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気仙坂

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雇用対策知ってますか
☆★☆★2010年01月20日付

 二〇一〇年の仕事始めは、家庭教師だった。しかも自分の母親の。実家のある静岡県で迎えた正月、SPI試験(就職適性検査)の問題集を手に入れて解かせた。わからないことがあったら電話して質問するように。そう言い伝え、愛知県と岩手県に別れた。
 麻生前内閣下の昨年七月、急激に悪化する雇用情勢の緊急対策として「緊急人材育成・就職支援基金」が補正予算で創設された。ニュースで名前くらいは聞いたことがある、ぐらいの認識の人が多いかもしれない。かくいう筆者も右に同じ。その制度の一環である「基金訓練」の受講を志望している、と名古屋市に住む母親から聞かされたのは昨年末のことだった。
 大手チェーンのコンビニオーナーを卒業≠オた後、求職活動に励んだ彼女だったが、これといった特技や資格を持たない悪条件に加えこの不景気。世間はあまり寛容ではなかった。希望した職種は未経験や年齢を理由に採用を見送られ、やっと就いた職は軌道に乗る前に肩たたき≠ウれた。末の息子は現在大学三年生。本人にとっても、不本意ながら筆者にとっても、もうひと踏ん張りしてもらわければならない状況だ。
 基金訓練は、こうしてハローワークに通う中で斡旋されたという。その概要は、生活保障費の支給を受けながら無料の職業訓練を受け、スキルアップを果たして再就職へつなげるというもの。生活費は、扶養者がある人なら訓練期間中に毎月十二万円ずつが支給されるなど、ありがたいことこの上ない制度だが、もちろん誰にも受給資格があるわけでなく、「世帯の主たる生計者」であり、雇用保険を受給できないなど、いくつかの要件が設定されている。訓練を実施する機関によっては、試験や面接も行われる。
 かくして冒頭の試験勉強が始まり、筆者の通信制指導もスタート。予想より生徒の出来がよかったのには驚かされたが、言語能力分野(いわゆる国語)よりも非言語能力分野(同数学)がクセ者。一次方程式から、鶴亀算、塩分濃度計算、追い越し算、確率、組み合わせ…。「答えを見てもわからない」と問い合わせがあった問題の解を紙に書き、写メールで送った。手に負えない問題は「これは出ないから大丈夫」と安心させながら。終始前向きに勉強に励んだ生徒だったが、アルバイトと並行しつつ、老眼鏡片手の受験勉強は楽ではなかったはずだ。
 全国で高校生らが大学入試の第一関門に挑んだ日の翌日、彼女のもうひとつのセンター試験≠ヨの挑戦がひっそりと進んだ。本人の自己判定では七割程度の出来とのことだが、報告によると、七十人以上の受験者は二十〜三十代の若者が中心、六十歳前後の男性も少なくなかったという。訓練よりも、雇用保険が切れた後の生活費支給を目的とした人も多く、何度目かのチャレンジという人もいたとか。国内最大手自動車メーカーのお膝元、愛知県でも不況にあえぐ人が多いのに変わりはないようだ。
 社会保障制度の恩恵に授からんとしている受験者の中には、筆者の生徒は別にして、自身の生活設計とは別の次元で、やむにやまれぬ事情に直面し、不遇をかこっている人も多くいたことだろう。そして、そういった人は世の中にごまんといるはず。
 利用する側としては、セーフティーネットの充実は非常にありがたいの一言なのだが、それ以前に―。政治とカネにまつわる問題も、派遣村からの就活費持ち逃げも。残念なニュースが多いと感じられる今日この頃である。(織)

