2009年11月23日

“Anyone at All”

私が初めてネットを通じて女の人と会ったのは
ブログなんでまだ世の中に無かった今から9年も前のことなんです。

あまり事細かく書いてしまうと
狭い世界での有名人でもあるその人を探せ出せたりするので
ぼかしぼかし書いていこうと思います。


<長くなったので落ちナシ与太話は折り畳み>
posted by Saxman at 19:00 | Comment(4) | MUSIC

2009年11月15日

last.fm

私がブログ以外に続けているwebサービスに"Last.fm"なるものがありまして、
来月の初めで5年になります。
続けていると言っても私自身は何をしているのでもなく、
パソコンとipodで聴いている音楽を勝手に記録してくれて
自分のヒットチャートをweb上に作ってくれるのです。
確か2、3年前にも一度書きましたが、その時のエントリーは消してしまったからな。



lastfm1.JPG



これを始めたのは
私と同じように自分の食事と日記をブログに書いていた
20も歳が下の当時大学生だった女の子から教えてもらってからで、
その子はそれから立派な公務員になって、はて今はどうしているんだろう。

その頃、調子に乗って“Add as friend”させてもらった人たちは
今や誰一人このサービスを続けていません。
今頃どうしてるのかな・・・なんてたまに思ったりもしますけどね。
懐かしき良い思い出です。


で、私がこの5年間で延べ10万曲聴いてきた
ヒットチャートはこちら。



lastfm4.JPG



今週のmusic.gifMy Favoritesは総合チャートで4位にいる『ぼくらが旅に出る理由』。
カバー元である小沢健二の歌は一度も聴いたことありませんが、
前人未到の1時間徒歩通勤をしているとき、会社まであと10分って頃に
この曲に切り替えて、おーし今日も頑張るかぁ〜と元気付けに聴いていました。

いーですよこの歌は。
♪せつなくて せつなくて 胸が痛いほど〜

昨日のドライブ中にも一番聴いていたかな。



lastfm3.jpg





キレイな人です。
天は二物を与えたんだね。






posted by Saxman at 08:36 | MUSIC

2005年03月12日

"Hello, Goodbye"

hello.jpg



今週は忙しくて、ブログどころではありませんでした。
せっかくの休みの晩なのですが、メシネタではなく超久々の音楽ネタです。

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓


今から21年前。

私は「宅浪」という世の中で一番役に立たない生き物でした。
「宅浪」と聞けばドテラを着て牛乳瓶メガメにネジリ鉢巻、なんて姿を想像しますが、
私の場合は勉強などろくにせず、実態は行き場の無いプーだったわけです。
今じゃ「ニート」なんて言葉があるみたいですナ。

なにせ勉強をしないもんだから、時間はあるけど金は無いしで、
アルバイトは色々とやりました。
ドカチン・引越し等の肉体労働から、ファミレス、ホテルマン、事務職等々。
ホテルバイトで電話応対を覚えたし、事務バイトでブラインドタッチを身に着けたのです。
で、話は前後しますが、19の時に憧れだった「ミスタードーナツ」でバイトをしました。

今まで何度も書いてきているのですが、揚げ立てのドーナツというのはとってもオイシイ。
コレを盗み食いしている時は“あ〜ウメエなぁ〜こんなウメエもんタダで食えて良いバイトを
選んだもんだよなぁ〜”とつくづく思ったものです。


けれども、このバイトで良かったのはそこんとこだけ。

私が選んだ働く時間は夜11時〜朝7時。当時、女性は深夜働くことは出来ません。
まぁそれはどうでも良いとして、深夜というのは客層がえらく悪いのです。
店内は昼間と同じOSAMUグッズや所ジョージのポスターが貼ってあって、
爽やかな雰囲気を醸し出しているのですが、客は全然爽やかでは無い。
泥酔客は店内でゲロを吐くし、ヨッパらいどおしの喧嘩も多々。
毎日3時過ぎにやってくるアヤシゲなオババから、
私は何故か“消防士さん”と呼ばれていました。
そして一番困っていたのは、この店は不良の溜まり場だったのですよ。

毎晩5〜6人がコーラとドーナツだけで2時間くらい居座る。
もうねえ凄いんですよ。他の客がいようが大声で猥談をしまくるし、女が一緒だと平気でキスとかしてる。
便所でシンナーは吸うし、こっちが見て見ぬ振りをしてるのをいいことに散らかし放題。
他の客なんて店の中に入った途端、異常な雰囲気を察知して直ぐに出てっちゃうんですよ。
このバカどもがいなけりゃなぁ〜、と毎晩思っていました。


