渡辺はテロ発生以来、天皇の弔意を米国に伝えるかどうか悩んでいた。筆者も個人的意見を聞かれ、「大惨事であり、多くの日本人も巻き込まれた。陛下の気持ちは自然だ」としつつも、強く慎重論を述べた。昭和天皇は戦後、弔意やお見舞いは自然災害に限り、戦争や国際紛争はもちろん、重大事故であっても人為的な事柄については言及を控えていた。
「これには表明するが、あれにはしないのか」という問題も持ち上がって際限がなくなり、政治と一線を画す象徴天皇制の根底を崩す蟻の一穴になりかねない、との考え方だ。
渡辺が採ったのは、両陛下の個人的な気持ちを非公式に伝えるという方法だった。しかし、大使は「直ちに大統領に伝える」と応じ、きわめて際どいケースとなった。夕刊でそのことを書いた。
渡辺が怒ったのは、記事で「宮内庁は、市民の犠牲の多さや欧州各国王室がそろって米大統領に弔意を伝えている状況などを考慮し、異例の伝達となったとしている」という部分だった。宮内庁が外務省を通じて各国王室・元首の対応を調べ上げ、ほとんどが弔意を伝達したとの一覧表を作っており、それを庁内で見たため、そう書いた。
「他の王室がやっているからやったなどという低レベルの判断ではない」
渡辺の怒りはなかなか収まらなかった。憲法で「国事行為のみを行う」と厳しく制約された「象徴」という国家機関であると同時に「自然人」でもあるという天皇と側近の苦悩が噴き出したかのようだった。
平成の21年間で首相は14人代わった。官邸スタッフもその都度代わる。だから皇室に関する事項は実質的には宮内庁側の判断が尊重されることが多い。
宮内庁長官は、戦後の昭和天皇を25年間支えた宇佐美毅以来、ずっと旧内務省系官僚が任命されてきた。富田朝彦は元警視副総監。藤森昭一は旧厚生省から環境事務次官、鎌倉節は警視総監、湯浅利夫は自治事務次官の出身。05年4月に長官になった羽毛田信吾は厚生事務次官出身だ。藤森と羽毛田は首席内閣参事官も務めており、官邸の仕切りや実務を熟知している。
「オク」と呼ばれる側近部門のトップである侍従長は、渡辺、そしてその後を継いだ現在の川島裕(元外務事務次官)と外務省出身が続き、対外関係を重視する平成の皇室を支える。ただ、渡辺の個人的背景は先の通りで、川島も曽祖父が元首相・犬養毅という「名門」でもある。
岡田発言や「特例会見」問題が飛び出した背景には、現天皇が国際親善活動を活発化させ、「おことば」や発言で自らの思いを積極的に盛り込むようになり、国民やメディアも受け入れてきた流れがある。
しかし象徴天皇の活動や発言は政治性を帯びてはならないし、それを政治利用することは許されない。皇室にも政権にも強い自制が求められる。
政権は民主党に交代する一方、宮内庁では羽毛田の在任が長くなった。侍従長は川島に代わり、現在3年目だ。
今後、国際親善や様々な場面での象徴天皇制のハンドリングがどうなっていくのか。民主党は「政治主導」を掲げるが、このデリケートな領域では定見を欠く面も露わになり、官邸の事務サイドの機能も低下している。象徴の理念と運用のスキームを再確認し、わかりやすく明示しておかないと、漂流し始めないかとの不安も兆す。
一方、それがあまりに制度化された場合には「自然人たる天皇の気持ちが形式的なものと解されるのではないかという議論も考えられないではない」(園部逸夫『皇室法概論』)との指摘もある。「おことば」がつくられるプロセスが”雑音”にかき回されないためにも最後まで「ブラックボックス」は残らざるをえないのかもしれない。
今後、政治の関与と宮中内部のベクトルはどう働いていくのだろうか。
(文中敬称略)