「禁煙常習者」の自己弁護
☆★☆★2010年01月19日付

 政府税調の委員の中には喫煙者がいないのだろう。だからこそ増税案はすんなりと通った。増税という文字には過敏な国民も「たばこならなんちゅうこともない」と冷淡だ。しかし一寸の虫にも五分の魂。この原案に断固異議をとなえる愚生は、敢然と禁煙に踏み切った。これまでの永年にわたる納税貢献に対して、まさに裏切り行為ともいえるあまりな仕打ちに、これぐらいの意地は見せなければなるまい。
 やはりはらわたが煮えくりかえっていたのだろう。これまで一度も禁煙をしたことのない同級生のOがすぐ賛同し、きっぱりと絶煙した。そして成人して以来口からたばこを放したことがないという大先輩のU氏も同様断煙した。喫煙歴六十年になんなんとする「高額納税者」が、政府に見切りをつけたというのはよっぽどのことである。ハッカパイプを口にしたU氏と禁煙パイポをくわえた愚生と二人の「同病相憐れむ」図は、日本国が衰退期に入ったことを図らずも物語っている。
 誰彼となくたばこを吸っていた時代は、確実に税収が上がり、ストレスも少なかったから病人も少なく、医療費支出もそれだけ抑えられた。地方だってたばこ税の分け前にあずかり、歳入のあてになっていたのである。だが、世界的な禁煙包囲網が日本にも及び、たばこが目の仇にされるようになって税収は減り、医療費は増え、大体国に活力が失われた。みんなが一斉に吸うものだから天井からヤニがツララ状になっていたかっての弊社旧事務室のあの活気は、高度成長当時の反映だけではない。誰からも文句を言われずに紫煙をくゆらしていた自由な気分がそこに横溢していたのであった。
 そんなに好きなたばこを一時的とはいえなぜ止めるのかと問われ前段のように「政府に抗議して」と答えても誰も納得はすまい。その通り。いくら値上げされてもその対案としての禁煙というのは至難の技である。しかしその「超絶技巧」ができるのは、愚生の場合それだけの理由がある。一日に三箱つまり六十本を吸う結果としてノドを傷め、セキが止まらなくなるからだ。こうして止め、良くなると再開し、また止めるという反復をこれまで何十回と繰り返してきたことか。
 世の反喫煙者からは指弾されるかもしれないが、愚生は一日一箱ならむしろ薬になると思っている。百害あって一益なしというのはもともと煙を受け付けない人々の非体験論であって、二十本ぐらいで収まればストレス解消にもなり、思考回路のリセットにもなると信じている。「お前もそうしたらいいではないか」とよく言われるが、愚生に限って、吸うのなら六十本と「内部規約」で決まっている。十本、二十本という折衷案は受け付けない。イエスかノーか、白か黒か、0か1かという二者択一の猶予しか愚生には与えられていないのである。一箱で済ますという努力をしたこともあるが、そのために買った、あるいは家族からプレゼントされた二十本入れのたばこケースは他人にくれる結果となった。嗜好を制限されるというのは不愉快なもので、「晩酌は二合にとどめなさい」などというアドバイスは嗜好というものを理解できない無粋者のやることなのだ。
 シャツのポケットが「無一物」となって三カ月。これまで禁煙するごとに賛同者を生んできた「伝道者」は、今回も能動的行為に訴えないまさに無言の伝道によって二人の信者を増やした。いつも先に脱落して裏切ってきたが、今度は永遠に「殉教」しようと思う。だが天のお告げがあればどうなるやも知れず、それは棺のフタがおおわれる時までおあずけにしておこう。(英)

幻の“気仙オオカミ”
☆★☆★2010年01月17日付

 お正月に飾った松飾りや昨年のしめ縄などは、近所の神社などで行われる「どんと焼き」で燃やして、天に煙として奉納する習わしが今でも各地に残っている。
 先日、その「どんと祭」の取材でのこと。親しい友人から、新年のあいさつで「元日号を見たよ」「たいしたボリュームで、大変だったろうね」と労いの言葉をかけられた。「面白かったよ」とは、お世辞と分かっていても嬉しいものだ。
 内容に関連して興味深い話が飛び出すこともある。いわゆる情報提供というやつで、取り上げた記事をキッカケに思いがけない事実が関係者の記憶から明らかになったりする。
 昨秋、県立博物館の企画展をテーマに、本紙元日号で「岩手のシカとクマ」を取り上げた。その中で、岩手に“里帰り”したニホンオオカミのはく製を紹介した記事が、読者の目に留まったらしい。
 このオオカミは、東京大学農学部が所蔵しているもので、今から百三十年ほど前の明治十四年(一八八一)に同大学が購入した「岩手県産のメス」とされている。
 記事には『一説に、大船渡市日頃市町鷹生の大倉沢で捕獲されたと伝わっているが、定かではない。地元ではオオカミの売買証文が残っていたという話もある』と書いた。もしそれが本当であるなら、展示されていたはく製は、まぎれもなく五葉山に生息していた“気仙オオカミ”だったことになる。
 これを裏づける証言が、新年早々の“お年玉”だった。「たしか十年以上前の新聞で見たことがある」という吉報がそれ。さっそく本紙のバックナンバーを調べてみたところ、あった、あった、幻の“気仙オオカミ”の正体が。
 それによると、このオオカミは、やはり五葉山麓で捕らえられていた。“気仙マタギ“が仕留め、当時で八円という賞金を手にしている。そのマタギの名前まで判明している。気仙郡日頃市村(現大船渡市日頃市平山)の作右エ門、通称「作爺(さくじい)さん」。その自慢話を地元の平山義武さんが語っておられた。
 県立博物館によると、藩政時代からオオカミが馬や家畜を襲い、時には人も襲うため、東北地方では、狩猟や毒餌によるオオカミ退治が盛んに進められていた。明治の初めごろには、岩手県ではオオカミの駆除に懸賞金がつけられていたという。尾を切り取って持っていくと懸賞金がもらえた。当時、日頃市村長の年報酬が四十円(月給だと三円五十銭)の時に、一頭の懸賞金がオスで八円(メスは六円)だった。
 もともと、オオカミは人間側から手を出さない限りほとんど襲ってくることはない安全な動物だった。自らのテリトリーに入った人間の後ろをついてくる(監視する)習性があり、いわゆる「送りオオカミ」の由来は、そこから来ているという説もある。
 それが江戸時代、あるいは明治に入ってから、狂犬病が流行ったり、ジステンパー(伝染病)で狂犬化し、人間から怖がられるようになった。そして、高額な懸賞金に飛びついたマタギたちの活躍でニホンオオカミは絶滅する。
 その後、天敵がいなくなったシカなどの野生動物が異常繁殖した。人間や農作物にとどまらず、森林や生態系にまで大きな被害を与えるようになった。今度は人間がシカを個体調整しないと、生態系が狂い、植生、自然が破壊されていく。
 「シカと人間との共生」という言葉が使われて久しい。シカ保護管理検討委員会は、シカによる農業被害額が過去最高に急増したことを受け、約四千頭と見込んでいた五葉山周辺の推定頭数を、適正頭数二千頭のほぼ三倍にあたる五千九百頭に修正し、捕獲目標も引き上げた。
 一人当たりの捕獲制限も緩和し、猟期も延ばすなど深刻なシカの食害防止へ頭数抑制を強化している。まさか、今の時代にシカの駆除に懸賞金がつけられることはないだろうが、幻のオオカミの復活が望めない今、減少しているというハンターの育成も大きな課題となるだろう。(孝)

