く問われた靖国神社や護国神社ではない。しかし、この判決の意味は重い。
高齢の原告は、国家と宗教が一体となった時代の悲惨な体験を持ち、それが提訴の動機にもつながった。政教分離の原則は、戦前、国家神道が軍国主義の精神的支柱となった歴史の反省から憲法に盛り込まれた。そのことを忘れてはなるまい。
結婚式はキリスト教で葬式は仏教、正月には神社に参拝する。それが多くの日本人の宗教観だろう。
宗教施設には歴史的、文化的に価値があるものもある。観光資源であったり、鎮守の森が環境保全に役立っていたりもする。
最高裁が判断にあたって、「宗教施設の性格や一般人の評価を考慮して、社会通念に照らして総合的に判断すべきだ」という考え方を示したのには、そんな背景がある。
暮らしの中で日ごろ不思議とは思わないことにも、憲法が定める大事な原則が宿らなければいけない。そのことを考えさせる判決だった。