その晩の店は22歳の副店長と私の二人だけでした。

12時過ぎにいつものバカども5〜6人がやってきて、
しばらくしたらパララパララパララ〜と族車に乗った仲間達がやってきて、
あっという間に店内は暴走族20数名で満席になりました。
深夜に満席になることなど無いのですが、それが全員暴走族!!
これはですね。もうおっかないなんてもんじゃないですよ!
私はその場で直ぐにでもバイトを辞めたいと思いました。

ヤツラは大声でバカ話をしまくり、アーリーアメリカンな店内は紫煙で霞んでいます。
我々店側の小市民二人はドキドキしながらも何も無い振りをし、
「ありがとうございます」なんてマニュアル通りに返事をし、
早く時が過ぎることを願っていたのですが・・・

特攻服を着た眉毛の無いヤツラのリーダーが、コーヒーのマグを灰皿にしていたのです。
これを見つけた副店長。今まで溜めに溜め込んできたものが遂に切れてしまった!


「いい加減にしろよ」

店内一瞬沈黙。

「ああぁ?おまえ今なんて言った?」
「灰皿にすんのはやめろよ」
「もう一度言ってみろよ」
「やめろって言ってんだろ」

この時、店内BGMがニセモノビートルズの「ハロー・グッドバイ」になりました。
♪ゆーせぃいえす あーせぃのー 

「生意気言ってんじゃねえぞこのやろ」特攻服が副店長に掴みかかる。
♪ゆぅせぃすとっぷ ばらあせぃごぅごぅごー

「こんな店ぶち壊しちまえっ」
♪おぅのぉー ゆーせいぐばーぃ あんなーせぃはろー

うぉ〜っと20数名の暴徒が襲い掛かってきた!!!
♪はろー はろー あいどんのーわいゆーせいぐっばい あいせーはろー

私もどちらかと言えば体格は良い方なのですが、4人くらいに羽交い絞めにされ身動き出来ない。
副店長も数名に押さえつけられてぶん殴られ、
他の暴徒はショーケースを割ってドーナツを店中に撒き散らしている・・・

ヤツラは(多分)5分くらい暴れに暴れまくり、パララパララパララ〜と出て行きました。
メチャクチャにされた店内には鼻血顔で泣いている副店長と、最後まで何も出来なかった私。
BGMはニセモノカーペンターズの「シング」に変わっていました。

♪らんららららーら らんららららーら らららららら・・・

このあと警察に電話をして30分くらい状況聴取があり、朝5時前に一人逆恨みをした特攻服が
再びやってきて、ここで一立ち回りがあるのですが、話が長くなり過ぎるので省略。
翌日、店の危機と思った店長が地元の「有力者」に話をしに行き、
それ以降ヤツラはピタリと来なくなりました。
かなりの金を払ったというバイト同士のウワサでしたが、どんなもんだったんでしょうか。


今まで40年生きてて一番恐かったお話。
「ハロー・グッドバイ」がかかると、今でもたまに金八先生で加藤君が暴れた時のように
あの時の光景がフラッシュバックするのです。


長過ぎたかな?まあ休みの晩だし。


〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓


叶わぬ願いの一つとしてビートルズと同時代を生きてみたかった、ということがある。
現役時代を知らない我々には「世界を動かしたビートルズ」なんて大げさに書いて
あるのを読むことはあるが、きっと当時だってスポーツ紙の一面を飾る程度の扱い
だったんじゃないのかな・・・と、私は思っている。

アルバムを出すごとにどんどん進化していくビートルズを、当時の音楽ファンは
狂喜しながら聴いていたのではないか。
なんと言っても今のCDと40年前のLPは同じ値段なのだ。
彼らはひざを抱えてステレオの前に座り、音を噛みしめるように大切に聴いていたに違いない。
もうこれからはそんな風に音楽を聞くことなんて無いんだろうね。

ジョン・レノンもジョージ・ハリスンも死んでしまい、今や還暦を過ぎたポール・マッカートニーと
リンゴ・スターしかいないビートルズ。
それでもビートルズの曲を1曲も知らない、なんて人はいないんじゃないだろうか。
やっぱり凄いですよビートルズは。



posted by Saxman at 00:00 | Comment(0) | MUSIC

2004年12月08日

JOHN LENNON

私はハタチの夏に長野県の野辺山というところで、高原野菜収穫のアルバイトをしました。
プレハブ小屋に2ヶ月間住み込みです。これはかなり前に書きましたね。
あの日航ジャンボ墜落の年です。
そのプレハブへ東京農大から実習生が二人来て、毎日朝も早よから一緒に汗を流していました。

一人は少林寺拳法部の主将で、テレビドラマ「俺たちの旅」に憧れている点で私とウマが合いました。
“yamadaさんも旅っ子ですか!”なんて言うのです。旅っ子なんて言葉あるの?

