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「新宿文化」のシンボル的存在だった

 【浅川マキさん死去】浅川さんは米軍キャンプやキャバレーなどで歌手活動を始めた。学園紛争の嵐が吹き荒れた60年代末、「蠍座」公演で全共闘世代に支持された。

 当時の新宿はフーテン、フォーク、ATG(アート・シアター・ギルド)による自主製作映画、寺山さんの天井桟敷、唐十郎の状況劇場など前例のない表現や時代を変革しようとする文化的試みのほとんどを生んだ場所だった。その「新宿文化」のシンボル的存在が浅川さん。全身黒ずくめの衣装がトレードマーク。ジャズやソウルに影響を受けた愁いを帯びた声で、故郷への未練や後悔、別れた人への思いを歌った。最近も女性シンガー・ソングライターの源流を探る若い音楽ファンから再評価され、動員力は健在だった。

 デビュー時から一緒に仕事をしてきた寺本さんは「私の原点は(デビュー前の)キャバレーと言い、最後までその精神を大事にしていた。自分の歌いたいもの、やりたいものを最後まで完ぺきに貫いた本当の意味でのアーティストと呼べる歌手だった」。あるレコード会社の関係者は「オープニングで一輪のバラを持って出てきてコップに投げ入れるのがカッコ良かった。そこで観客に“待たせたわね”って言うんだけど、人生の去り方はあまりに早すぎる」と突然の死を惜しんだ。

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