「国家百年の計」の行方
☆★☆★2010年01月16日付

 時代の変わり目には、往々にして似たような現象が起きる。鳩山民主党政権が発足していよいよ正念場の通常国会を迎えるが、なぜか中国大陸での明(みん)の建国当時と重なる気がしてならない。
 一寒村の孤児から身を起こした朱元璋(しゅげんしょう)が、紅巾族の乱に乗じて元(げん)を北方に追いやり、一三六八年に打ち立てたのが明だ。その彼が、太祖・洪武帝(こうぶてい)として採用した国家百年の大計≠みると、なかなか興味深い。
 まず、草原の騎馬民族として手を広げすぎた元の文化を払拭し、新しい漢民族の国家を鮮明にするため、鎖国政策を基本に据えた。精神面では父母への孝養を説く儒教を採用し、人民の頂点にいる皇帝の独裁制を志向。その過程で、宰相(官僚)政治も大改革した。
 歴代王朝では、本来君主が行うべき上申書の決済も、国政全般を補佐する宰相が行った。時には、宮廷奥深くで世話する宦官(かんがん)が皇帝の言葉を伝えることから、「天子と空間距離が近いだけ大きな権限を持つ」という、虎の衣を借りる狐の現象さえ生じていた。
 そうした歴史の研究家だった洪武帝は、組織機構を自分に直結させる縦型にした一方、全国的な隣組制度を導入。刑法にも細かな規定を設け、末端にまで目を光らせた。明律(みんりつ)と呼ばれたこれらの制度は、江戸時代に盛んに研究されたという。徳川幕府が朱子学を推奨し、鎖国政策や五人組制度を導入したのは明朝にうり二つだ。
 しかし洪武帝が築き上げたこれらの大計は、第二代皇帝をごく短期に実力で排除した第三代の永楽帝(えいらくてい)により、大幅変更となったのだから歴史は分からない。
 永楽帝は、宦官も積極採用。その出身者である鄭和(ていわ)に命じ、二万数千人規模の大船団による海外遠征を七回も敢行していることから、建国時の鎖国政策など完全に放棄したことになる。
 話を初代に戻すと、強権政治の総仕上げは血の粛清≠セった。君主の威力を内外に見せつけるため、建国の功労者だった元老たちをことごとく処分した。その結果、専制君主として認められることに成功した半面、官僚たちは常にお上の判断を仰ぐ姿勢に終始。とどのつまりは、「皇帝一人が責任を負う形となり、誰も責任を取ろうとしない無気力国家となっていった」との史家の指摘も生じる結果を招いた。
 今日の鳩山民主党は、何を目指しているのか。基本的に官僚政治からの脱却であり、陳情ルールも民主党の都道府県連窓口に一本化するという縦型を採用している。対外政策はどうか。さすがに鎖国はありえないが、従来の対米追随型から対等のパートナーへと舵を切り、欧米重視からアジア重視、さらには内需拡大策へ向かおうとしている。
 権力誇示に血の粛清≠ヘできないが、その応用編はあり得る。百四十三人の国会議員を率いた小沢訪中団の意図は何か。官僚トップの次官でさえ、過去に例のない短期交代も出ている。そこがミソで、「何のミスもない人物」さえ対象というだけに、今後はささいなミスや政府方針に反する言動をしたら、いつでも更迭できるではないか。
 何も、鳩山政権の上げ足を取ろうというのではない。日本がこれまで経験したことのない少子高齢化と人口減社会に突入した今、年金問題一つ取っても従来の制度をそのまま維持すること自体がどだい無理な話だ。
 勢い、国政万般にわたる見直しは避けられないが、官僚制を打破し米国と対等になったとして、最終的に官僚の意欲や、ひいては国民生活への影響がどうなるかは、別の視点で見なければならないということだ。
 制度変更が、それだけであらゆる課題を解決するかどうかも別問題。新制度が新たな課題を生じないとも限らないだけに、長所は伸ばし短所は小さくする工夫も大切。国家百年の計がすぐ次世代で変更とならないよう、国会論戦を通じて新政権のお手並み拝見といきたい。(谷)

