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大震災から15年  「記憶」を未来につなげ

 中南米の最貧国ハイチを大地震が襲った。首都ポルトープランスはがれきに埋もれ、必死の救助活動もむなしく刻々と犠牲者が増えていく。直下型地震の猛威にあの時の光景が重なった。阪神大震災からきょうで15年になる。
 背の高いビルやマンションが目立つ今の神戸から震災の傷跡はうかがえない。落ち込んでいた人口や鉱工業生産指数といった経済指標も回復した。
 震災後に生まれた子どもたちが通う小学校の体育館や校庭にはかつて遺体が安置され、仮設住宅が並んでいた。それが6千人以上の命を失ったまちの「記憶」である。その記憶を地域や時代を超えて生かさねばならない。多くの死者に報いることにもなる。
 震災はわれわれに何を問うたのか。
 高速道路は寸断され、新幹線の高架橋の橋げたが落下するなど交通網は途絶。ライフラインは止まり、現代技術の「安全神話」は一瞬にして崩れた。都市部では救命の場面や復興過程でコミュニティーの形成が課題となった。
 自然との共生を忘れ、効率性に走った社会がいかに脆弱(ぜいじゃく)であるかを、震災がむき出しにした。今もなお、克服されたとは言えない。
 兵庫県の災害復興住宅で、誰にもみとられずに亡くなった一人暮らしの入居者がこの1年間で62人に上った。復興住宅の運営は高齢化で限界にある。
 被災地の産業は全国的な景気低迷との二重苦に直面している。復興はまだら模様で、差は広がるばかりだ。
 復旧ではなく「創造的復興」を兵庫県はうたった。それでもインフラ優先になっていなかったか。「復興とは失われつつあった人や地域の誇りを取り戻すプロセス」。中越防災安全推進機構復興デザインセンター(新潟県長岡市)の副センター長、稲垣文彦さんの言葉は、この15年を振り返らせる。
 2004年の中越地震では過疎や高齢化の問題が噴出した。「災害によって社会の弱さが出る。日常から地域の課題を改善することが大事」と言う。
 東海地震や東南海・南海地震といった巨大地震の可能性が叫ばれ、京都や滋賀でも大地震につながる活断層の存在が指摘される。公助に加え、自助と共助の3本柱で、地域の「弱さ」に向き合う総合的な対策が必要だ。
 京滋には古い木造住宅が多く、耐震不足が懸念される。京都府内の住宅耐震化率をみると、京都市域の77%に対し、丹後は48%。自主防災組織の組織率でも地域のばらつきが大きい。
 鴨長明の「方丈記」には1185年に京都を襲った大地震を記した一節がある。「月日かさなり、歳経にしのちは、ことばにかけて言ひ出づる人だになし」。当時に限らず、非常時のことは日常の中で忘れられがちだ。だが、日常の取り組みこそ非常時にものをいう。震災の教訓を未来につなげたい。

[京都新聞 2010年01月17日掲載]

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