年が明けた。今年はどんな年か。漠然とした不安の中の新年、というのが偽らざるところではないか。しかしいつの時代も、明日へと進む力を生むのは、どういう社会をつくるかという意思の確かさである。
●日韓併合100年
今年は日韓併合から100年、日米安保条約改定から50年。歴史は絶妙のタイミングをつくるものだ、とつくづく思う。
玉名郡和水町の江田船山古墳。5世紀後半から6世紀の古墳だが、ここから出土した金銅製冠帽や沓[くつ]といった副葬品は、韓国・百済の武寧王陵の副葬品と酷似する。日本と韓国でそれぞれ見たが、酷似ぶりに言葉を失ったものだ。朝鮮半島とわが国の交流の深さがそこにはあった。
近代に入り、決定的変化を与えることが起きる。1910(明治43)年の日本による韓国併合だ。
明治維新で近代化を進めた日本は、朝鮮半島をめぐり清国、ロシアと対立。日清、日露の戦争を経て、韓国を併合する。この間、朝鮮王妃・閔妃[ミンビ]や伊藤博文暗殺といった事件も起きる。敗戦で日本の支配は終わるが、朝鮮半島はアジアにおける冷戦の象徴となった。
韓国とは65年に日韓基本条約を結ぶが、北朝鮮とは今に至るも国交がない。その北朝鮮は日本人を拉致し、核保有を宣言する独裁国家だ。極東アジアの歴史が凝縮されるこうした100年を見据え、日本と朝鮮半島の「これから」を考えたい。
県日韓親善協会専務理事、高本典浩さん(77)は県警OBだ。熊本大水害が起きた53年に警察に入った。密航対策が全国警察の急務。警察庁が朝鮮語の分かる捜査員養成の講座を始めた。「東京に行ける」。軽い気持ちの応募が、ハングルとの長い付き合いの始まりとなった。
県警本部交通部参事官で退職。2002年、知人に請われ協会専務理事になった。今も毎年、ハングル講座をボランティアで開く。62年設立の同協会の会員は法人・個人合わせ125。「高速船も飛行機もない時代から、交流を重ねてきた間柄。領土問題もあるが、交流を深め、兄弟のような関係が深まれば」。高本さんはあくまで自然体だ。
国と国という大きな関係も、その糸をたぐれば、ごく普通の人がつくった歴史に支えられているものだ。
●安保条約改定50年
鳩山政権で際だってきたのが日米同盟のきしみを指摘する声の高まりだ。「アンポ」で日本の世論を二分した安保条約改定から50年。米軍普天間飛行場の移設という蓋[ふた]を開ければ、そこには太い地下茎が何本も複雑に絡み合っていることに気付く。
沖縄県民の思い、日米安保上の基地提供義務、空、地上、兵たんを一体運用する海兵隊の事情、世界的観点に立つ米軍とオバマ政権の思惑、日本側には、政権交代と連立政権という政治情勢、戦後、どれほどの眼[まな]差しを沖縄に向けてきたのかという国民の意識、などなど。沖縄の知人は言う。「本土の人は一度くらい、沖縄の視点で考えてみたらどうか」
米国の言い分を聞かないと日米関係が壊れる、という提起がある。しかし、冷戦が終わり、EUが拡大するそんな国際社会で、日米両国が手を携えて何をするのかという視点からの課題設定も忘れてはならないことだろう。
日本の貿易相手国の1位は中国となった。その中国は今年、上海万博を開き、21世紀の大国をアピールする。日米で中国を国際社会の共通ルールにどう導くか、課題設定の一つになりえよう。環境問題もある。
プラハで核なき世界を語ったオバマ大統領が、太平洋国家米国を宣言するアジア演説の場に東京を選んだことは、同盟国の未来へのメッセージではなかったか。日本が軸足をしっかり定め、共に進む未来を語ることが求められている。
沖縄の首里城の鐘の銘文に「万国津梁[しんりょう]」がある。世界の架け橋の意。尚王朝時代の沖縄の“立ち位置”を宣言したものだが、これは日本の役割と言ってもいいのではないか。アジアを見ながら太平洋も見る、普天間もその射程に入れる。一本芯の通った柔らかな発想が必要だ。
●自省する力を
鳩山政権が発足して4カ月近く、政治とカネをはじめ足元が揺らぐ。
7月には参院選がある。総選挙で長期間にわたった自民党政権に「ノー」を突き付けた国民の政権交代への期待は、鳩山政権下で失速しつつある。それが全くの失望感に変わるかどうか。鳩山由紀夫首相は所信表明で「無血の平成維新」と語ったが、初心忘るべからず、である。言葉は大切にしたいが、大胆にやり抜くことも大事だ。政策を具体化し、行方を示す羅針盤を高く掲げる。事業仕分けに一定の支持が集まったのは、そうした国民の期待の表れであろう。鍵となるのは、透明性と公平性だ。
熊本は来年、九州新幹線が全線開業し、再来年は熊本市が政令市になる。新しい「熊本のかたち」が具体的に見え始めてきた。豊かな熊本をどうつくるか。試行錯誤も多かろうが、試行錯誤の多さは選択肢の豊かさ、そんなふうに受け止める心の余裕ももちたい。
水俣市長を務めた吉井正澄氏が、ラストランナーがトップランナー、と語ったことがある。水俣病を体験したが故に環境都市のトップになれる、そんな意味だが、そこには「回れ右すれば」という前提があった。「回れ右」とは、歩んできた道を問い直すことだ。政権交代も、「回れ右」ほどではないにしても、いったん立ち止まって見直そうという、国民の審判でもあったはずだ。
「回れ右」は自省する精神、ということもできる。自省の強さが、未来の設計図を描く力の強さとなる。
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