「虎の諺」あれこれ
☆★☆★2010年01月15日付

 遅ればせながら、読者の皆様方、明けましておめでとうございます。本年もご愛読のほどなにとぞよろしくお願い申し上げます。
 さて、私の年初の気仙坂は新春恒例の干支の諺で筆始め=Bシリーズ九回目となる今年の干支は「寅(虎)」。これまで同様、インターネットや辞書などをフル活用し紹介したい。
 まずは低迷する日本経済が一日も早く「虎口を脱する」ことをひたすらに願う。しかし、「虎口を逃れて竜穴に入る」あるいは「前門の虎、後門の狼」のごとく、次々と難儀に遭うようなことだけは願い下げ。
 「時に逢えば鼠も虎となる」「猛虎も時を失えば鼠に均し」。どこかの国のリーダーたちとダブって見えてくる。「雲は竜に従い、風は虎に従う」とか。優れた統治者の下には良き補佐役がいるたとえだが、いつになったらそうした為政者たちが現れるのか。
 自民党政権時代に拡大した社会の格差。昨年誕生した民主党政権は景気をどのように回復させ、格差を是正してくれるのか。庶民は「虎の子」に手をつけ、苦しい家計をやりくりする「虎の子渡し」の日々だ。
 家族を虎に殺されながらも、苛酷な政治よりはましと虎の出る土地に住み続ける婦人を見て、孔子がこう述べたという。
 「苛政は虎よりも猛し」
 なにも恐ろしいのは苛酷な政治だけではない。
 「市に虎あり」「三人市虎を成す」「市虎三伝」。全く根拠のない嘘や噂も多くの人が口にし、何度も聞いているうちに事実と信じられてしまうことのたとえだ。
 「虎狼より人の口畏し」。凶暴な虎や狼よりも噂や悪口を言う人間の口の方が怖いということ。他人様の口から身を守るのは本当に難しい。
 「口の虎から身を破る」という諺もある。うかつな言葉遣いから起こる災いの怖ろしさを虎にたとえたもの。言い方が悪いために身を滅ぼすような大事を招かぬように気をつけたい。しらふの時だけでなく、酒席の時は特にも言葉遣いに注意を払い、「虎となる」ことのないように心がけたい。
 人様の権勢を借りて威張る「虎の威を借る狐」や弱いくせに虚勢を張る「張り子の虎」、中身が平凡なのに外観だけが立派な「羊質にして虎皮す」ことにならぬよう、さらには無暴な命知らずの「暴虎馮河の勇」などは振るわずに生きていきたい。
 とはいえ、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」ともいう。危険を冒さなければ望む物は手に入れられず、成功を収められない。周到な準備を重ね、その機会を「虎視眈々」と狙う人物もいよう。
 しかし、小心者の私には「竜の髭を撫で虎の尾を踏む」ような危険を冒す勇気などない。力量や素質のない者が優れた人を真似て気取ってみても、かえって軽薄になる「虎を画きて狗(または猫)に類す」ことになるだけ。高望みはせず、知足の思いで分相応に生きていきたいとただただ願う。
 それでもせめて、一年の始まりぐらいは「騎虎の勢い」でスタートしたい。勢いは初めだけで、尻切れとんぼとなる「虎頭蛇尾」となるのは確実だが……。
 「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」という。私になど到底無理とは分かっている。しかし、気持ちだけでも、そんな生き方がしたいものと思う。
 虎にまつわる諺はたくさんあり、スペースの関係で全て紹介しきれないことをお許しいただく。
 その代わり、諺を探していて見つけた「虎」の入った漢字をおまけとしていくつか紹介したい。ちなみに私は一つも読めなかった。回答は次回にでも。(下)
◇    ◇
 @「虎杖」A「虎蝦」B「虎魚」C「虎斑木菟」D「虎鶫」E「猟虎」F「御虎子」G「虎落」H「虎刺」I「虎列刺」

