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1964年
兄、クニ河内と上京。 1966年 クニ河内、ペペ吉弘、トメ北川とのバンド“ザ・ハプニングス・フォー”で東芝よりレコードデビュー。日本のポップ・ミュージックシーンに独自の感覚を作り上げ、伝説のグループとして名を残す。その後、チト河内はスタジオミュージシャンとしてソロ活動。 1972年 吉田拓郎、小室等と出会い、後藤次利、柳田ヒロ 1974年 “トランザム 1976年 日本テレビ系ドラマ「俺たちの勲章」「俺たちの旅」など、“俺たちシリーズ”四部作の音楽を手がけ、同時に中村雅俊の音楽プロデュースも行う。 1977年〜1981年 この時期、以下に列記したようにテレビ、映画、CMなどの映像音楽を最も多く手がける。ドラマーとしての力量はもとより、作曲家、編曲家、プロデューサーとしての基盤を強固にする。 ○原作:中上健二、監督:藤田敏八による映画「十八歳、海へ ○トランザム名によるコカコーラのCMソング「Come On In Coke」。これは以降3年間も続くヒットCMとなった。 ○NHKテレビアニメ「ニルスのふしぎな旅 ○カンヌ映画音楽祭出品の虫プロ長篇アニメ「ゆき」(原作:手塚治虫、監督:今井正 1982年〜1983年 喜納昌吉とチャンプルーズのアルバム「ブラッドライン」に、ライ・クーダー、細野晴臣、久保田麻琴 1984年 パーカッション・ユニット「CHITOTHIC」(チトチック)結成。ビデオ時代に対応した環境ビデオをバンダイからリリース。映像とシンクロした実験ライブにも挑戦する。NHKのテレビ人形劇「ひげよさらば」の音楽を担当したのもこの時期。 1985年 沢田研二との出会いからバンド“Cocolo”(ココロ)を結成。3年間で2枚のアルバムをリリース。また、蜷川幸雄演出による全国ツアーで注目を集める。 1988年 甲斐よしひろのソロ・アルバム2作品の編曲・プロデュース。この頃からジャカルタ、バリなどアジアに足しげく通い・ガムラン、ジェゴク、ケチャなどの民俗音楽と文化を学ぶとともに、現地のアーチストとの交流を深めていく。 1989年 ポリビアの代表的フォルクローレ・グループ“ロス・カルカス 1991年 TBS系全国ネット放送「ジャランジャラン」のパーソナリティに抜擢される。細野晴臣、根津甚八、沢田研二と多彩なゲストを迎え、アジアの旅トークは好評を博す。アジアヘの傾倒はより深まり、マレーシア出身のパーカッション奏者ルイス・パラガサムをリーダーとしてASIABEATのアルバム「SPRIT OF THE PEOPLE」をプロデュース。また、シンガポールのカンファレンスホールでのワールド・パーカッションコンサート「ドレムスキュー」にチトチックとして参加。インドネシアの音楽プロデューサー、ジミー・ウィーとの出会いと親交からは、アジアを発信地として共同プロデュースで世界へ向けた音楽・レコード作りという体制が整えられる。一方、目本を代表する古典芸能のひとつである文楽への接近も見逃せない。吉田蓑助 1992年 インドネシアの3アーチスト、ダーリヤ・ナスティオン、マルヤム・ムスタファ、イベス・カルディナのアルバムがソニーエンターテインメントよりリリースされる。シンガポール・ポニーキャニオンでは・シンガー・ソングライター"ZUL"のプロデュース。チトチックの活動も活発化し、TBS世界音楽祭アジア編に出演。細野晴臣のソロ・アルバムにも参加している。 1993年 音楽を通じた地域社会文化への貢献や、世界を視野に入れた活動が続く。青森岩木山祭り「第五回巨木の森コンサート〜岩木山母樹(ぶな)の鼓動」に出演。今治市の夏祭りテーマ・ミュージック「ジャグチャグバリ」を作曲し提供する。仙台市「七ヶ浜アートウォリアーズ 土と火の祭リ」に参加。能役者の観世栄夫 1994年 今治市の夏祭りテーマ・ミュージック「JAGG.CHAGG.BARI」のCDシングルの発売。同時に同市の夏祭り「第一回バリ祭り(BARISAI)」の音楽をプロデュース。他アーチストのコラボレーションでは、THE BOOMのアルバム「極東サンバ 1995年 THE BOOMの全国ツアーに続けて参加。前年に続き、今治市夏祭り「第二回バリ祭り」の音楽をプロデュース。THE BOOMの沖縄離島ツアー、ウォーマッド横浜、クラブアジア(東京&大阪)には、CHITOCHANGOのリーダーとして参加している。 1996年 THE BOOMとのコラボレーションが続き、彼等のアルバム「トロピカリズム 1997年 チーフタンズとの音楽的交流から、彼等のアルバム「Tears Of Stone 1998年 “チュチュ・メガ605アトリエ”を拠点に独自の創作活動を開始。 1999年 セルフ・プロデュースによる「Seven Echo」三部作をバンダイ・ミュージックより発売。 2000年 ビッグバンド”マンモスショー”結成。ライブ活動で評価を高める。 2001年 チーフタンズの東京公演に再びゲストとして出演。マンモスショーの活動は、青山マンダラでマンスリーのライブが中心となる。 2002年 ザ・ハプニングス・フォーが再結成。30年ぶりの活動開始。8月から9月にかけ、東京Shibuya-AX、名古屋クラブクアトロ、福岡Zepp Fukuokaでのライブツアーを決行。ハプニングス・フォーの熱狂的ファンでもあるクレイジーケン・バンド、渚ようこ、バンヒロシといったアーチスト達がゲストで参加した。12月には神戸チキンジョージ、京都磔磔でライブ。 2003年 ザ・ハプニングス・フォーでの活動が続き、2月に旭川と帯広での北海道ツアーと東京CLUB Queで二日間連続ライブ。3月には、ザ・ハプニングス・フォーの新録音「トーキョー・ブーガルー/恋人」(7インチ・アナログ盤)を発売。 | プロフィール |
2005.06.27.Mon / 00:59 |
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PROFILE
チト河内
ドラマー、パーカッショニスト、作・編曲家、プロデューサー
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