2010年 01月 07日
岡村弘之君 (1962-2010) |
大阪大学の核物理学研究所で原子核物理学実験の教授をされていた岡村弘之君が、1月3日にお亡くなりになったそうです。岡村君は私の京都大学理学部の同級生で、藤田維明君と3人でJauchとRohlichの書いた量子電磁力学の教科書を勉強したこともあります。
JauchとRohlichの本を読み始めたのは、たしか2年生のころで、教養学部の井上健先生に紹介していただきました。「僕らが若いころには、この本を読んだだけで論文が書けたのだが」とおっしゃっていました。1955年に書かれた古式ゆかしい本で、4年生になって1965年に書かれたBjorkenとDrellの教科書を読んだときに、とても新鮮なアプローチだと感じたくらいです。私がいいかげんに読んでいたところも、岡本君はきちんとフォローしていて、一緒に読んでとても勉強になりました。
大学院では別々の分野に進みましたが、とても緻密な思考をする優秀な人でした。大阪大学には3年前に移られたばかりでした。
岡本君のウェブページを拝見したら、NHKで昔放送されていたテレビ番組『みんなの科学』の批評がありました。そういえば、大学生のときに、自分用の「はんだごて」とかを持っていて、私が持っていないというと逆に驚かれたりしました。
ツィッターで野尻美保子さんがおっしゃっていましたが、梁成吉さんがお亡くなりになったのも47歳でした。
生きている私たちは、彼らの分も研究に励まないといけないと思います。

JauchとRohlichの本を読み始めたのは、たしか2年生のころで、教養学部の井上健先生に紹介していただきました。「僕らが若いころには、この本を読んだだけで論文が書けたのだが」とおっしゃっていました。1955年に書かれた古式ゆかしい本で、4年生になって1965年に書かれたBjorkenとDrellの教科書を読んだときに、とても新鮮なアプローチだと感じたくらいです。私がいいかげんに読んでいたところも、岡本君はきちんとフォローしていて、一緒に読んでとても勉強になりました。
大学院では別々の分野に進みましたが、とても緻密な思考をする優秀な人でした。大阪大学には3年前に移られたばかりでした。
岡本君のウェブページを拝見したら、NHKで昔放送されていたテレビ番組『みんなの科学』の批評がありました。そういえば、大学生のときに、自分用の「はんだごて」とかを持っていて、私が持っていないというと逆に驚かれたりしました。
ツィッターで野尻美保子さんがおっしゃっていましたが、梁成吉さんがお亡くなりになったのも47歳でした。
生きている私たちは、彼らの分も研究に励まないといけないと思います。
by planckscale | 2010-01-07 13:35 | Trackback | Comments(0)