農場の仕事ははた見と全然違って、ものすごい重労働なのです。
一箱15〜20キロするダンボールに入ったキャベツを担ぎながら、3人(中村雅俊・田中健・秋野大作)
のうち自分が役をやるなら誰が良いか(我々の意見は上村香子が奥さんのグズ六ということで一致)、
なんで金沢碧をヒロインにしたんだ、大っきらいの回は良かった、最後に出てくるあの詩が泣かせる・・・等々
飽きもせず毎日同じような話をしていました。

もう一人は外見ひょろひょろ、髪は当時のフォークソングロン毛、「俺たちの旅」の話題を
振っても‘僕は欽ちゃんの「家族対抗歌合戦」を見てたので・・・’とつれないのです。
おまけに実家が静岡の大きい農家で、跡取り息子というのも我々からすれば面白くないところです。
重いモノを持ったことなど無くて、2日目に‘こんなにキツいんじゃ死んじゃいますよ〜’なんて
甘ったれたことを言っているので、少林寺からキャベツをぶつけられていました。

けれども同じ屋根の下、同じ二段ベッドで暮らしていると、あっという間に仲良くなるものです。
そのひょろひょろの彼、タナカさんはジョン・レノンの大ファンでした。
ビートルズ発祥の地リバプールにも行ったし、ジョンが暗殺された翌年にはダコタ・アパートにも
行ってきたなんてスゴイことを言う。オノ・ヨーコとの最初のアルバム「Two Virgins」も持っていて、
知ってますかジョンは包茎なんですよ!アレ見て僕も自信持ちましたよハハハ、なんて面白いことも言う。

このタナカさんが面白い人なのです。
二人が実習を終えて帰る最後の朝。賄いのメシを食って、少林寺と一服してからプレハブに戻ると
タナカさんがしょげているのです。
そうだよな〜短い間だったけど楽しい毎日だったもんな・・・と我々2人もしんみり。

ヤマダ「タナカさん。東京に戻ったら飲みに行きましょう!」
少林寺「タナカ!オマエこれが俺たちの旅なんだぞ」
タナカ「昨日切った爪が無くなっちゃいましたよぉ」
少林寺「・・・ん?オマエ何言ってんだ?」
タナカ「枕元に置いといた爪が掃除されちゃって無いんですよー」
ヤマダ「だからタナカさんなんだっつーんですか」
タナカ「子供の頃から爪は身体の一部だからずーっと溜めて来てるんですよぉ〜」

タナカさんはプレハブ小屋で切った爪をフィルム缶に入れて持って帰ろうとしていたのです。
家ではコーヒーの空き瓶に入れてずーっと保存しているとのこと。
一人しょげるタナカさんの前で我々二人は大爆笑。
世の中には変わった人がいるものです。

タナカさんとはその後3〜4年、年賀状のやり取りをしていました。
修行の為アメリカに渡り、カワイイ奥さんと一緒に写っているタナカさんは
日に焼け逞しくなり髪の毛も短くなっていました。
今はどうしているんだろう?相変わらず爪を溜めてるのかな?



いつのころからか私は「俺たちの旅」もビートルズのことも話す機会はなくなっていきました。
どうしてだろう・・・
それは「大人になったから」なのかにゃ?



non.jpg



ジョン・レノン。
1980年12月8日 凶弾に倒れる。
享年40歳。私と同い年です。
この季節、30年以上経った今でも街には“Happy X'mas(War Is Over)”が流れます。


今日の晩メシUPはお休みを頂戴して、ジョン・レノンの命日にちなみ毎度の与太話でした。
あんまりちなんで無いか(笑)
コメを切らしたので、明日の朝メシもお休みしま〜す。



posted by Saxman at 00:00 | Comment(0) | MUSIC

2004年08月21日

“Twenty Foreplay”

ネットで出会って、恋愛まで発展するケースは今や普通らしい。

このブログにコメントを残していってくれる方々は、何故か9割方女性なので
「オレも実力を出せば意外にモテるじゃないか!」と錯覚してしまうんだが、
当たり前だが通常の生活では全然モテないんである。