続・平氏の末裔「渋谷嘉助」I
☆★☆★2010年01月14日付

 日清戦争から十年後、日露戦争が起こる。日本で最初にダイナマイトを輸入販売した渋谷嘉助は、日露戦争が始まると陸軍御用達としてダイナマイトの供給にも尽力する。
 渋谷嘉助が経営する東京・日本橋の渋谷商店は、イギリスのグラスゴー市にあるノーベル会社からダイナマイトを輸入し、国内での販売権を持っていた。
 日露戦争後に渋谷嘉助は、明治四十三年から大船渡湾に面した弁天山で石灰石の砕石事業を始めるのであるが、そこに至るまでの経緯がまた、渋谷嘉助の人物の大きさを物語るものであった。
 日清戦争後のロシア、フランス、ドイツの三国干渉によって、ロシアとの間で日露戦争が始まると、ダイナマイトが不足しないように、その供給に渋谷嘉助は心を砕いた。
 その生涯を綴った「渋谷嘉助翁」の本に経緯が記されており、主戦場となった朝鮮半島と中国東北部の満州では壮烈な激戦が続き、陸軍の乃木希典大将の率いる第三軍がいかにして難攻不落の旅順を落とすかが焦点であったとされる。
 そこで大要塞線の近くに無数の坑道を造り、これに爆薬を装填して根底から覆滅するという攻撃作戦を執り、坑道作業は着々と進行したが、完成した坑道の奥深くに装填する爆薬が不足するおそれが出た。
 大仕掛けの爆破に大量のダイナマイトが必要となり、貯蔵分だけでは間に合わず、しかし、戦時禁制品で他の中立国から購入することができない状況にあった。
 この時、忠義の二字を一身一家の信条としていた渋谷嘉助は、「その御用は私が引き受けましょう」と命がけの任務を買って出た。
 これまでも、言い出した以上は、たとえ困難に遭っても成し遂げてきた。すぐに有力な店員を八方に走らせ、機敏、豪胆、巧妙、有りとあらゆる方策をもって各方面からダイナマイトを集めた。
 旅順の要塞の攻撃に成功したその陰には、渋谷嘉助の人知れぬ活躍があったという。
 日露戦争に勝利後、陸軍では大規模なダイナマイトの製造に着手し、国内での製造能力を完全なものにした。その際に、平時には陸軍製品を民間に払い下げたのだが、ダイナマイトの主要原料を外国から輸入しなければならなかったため、品質、価格で到底、輸入品に対抗することができない状態にあったとされる。
 民間で陸軍製品の払い下げを希望する者がなく、そこで渋谷商店が一手に引き受けることになった。
 ダイナマイトを発明したノーベルは、ノーベル賞の生みの親として知られるが、渋谷商店は当時、このノーベル会社のダイナマイトの輸入販売権を持っていた。陸軍の製品を引き受けることは、この営利上、有利な立場を捨てることになるが、渋谷嘉助は「私が引き受けましょう」と躊躇することなく一言の下に決めた。
 営業上の矛盾に対して、数々の忠言があったが、耳を傾けようともせず退けた。そして、極めて薄利な手数料で熱心に販路拡張に努めたという。
 それには、商人として利益のある仕事を望むことは当然だが、それ以上に国家の御為ということを考えなければならん──という考え方があった。
 「儲けたければ他に幾らでも仕事はある」とその時、渋谷嘉助は言ったという。国家的貢献と百年後のことを何よりも先に考えての行動であった。(ゆ)

