ミニレッキス★レッキーとの日々★
レッキー王子の日々あれこれ。
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どんどん悪い子になってくよ
2009.01.29 (Thu)
ミニレッキスとの出会い
2009.01.11 (Sun)
でもうちからは電車で1時間半くらいかかります。
まずは電話して、まだお店にいるのかどうか確認して、思い切って会いに行きました。
それが、ミニレッキスブロークンブルートートの男の子でした。
もし、次に運命の出会いがあるなら、でもその子はうーちゃんと同じ黒色で
絶対男の子っていうことだけは決めていたのに、
この子はぶちぶち模様の、レッキス。
抱っこしました。ビロードのような毛並みと、レッキスならではの利発そうな顔立ち。
ゲージに戻すと「出して!出して!」っていう催促をする子。
トイレもこんなに小さいのにもう覚えていて、相方も私も一発で虜になりました。
そして、帰り道には、小さなゲージに入ったレッキすの男の子が一緒でした。
名前はレッキー。
食いしん坊で暴れん坊。やんちゃだけど、優しい子。
私達にまた!新しい家族ができました。
また一から子育て。うーちゃんは臆病で大人しい子だったので
完全に慣れるまでに5年かかりました。
レッキーも、また、1からのスタートです。
まだ抱っこはイヤイヤだけど、一緒に遊んで欲しくて飛んだり跳ねたり。
よろしくレッキー。そしてうーちゃん、貴方が居たからレッキーとも出会えました。
虹の橋での生活はどうですか?
ペットロス
2009.01.05 (Mon)
最後のうーちゃんの「ぴー!ぴー!」という鳴き声。
何が言いたかったの???
うちの子で幸せだった??
最後の日はもう1日くらいお家で一緒に過ごしてあげればよかった。
なんだか後悔ばかりが浮かんできます。
NETで毎日うさぎのことのかいてあるBLOGを読みました。
でもやっぱり淋しさは増すばかり。
関東に来て1年ちょっとの私には、まだ全然こちらには知り合いも友達も
できていなくて、どれだけうーちゃんに支えられていたのかを
今更ながら感謝。
この心の穴はどうすれば埋まるの?
そしてNETで今度は関東近郊のペットショップをサーフィンするようになりました。
うーちゃんが虹の橋へ渡った日
2009.01.02 (Fri)
今年は帰省せず、現在の赴任地である(我家は転勤族です)関東で過ごすことになりました。
元旦の夕刻に、10歳と半年の高齢のミニウサギ、うーちゃんが、ちょっとよろよろっとなりました。
その時は元気にご飯を食べていたので、気にも留めなかったのですが。。。
うーちゃんは去年夏ごろから急に老け込みました。清潔好きなのに、どこでもオシッコしちゃうし、
ご飯は入れただけすぐ完食、そして催促。ツヤツヤだった毛並みも、ボサボサ。
それでも相方は毎日仕事が終って帰ると、どんなに遅くなっても、うーちゃんと遊び、抱っこしてて
オシッコを垂れ流されても「爺さんやけん、仕方なか」って言って可愛がっていました。
そして、1月2日。その日は、陽射しの暖かい冬の日でした。
お昼ごはんを食べている途中に、急にまたうーちゃんがよろめき、そのまま起き上がれなくなりました。手で支えてやってもダメでした。そして、今までに出したことのない鳴き声を出しました。
「ぴー!ぴー!ぴー!ぴー!」って。
遊んで欲しい時、興奮した時は「フガフガ、ブーブー」と鼻を鳴らすことはあっても、喉から鳴き声を
出すことなんて今まで一度も聞いたことがありませんでした。
急いでタオルを持ってきて、くるんで抱き上げました。
すごく軽くなっていました。
そのまま、相方の腕の中で、だんだん、だんだんと呼吸が弱くなり30分も経たないうちに
呼吸が止まりました。安らかに、苦しまずに、虹の橋へ渡って行きました。
あまりに突然のことで、現実味が無くて。
子供が居ない私たち夫婦。結婚した頃、相方は土日も仕事、帰りも遅く、さみしいさみしいと言っていた私に、ペットショップで買ってくれたのがうーちゃんでした。
以来、福岡〜関西〜関東と転勤にも付いてきてくれました。
居てあたりまえの毎日だったんです。
大人しくて、でも甘えん坊で、優しい子でした。
亡骸はすぐに硬直しはじめました。ああ、死んでしまったんだなってその時に実感しました。
でも、思っていたより何故か冷静に行動ができました。
年齢的にも、老いて行く風貌からも、
もうお別れは近いのかも、、、と何となく私なりに覚悟はできていたんだと思います。
役所は正月でお休みなので民間のペット葬儀社に電話すると
スケジュールの都合で、2時間後になら立ち寄れるとのこと。
お別れを惜しむ時間もそれほどなく、急いで菊の花を買ってきて
お花と大好きなご飯とにんじんを抱っこさせて、小さな箱に収めました。
安らかな顔でした。うちにやってきたあの日と同じ無邪気な顔でした。
なんだか良く解らないまま、葬儀社の方がお迎えにきてうーちゃんを預けました。
ただただ、淡々と時間が流れて行きました。
号泣というよりは、シトシトと涙だけが感情に関係なく落ちていく感じでした。
他の子達と合同葬をお願いしました。お墓は世田谷に埋葬されるそうです。
うーちゃんが虹の橋へ渡った日の後から、私たち夫婦は、心に穴が空いてしまいました。
ウサギのキャラクター、ラビットファーのマフラー、そんなものを見るだけでも
涙が溢れて溢れてどうしようもない毎日が続くことになりました。