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特集社説2010年01月14日(木)付 愛媛新聞

県人初の冬季五輪 青野選手の勇姿が待ち遠しい

 「だれよりも、高く飛びたい」。自己の技へのこだわりが、ついに花開いた。スノーボードハーフパイプで、本県の青野令選手がバンクーバー冬季五輪の出場を決めた。心からおめでとう。
 1998年の長野冬季五輪から正式種目になった若い競技。それに19歳の若者が愛媛から挑む。無限の可能性とみずみずしい魅力を秘めた青年に用意された最高の舞台。とっておきのお年玉だ。
 冬季五輪への出場は県人初となる。南国にありながら、冬季スポーツの代表に選ばれた喜びを、県民とともに分かち合いたい。バンクーバーの空に、若き勇姿が舞うときが待ち遠しい。
 青野選手がボードをはいたのは小学3年のとき。負けて練習、勝っても練習の日々だったそうだ。中学2年から全日本ジュニアで3連覇、当時から高く評価されていた。
 今や押しも押されもしない国内の第一人者。2006―07年にワールドカップで種目別優勝。昨季も世界選手権で優勝を決めるなど、世界トップクラスの実力だ。
 でも、浮かれたところはない。スノーボード発祥の地である米国の主力選手の力は、過去の大会で理解している。五輪という大舞台で強豪相手に戦い勝利してこそ、真の実力者の称号を得られる。
 米選手と勝負するには新技が不可欠という。高さと横回転技という武器に加え、縦回転の技の精度も磨く。
 冷静な状況把握と分析。己の位置取りを誤らない。世界を転戦する中、競技の風向きを肌で感じ的確に修正する能力を身につけてきた。
 本人の努力はむろん称賛に値する。加えて、彼を取り巻く練習環境が、しっかりとこの地に根付いていることにも注目したい。
 まずは、多くの選手をはぐくんだ施設の存在だ。東温市にある国内最大級の屋内施設「アクロス重信」。スノーボードという競技の魅力を発信し続けている。
 コーチら関係者の協力も不可欠だ。青野選手をはじめ、藤田一海選手や渡部耕大選手ら一流のスノーボーダーを育てたのは、「地域力」の結集ともいえる。
 こうした環境が、「スノーボード王国」を生んだ。青野選手らに続く選手が育ってくれるに違いない。
 青野選手は「五輪で成績を残すことを考え練習してきたので喜びよりもホッとした」と、気負いはない。磨き抜かれた技が、最高の舞台で華麗に舞うに違いない。
 スノーボードの認知度も一気に上昇だ。この競技を「みんなに知ってもらうため頑張る」という姿勢は、十二分に浸透したといえる。その先に表彰台があるなら、と想像するだけで胸がときめく。

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