ギャラリートークへ行こう
☆★☆★2010年01月13日付

 「○○館」という場所が好きだ。図書館、博物館、市民会館など、文化的な情報や知識を与えてくれる場所であり、館内にいるだけで楽しい気分になってくる。
 そんな中でも、記者になってから多く足を運んでいるのが博物館施設。そこでの取材で、記者として得したなぁと思うことがある。
 館内で、年に数回行われる特別展や企画展示。取材時は、会場内の資料を見ながら学芸員さんの解説が受けられる。仕事とはいえ、一対一で説明を聞きながら展示物を鑑賞できるのは、記者冥利を感じる機会だ。
 なかでも、二〇〇五年に大船渡市立博物館で行われた県立美術館の「移動美術展」は、記者でよかったと感じた思い出の一つになっている。同館の学芸員さんから、展示された二十五作品について一点ずつ解説していただいたのだ。
 何もなければ、作品を「あぁ、すごいなぁ」と思いながら見るだけだっただろう。しかし、作家の作風や創作の背景などの情報を聞くと、見方の幅が広がった。芸術作品を鑑賞する面白さを実感するとともに、美術への興味関心が高まった。
 県立美術館では、一般の来館者らに学芸員が展示作品を解説する「ギャラリートーク」という催しを定期的に実施している。この催しは各地の博物館や美術館などでも行われており、全国的に見れば珍しい事業ではない。わざわざギャラリートークと銘打たなくとも、どの施設でも来館者が希望すれば、学芸員らが展示物の解説に応じてくれる。
 しかし、多くの来館者は会場内の展示物や解説パネルを見て、パンフレットに目を通して鑑賞を終えてしまいがちだ。そう考えると、ギャラリートークは来館者が展示内容を深く知り、ものの見方を広げる絶好の機会といえる。
 気仙でも、陸前高田市立博物館でギャラリートークが実践されている。学芸員が来館者に展示物の詳しい解説を行い、展示内容により理解を深めてもらおうと、平成二十年度の秋季特別企画展で初めて実施された。
 現在は、今月二十四日(日)まで開催の二十一年度秋季特別企画展「ありがとう―人生儀礼にみる人々のつながりと心―」の関連事業として展開。期間中の第二、第四木曜日午後一時半から、担当の及川甲子学芸員が解説役を務めている。
 筆者は取材を兼ねて初回にお邪魔し、一般の参加者とともに説明に耳を傾けた。同展では、人の一生にかかわる「人生儀礼」のうち、見られる(看られる)°@会という誕生、結婚、葬送を中心に、市民らから寄せられたものや所蔵資料を展示している。
 会場には、出産時に使用した「産婆道具」の数々など、市民の協力を得て集まった展示品も並んでおり、関係者に聞き取り調査も行ったという。トークでは、元助産師である百歳の女性から現役時代の話を聞いた様子なども交えられ、仕事も忘れて興味深く聞き入ってしまった。
 開催が平日とあって、これまでの参加者数は決して多くないそうだが、学芸員にとっては、来館者の反応を直接見ることができる機会。参加者から、新たな情報がもたらされたこともあるという。
 及川学芸員は「展示にあたっては聞き取り調査が多く、協力していただいた方々の思いを伝える場がほしかった。解説パネルには書ききれない話題も多く、ギャラリートークでの紹介を通して、来館者の心に何かが残せればと思っている」と話している。
 「ありがとう」展でのギャラリートークは、あす十四日が最終日。冬休み中ということもあり、一般のみならず自由研究が終わらないという児童生徒にもおすすめだ。展示と解説に触れ、地域の歴史や伝統に理解を深めるとともに、この記者冥利を感じてほしい。(佳)

きれいごとだけでいい?
☆★☆★2010年01月12日付

 昨日の読売新聞1面「日本の進路」に取り上げられていた、慶応大学教授、竹森俊平氏の所説に目がとまった。「『反成長思想』の誤り」という見出しに引かれてだ。
 日本経済は「自信喪失」から自縄自縛に陥っている―という書き出しがいい。その通りである。いつから日本はこんなに自信を失ったのだろうか。この小さな島国が米国に次ぐ経済大国となり、その輝かしい成長記録に世界が刮目したのはつい最近のことであった。経済成長は右肩上がりを続け、何でも売れるから生産が間に合わない。どこも人手不足で労働市場は「青田買い」が横行した。「内定取り消し」は、採用側ではなく、採用される側の権利≠セった。だが、そんな過去をいま誰もが信じられない思いでいる。
 インフラでも技術力でも生産性でも日本のファンダメンタルズ(基盤)は依然として強固であり、自信を失うほど脆弱化したわけではない。にもかかわらず、「悪い悪い」の大合唱でそれが負の相乗効果をもたらしている。
 竹森氏は、自縄自縛の原因としてきわめて精神的な作用が潜在しているとして、具体的に鳩山政権の「反成長思想」が政治方針の根幹となっている事実を挙げる。つまり「成長戦略」という言葉すら出すのをためらったこの政権の「ええかっこし」が、全体を悲観主義に陥らせているという分析である。
 同氏がそんな表現を使ったわけではないが、鳩山政権に強く感じられるのは一口で言って「ポピュリズム」(大衆迎合)で、早い話、口当たりのいいことは言うが、耳障りなことは避けるという八方美人的処世術がふんぷんとしているのである。
 社会主義は善、資本主義は悪といった「思想仕分け」が華やかなりし頃の書生論を捨てきれずにいると、金儲けという行為そのものが不潔に見えてくるのだろう。何一つ不自由なく暮らせる生活の上に乗っかっていると、逆に金持ちゆえの贖罪感に囚われ、金儲けと同義の「成長」という言葉を使うことも憚られるのであろうか。
 だが、この不浄な響きを持つ「金儲け」なしに社会は成り立たないのも事実である。可哀想だと派遣村を作るのではなく、そういう社会的課題を生まぬようにするのが政治というものなのである。鳩山政権はその本質を見誤ってはならない。現実にマニフェストの忠実な実行はおろか、何をするにしても財源が不足している。かといって不人気となる消費税の値上げなど口が裂けても切り出せない。
 では国策として再び「護送船団方式」やら「日本株式会社方式」といった手法でなりふり構わず企業を支援するかといえばそれもできない。つまりきれいごとが自縄自縛しているのである。政権のひよわさがこのあたりに露呈している。
 竹森氏は具体的に「内需主導型経済」という考え方が誤りであり、今のデフレも需要不足であって構造問題ではないから、公共事業の削減は間違い─とし、さらに四年間消費税に触れない方針にこだわれば墓穴を掘ると単刀直入に問題を剔抉する。
 問題は山積しているのである。いつまでも「いい子」でいてはただ問題を先送りするだけであり、ここは豹変して成長戦略を打ち立てるべきであろう。お坊っちゃまと訣別し、男・鳩山由紀夫に変ずるべき時だ。(英)