身の回りにいる人間は「何だブログって」という輩ばかりなので、
ネット⇒恋愛は自分の回りでは過去一例しか無い。

-----

私はこれでも自分の部下の女社員には優しいと思っている。
いくら慣れてもタメ口は厳禁だが、セクハラは絶対にしないし、誘導尋問を
すれば「yamadaさんは優しいです」と返ってくるので、きっと優しいんである。

インターネットが世の中に出回り出した頃、寿退社のコと入れ替わりに
北海道の山奥から出てきて一人暮らしをしているコが入社して来た。
彼女はスケートの岡崎朋美に似て、かわいらしい顔をしているんだが
社交性がゼロというか、とにかくおとなし過ぎてどうにもならない。
前のコがオキャンで人気があったので「随分暗いコが入ってきてしまったな〜」
と内心ガッカリしたもんである。

当時、社内でネット接続出来る端末は限られていて、
私はその恩恵に与っていたもんだから、彼女にインターネットの面白さを教えていた。
で、メールや掲示板を目を輝かせて楽しそうに見ている。
そしたら驚いたことに彼女は入社6月の餅代を頭金に、
いきなり40万円のパソコンを買ってしまったんである(Accessを自腹で買ったのにも驚いた)。


その一年後の暑気払いの後。
一緒に帰るべえ、とタクシーに乗って30分くらい色々と話をする。
彼女はシェリー酒なんて飲んだもんだから、珍しく饒舌だった。

「○×サンまだインターネットやってんの?」
「ハイやってます」
「もしかしてエロサイトとか見てんのか」
「Yahooの掲示板にハマってて、先月電話代が3万円かかっちゃいました」

話を聞くと、カラオケの掲示板仲間で毎週オフ会に行ってるという。
カラオケ好きは知っていたが、このおとなしいコがオフ会に行ってる!
ということに驚いた。今までで一番楽しい、とまで言う。
私はオフ会なんてものに行くのは、牛乳瓶メガネのひょろひょろパソオタか
アニメ大好き脂汗デブ野郎しかいないと思ってたから、その話を聞いても
余り良い印象を受けなかった。


その一年後・・・

彼女はそれまでも休みが多くて、何回か注意していた。
私が遅刻した時に机を見ると今日も来ていない。いい加減にしろ!と思ってたら
上司に別室へ呼ばれた。私がいないから直接電話で話しをしたらしい。

なんと妊娠してしまった、というんである。
おぉ遂にパソオタかアニメデブにやられてしまったか!

とりあえず話しを聞かなくては、と彼女の自宅へメールを入れる。
返信に体調が悪いからしばらく休む & 来てもらうのなら来週にして欲しい &
本当にごめんなさい、とある。

二年も机を隣にして仕事をしていれば、やはり情はうつる。
パソオタorアニメをとっちめてやらなければ、という思いと、
そいつに生活能力が無ければオレが援助でもしないとアカンのかな、という思いが錯綜する。


翌週日曜日に彼女の部屋がある調布へ向かう。
一人でいると思ったら彼が来ていた。ここで私はまた勝手に驚くんだが、
パソコンでもアニメでもなく、体つきがいい好青年タイプなんである。

「この度は私たちのことで迷惑をかけてしまって本当に申し訳ありません」
いきなり腰が低いので、こっちも拍子が抜ける。

私「出来ちゃったものは仕方無いけど、ちゃんと責任は取るんだろうな」
彼「はい。来月には籍を入れようと思っています」
私「働いてんのか。学生じゃねえだろうな」
彼「社会人です。まだ3年目ですが」
私「ちなみに何の仕事してるんだよ」
彼「XXXX庁に勤めています」
私「・・・は」(ここで一気に汗が出る)
彼「と言っても今はXX省に出向してるんです」
私「あのぅ・・・お仕事は結構大変なんですか」
彼「毎日午前様です。週末は彼女がいるので必ず休むようにしています」
私「あのあの私で手伝えることなら何でも言って下さい」
 (この間、彼女は下を向いてずっと笑っている)


またまたまた驚いたが、彼はなんとスーパーエリートだったんである。
彼女の両親も、この出来ちゃった結婚に相当喜んだらしい。
この後、官舎に入る手続きとかで彼とは何回か話をしたが
「ですます」口調になっている自分が情けない。

真面目なコだったから多分シアワセに暮らしていると思うが、元気だろうか。

この頃、流行っていたのがジャネット・ジャクソンのベスト盤なんである。
(強引というか相当苦しい展開)
・・・と思って発売日調べたら全然違うわ!アレ〜おかしいなー
ここまで打ったし、ま いっか。

