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2010年01月04日平城遷都1300年 都支えた地域の力再認識

 「咲く花のにおうがごとく」と歌われた平城京。2010年は、日本初の本格的な首都が誕生して1300年にあたり、1月1日から奈良県で「平城遷都1300年祭」がスタートした。平城京と若狭・越前は深いつながりがあり、イベントを通して地域の歴史をアピールしようという計画もある。平城遷都1300年のもつ意味を、地方の視点から考えてみたい。

 都と福井のつながりを示す史料として、平城京跡などで見つかった木簡(もっかん)(荷札)がある。奈良時代には租・庸(よう)・調などの税が課せられたが、若狭から送られた物品(調)の大半は塩で、平城京跡で出土した塩の木簡数の全国最多は若狭国だ。

 若狭では古墳時代から土器を用いた塩づくりが始まり、内陸部の人たちも土器づくりなど塩の生産に従事していた。奈良時代になると製塩土器は大型化し、国家的な事業として塩づくりが行われていた。

 このように若狭の塩が特に重視されたのは、保存に適した固形塩だったためとみられている。周防(すおう)(山口県)などの塩が粉状だったのに対し、若狭の塩は土器を用いて焼き固めてつくり長期保存に適していた。この時代、備蓄できる富として塩は国家の実力の証し。若狭の塩が律(りつ)令(りょう)国家を支えていたともいわれる。

 また、若狭からは天皇の食(しょく)膳(ぜん)にささげられた「御(み)贄(にえ)」として、鯛(たい)ずしなどさまざまな魚介類も運ばれていた。若狭は天皇家に食材を供給する「御食国(みけつくに)」として位置づけられていた。

 こうした食文化は、今日でも若狭湾沿岸でつくられている発酵食品、なれずしに受け継がれている。御食国の歴史は、小浜市が進めている「食のまちづくり」の背景にもなっている。

 ことし4月には、平城宮跡で開かれる記念行事に合わせ、多くの海産物を都に送っていた高浜町の町民らが「御贄献上行列」を企画。特産品(塩と鯛ずし)を再現し、4泊5日かけて歩いて届ける。すし発祥の地として「若狭たかはま鮨(ずし)」のブランド化に取り組んでいる町を全国に発信したい考えだ。

 このように都との関係は、今日の「食」を中心とした地域おこしに生かされている。さらに奈良東大寺の「お水取り」と若狭神宮寺の「お水送り」(小浜市)、東大寺への「お米送り」(福井市)など、地域の行事にも受け継がれている。こうした歴史が結ぶ縁を大切に、地域からの発信力を高めたい。

 ただ、ここで思い起こしたいのは、「鯖街道」など都へ通じる道が、先人が海産物など重い荷を運んだ道であったことだ。都の繁栄は地方の負担の上に成り立っていた。一方、その道は大陸文化を都に届け、都の文化を招来した道でもあった。平城遷都1300年を機に、都を支えた古代の若狭・越前の歴史を再認識するとともに、仏教が広まり、天平文化が花開いた都との交流に思いをはせ、これからの地域づくりにつなげたい。

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