憂国の志士は決起するか
☆★☆★2010年01月10日付

 昨年の衆院選で落選した自民党前副総裁・山崎拓氏(73)が、政界復帰に強い意欲をみせている。今月六日、谷垣禎一総裁と会談し、今夏の参院選で比例代表候補として公認するよう直談判。公認が得られなければ離党して国民新党から出馬する可能性を示唆し、「総裁の勇断を求めたい」と迫ったという。
 この公認問題をめぐり、今、注目を集めているのが同党の「参院比例七十歳定年制」だ。党の名前で集票する意味合いの強い参院比例の定年制は、党として世代交代を進める姿勢を示すために一九八八年に導入されたもの。公認候補者の選定基準には「国家的有為な人材、余人をもって替え難い者」などの例外規定があるが、一九九五年以降、例外が適用されたことは一度もない。
 昨年、参院比例の公認候補者選定基準を緩和し、例外適用の権限を従来の総裁から選対委に移行した同党は既に、前回参院選東京選挙区で敗れた元参院議員・保坂三蔵氏(70)を比例代表で公認。同岡山選挙区で落選した元総務相・片山虎之助氏(74)についても、比例代表で一定の得票が見込めると判断して擁立する方針を固めた、との報道がある。
 こうした動きに対し、党内では中堅・若手議員を中心に反発の声が上がっている。彼らは「定年制に例外を認めることは、旧態依然とした政党というマイナスのイメージを増幅させる」などと指摘し、それが今夏の参院選にマイナスの影響を及ぼすことに危機感を抱いている。
 七十歳定年制に対しては「老齢差別だ」「有能な人を年齢で切るのはおかしい」といった反対の声もあるが、今、問われているのは定年制の是非ではない。定年制というルールを守るのか、破るのかという党の態度、姿勢だ。
 先の衆院選でなぜ自民党が歴史的大敗を喫し、野に下ったのか。それを考えれば、山崎氏らの公認に拒否反応を示す若手議員らの主張は十分に理解できる。自ら作ったルールも守れず、参院比例を衆院選落選議員の救済の場とするような行為は、党の再生や世代交代という政界の流れに逆行する。それは、自民党から離れた人心をさらに遠ざけるもので、結果的に自分で自分の首を絞めることになるだろう。
 国政選挙で初めてマニフェストが掲げられた二〇〇三年十一月の総選挙。当時の小泉首相は、衆院比例の七十三歳定年制を盾に中曽根康弘、宮沢喜一両元総理の公認を断った。過去に落選を経験し、選挙区から比例への転身を狙う山崎、片山両氏らは、ルールに従って出馬を辞退した二人の総理経験者以上に「余人を持って代え難い人」なのだろうか。もしそうだとしたら、有権者は山崎氏らを支持し、国政に送ったはずだが、そうはならなかった。
 山崎氏の直訴に、谷垣総裁は「もう少し時間がほしい」と結論を先送りした。その後、執行部は山崎、保岡興治両氏の公認を見送る方針を決めたとも報道されているが、谷垣総裁が山崎氏らの要求を即座に否定しなかったことによるイメージダウンは小さくない。仮に、山崎、保岡両氏と保坂、片山両氏の処遇が異なった場合、その結果にどう整合性をつけるのか、という“難題”も残る。
 この問題で、党内の中堅・若手議員は各種メディアやネットで積極的に持論を展開し、執行部批判を強めている。元官房長官の塩崎恭久氏は「落選した人を救うためにルール無視をやれば、自民党に明日はない」と一刀両断。元党選対副委員長の菅義偉氏も「徹底して反対する」との姿勢を示している。
 党広報本部長代理の世耕弘成氏は、定年制堅持に向けての議員共闘をツイッターで実況。中堅の小野寺五典、山本一太、河野太郎の各氏らと連絡を取り、定年制破りについて「あり得ない。『執行部は毅然と対処を』ということで一致した」などと情報発信している。
 しかし、それでも定年制破りが行われた時、党の危機を憂う彼らはどうするのか。長老支配に屈し、今までのように自己矛盾を抱えたまま党内で燻り続けるのか。それとも“決起”するのか。憂国の志士としての覚悟と矜恃が試される状況になった時、彼らがどのように行動するかを注視しなければならない。(一)