-----

ジャネット・ジャクソンは“Control”の大ヒットからずっと聴いている。
信じられないが、あれからもう20年近くも経っている。
今年始めにオッパイポロリ事件があったらしいが、そんなコトに興味は無い。
どのアルバムも金と時間をかけ、最高のスタッフを集めてるだけあって、グレードが高い。

アルバムは最新作を除き全部持っているんだが、このCDは♪Runaway が聴きたくて買った。
ラストに入っている♪Twenty Foreplay は実を言うと、ずっと聴いてなかった
(だから年代を間違えてるんだな)。
輸入盤しか買わないのでCDを見ればわかりそうなもんだが「24プレイ」と勝手に
思い込み、アメリカの四十八手みたいなエロソングだと思っていたんである(マジ)。


ジャネット・ジャクソンには名曲が多いが、この歌が一番好き。
曲途中の(ブリッジっていうのか?)
♪Wine and candles puts us in a sexy mood
から
♪That 's when we get to it Close our eyes Feel our our way through it
に切り替わるところがカッコいい。

-----

ネットの「出会い系」なるものに、長い間興味を持っている。
色んなブログを見ていると、ウマくいってるケースも多いようである。

ただアレには自己紹介が必要である。
私の場合、特技も取り得も自慢出来るものが何も無い。
入り口のところで何年も躊躇しているんである。

「もうすぐ40になっちゃうんで、誰か何とかして下さいヽ(`Д´)ノウワァァン!!」
とか書けば何とかなるもんだろうか。



20040821.jpg






posted by Saxman at 00:00 | Comment(0) | MUSIC

2004年07月30日

「スローモーション」

僕らが高校2年の時に中森明菜は「スター誕生」からデビューした。

同時期に人気を二分していた松田聖子は、
都会的で正しい恋愛一直線というイメージで売っていたが、
方や明菜の方は少し不良がかって&やや寂しげで、
都内と言えども会話語尾に「だべ」を付ける心はイナカ者の僕らを、
ときめかせていたものである。


高3になっても全然勉強をしないで麻雀ばかりしていた僕らは、
その日も教室の後ろで「アイドルで彼女にするとしたら誰か」という下らない話をしていた。
「小泉今日子」「早見優」だの名前を挙げたところで、
付き合える訳は無いんだが(ちなみにワタシは原田知世)、
クロカワという奴がいきなり「中森明菜の妹がウチに遊びに来たことがある」と言い出したんである。

このクロカワという男は良い奴なんだが、
人が言ったギャグを毎回オウム返しするウザったいトコロがあって、
半分笑いのタネにされている面もあった。

僕ら「クロカワいい加減なこと言うんじゃねえよ」
クロ「ホントだよ。オレの妹と明穂(明菜の妹)は友達だったんだよ」
僕ら「ウソこくんじゃねえよ!証拠あんのかよ」
クロ「明菜の家を知ってるよ。引っ越してなきゃ今もいるはずだよ」
僕ら「ホントかよ!!おめえウソだったらぶっ殺すぞ!」

何とも物騒な話であるが、
人気絶頂のアイドルが僕らの身近にいることが到底信じられなかったんである。
その日の放課後は麻雀を取りやめて、
「行くべ行くべ」と中型と原チャリに分乗してキヨセの中森家に向かった。
実際に行くことになると現実味が沸いてきて
「いたらメットにサインしてもらおう」とか「下着を盗むか」と言った話で盛り上がってきた。

しかし先導のクロカワが、同じ道を何度も走る。
わざとらしく首を振っているのが、後続の僕らから見える。
これはどうやらオカシイと思い始めた時クロカワが止まった。

クロ「あそこだよ明菜の家は」


普通の住宅街にある2階建ての家。
知られることを恐れてか表札は出ていない。

しかし、

元は白壁だったと思われる一面はスプレーでメチャクチャ。
「〜参上」とか「尊王愛国〜」とか、例の東京都マークとかが何重にも書かれていて
とても人間の住める環境では無い。
これはスゴい・・・

僕らはバイクから降りずに無言で通り過ぎた。
クロ「だからホントだって言ったろ」
その日は気分が悪くて、ファミレスには寄らず皆そのまま帰った。


---
中森明菜には薄幸のイメージがつきまとう。
今はどうか知らんが、美貌と才能に恵まれたのにシアワセに縁遠い。
個人的には興味は無いが、
写真週刊誌に撮られてた頃も到底シアワセそうには見えなかった。


♪砂のう〜え 刻〜むステェップ ほーんの一人遊び

デビュー曲でありながら、個人的にはBest Trackです。



20040730.jpg






posted by Saxman at 00:00 | Comment(0) | MUSIC