西日本新聞

人への投資を怠ってはならぬ 「科学技術立国日本」再考

2010年1月12日 10:47 カテゴリー:コラム > 社説

 ■あすへの視点■

 「なぜ世界一にならないと駄目なのか」。政府の行政刷新会議による事業仕分けで、舌鋒(ぜっぽう)鋭く迫った“必殺仕分け人”の蓮舫参院議員(民主党)が発したひと言が、「科学技術立国日本」に大きな波紋を投げかけた。

 ノーベル賞受賞者6人が鳩山由紀夫首相に予算編成で直訴した際、「科学研究は世界一でなければ意味がない。1番と2番では100倍以上、価値が違う」と厳しく反論したのは、小柴昌俊・平成基礎科学財団理事長だった。

 それでも2010年度予算案の科学技術振興費は09年度比3・3%減で、厳しい財政下では科学振興も錦の御旗にならない現実を突き付けられた。

 9日間にわたる仕分け作業の傍聴者は約2万人、ネット閲覧は延べ270万回に上った。密室で行われてきた予算編成の一端を公開し、国民の関心を引きつけた意義は大きく、世論調査でも評価する声が7割を超えた。「議論が拙速すぎる」との批判もあったが、おおむね好評だったといえる。

 それゆえに、研究者らが強い危機感を持つのは当然だろう。だが、少し冷静になって考えてみたい。これほど科学技術政策が国民の注目を浴びたことが、かつてあっただろうか。

 ▼予算は20年で3倍増だが…

 個別具体的な事業を取り上げれば、いろいろ不満はあるであろう。

 一方で、文部科学省や経済産業省など関係省庁が重複して事業を実施するため、縦割りの無駄が問題となっている。欧米に比べて研究者の層が薄いことも、長年指摘されている。

 国民の目を集めるいまこそ、こうしたさまざまな課題を俎上(そじょう)に載せて議論し、「科学技術立国」を掲げる日本の現実を見つめ直す良い機会である。

 日本の科学振興費は少ないのか。財務省によると、政府の科学技術振興費は約20年で3倍増した。2倍増の社会保障関係費を超える伸びだ。国と民間を合わせた研究開発費も対GDP(国内総生産)比3・57%で、ドイツの2・36%や米国の2・02%などをしのぎ、主要国では随一の水準という。

 確かに、研究費や施設整備は年々増え続けてきた予算で充実してきたかもしれない。にもかかわらず、なぜ研究体制などで欧米に後れを取るのか。

 縦割り行政の弊害のほか、研究内容の評価システムや事業チェックの在り方など課題を挙げればきりがないが、今回、とくに指摘したいのが、科学者や技術者など「人」への直接投資が長年置き去りにされてきたことだ。

 いくら研究費を増やして施設を良くしても、実際に研究をし、成果を挙げるのは人である。だが、この国では人への投資を怠った結果、人材が育ちにくい環境になってしまったのだ。

 その象徴が、年々深刻化する一方の博士号取得者の就職難だろう。

 1991年、当時の大学審議会は専門能力を持つ人材育成などを目的に大学院生数を10年後に倍増することを提言した。これを受け、博士課程在学者は91年度の約2万9千人から2008年度には約7万4千人に急増した。

 国も1996年からの科学技術基本計画で博士号を取得した若手研究者、いわゆる「ポストドクター」(ポスドク)を研究の担い手として増やす「ポスドク1万人計画」を打ち出した。2006年度時点で、ポスドクは約1万6千人にまで膨れ上がっている。

 しかし、博士号取得後の就職先は期待されたほど広がらず、少子化や不況などの影響で大学、企業とも雇用実績は伸び悩んでいる。ポスドクは単年か数年の期限付きで大学や研究所に在籍するが、企業でいえば契約社員的存在であり、身分は安定していない。

 ▼博士になっても生活苦では

 ある研究員は「年収は200万円に満たない。30代で助教など正職員になれたら幸運だが、契約終了後の行き先がなければ、研究費を自ら払って大学に残らないといけない」と嘆く。

 海外ではどうか。ポスドクは教授と学生をつなぐ重要な存在で、実際の研究もポスドクが担うことが多い。北米の大学で博士号を取得した九州大のある特任助教は「博士号取得まで学費を払ったことがない。ポスドクにも十分な給料が出ている」と振り返る。

 一方、日本ではいまや、博士課程進学を断念する例も出ている。大学院の場合、返済すべき奨学金は数百万円になり、就職難も重なって「修士課程を終えて博士課程に進むのは1割程度で、それも生活苦で辞める人もいる」(九大の若手研究員)という。

 これでは、若者の理工系離れが進むのも当たり前ではないか。大学や社会の受け入れ態勢が不十分のまま、博士の数だけ増やそうとしたつけが、理工離れをもたらしたともいえる。当然、国も無責任のそしりは免れまい。

 日本が今後、科学技術の分野で一層磨きをかけ、世界の中で存在感を示すには、人材養成が欠かせない。

 若山正人・九大数理学研究院長は「研究陣のすそ野を広げなければ、飛び抜けた人材は出てこない。多様な人材を集めることが必要」と訴える。そうした環境を整えるためにも、政府は「人」への投資を怠ってはならない。

=2010/01/12付 西日本新聞朝刊=

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