お得感とリアスホール
☆★☆★2010年01月09日付

 四日に開かれた大船渡市の新年交賀会。華やいだ雰囲気に溢れ、各界の関係者が一堂に会した中、大型店舗経営者や商店街関係者を探し、初売りの手応えを聞いた。
 二日にかけて強風に見舞われて交通機関も乱れ、それなりに苦労もあったことがうかがえた。これとは別に、ある経営者が挙げていた初売りに求められるキーワードが印象に残った。それは「お得感」という言葉だった。
 元日の新聞広告やチラシをみると、いかにお得感を出そうと工夫しているかが分かる。割増商品券の販売や、一定金額の買い物客に対する空くじなしの抽選会などが全面に打ち出されていた。買い物額以上のサービスを、より確実に実感してもらおうとの努力が詰まっているようにも感じられた。
 一昨年の秋ごろから急速に景況が悪化し、好転を実感できないまま新年を迎えた。最近は、デフレという言葉も聞かれる。物価下落が企業収益の低下を呼び、それが需要低迷、さらなる景気悪化につながる流れが懸念されている。
 この中で、衣料品販売のユニクロや、インテリア販売を手がけるニトリなど低価格路線の企業が勝ち組として注目される。こうした企業の動きが物価下落をけん引しているかのような報道もみられる。確かに両店とも多くの買い物客に溢れているかもしれないが、それはデフレ下にある今だから、という理由は正しくないと思う。
 大規模な海外生産体制を整えることなどによって、コストダウンを図った。その結果、例えば従来は一万円で販売した商品を、両社であれば五千円で提供できるようになった。逆に言えば、五千円で一万円分の価値が得られる商品を提供できる。値下げよりも、価格以上の価値を実感させることが売
上増のカギではないかと思う。
 しかし、お得感とは印象で左右される面も大きい。ユニクロもニトリも、この商品が従来に比べていくらコストダウンに成功していますとか、大々的には明示していない。しかし商品には、値段以上の質を感じさせる力がある。
 こんな表現は失礼かもしれないが、今年にかけて行政側に求められるお得感が注目される気がする。開館二年目に入った大船渡市民文化会館・リアスホールである。
 開館後は当然、維持管理費が発生する。当局側は利用料収入などを引いても今年度は年間で六千五百万円程度とみており、これは市の一般会計から支出される。
 運営赤字ともとらえることができるが、住民に芸術鑑賞や創作、発表の機会を提供する使命を持った施設でもある。市民から集めた税金を、こうした分野に投入すること自体は決して悪ではない。
 今年になれば、一年目の決算も明らかにされ、二年目の収支バランスもみえる。乱暴かもしれないが、六千五百万円の財政支出とは、四万一千人の市民一人あたりが年間千六百円を負担している計算になる。この金額に市民を納得させ、市民が利便性や高い満足度を実感できる会館運営が示すことが一つのポイントと言える。
 経費を徹底的に見直し、利用料を上げて六千五百万円を圧縮する方法もある。確かにコストダウンは大事だが、サービスを低下させて利用者が離れては施設を整備した意味がない。収支バランス以上に、住民側の満足度に主眼を置いた運営を求めたい。
 デフレ経済でも、勝ち組の成功を注視すると、その秘訣は決して「安いから売れる」だけではない。順調な経済成長を続けている時代と同様、価格以上の質を提供している現実がある。厳しい財政運営が叫ばれる昨今ではあるが、リアスホールにも「運営費を抑えているから良い施設」という図式だけ
が当てはまるとは思えない。
 一般会計から支出する金額の先にある、市民のお得感。リアスホールに課せられた二年目の使命はある意味で、一年目よりハードルが高いのかもしれない。  (壮)


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