浅川マキの世界
浅川マキの突然の死去で驚いたんだが、1970年代にはゴールデン街のあちこちの店で、この人のレコードが置いてありましたね。「浅川マキの世界」というヤツ。寺山修司のプロデュースらしい。ひと晩で10回は聴かれていただろうかw 緑魔子と浅川マキと藤圭子は、日本三大オカッパ女です。
石川県石川郡美川町(現:白山市)出身。石川県立金沢二水高等学校卒。 町役場で国民年金窓口係の職に就くも程なくして上京する。 マヘリア・ジャクソンやビリー・ホリデイのようなスタイルを指向し、米軍キャンプやキャバレーなどで歌手として活動を始める。残念ながら、「浅川マキの世界」はLPで廃盤になって、以後、復刻されてませんね。本人がCD嫌いで、しかも極端に露出を嫌うために、映像も少ないです。TVにも出たことないんじゃないかな?
1968年、寺山修司に見出され新宿のアンダー・グラウンド・シアター「蠍座」で初のワンマン公演を三日間に渡り催行、口コミで徐々に知名度が上がる。やがて東芝音楽工業株式会社(現:EMIミュージック・ジャパン)に移籍、1969年7月1日、EXPRESS-レーベルより『夜が明けたら / かもめ』で正式にレコード・デビュー。 以後1998年まで移籍すること無く作品を発表しつつステージを主体に音楽活動を行う。 特に池袋文芸坐ル・ピリエで1997年まで催行した大晦日連続定期公演は有名である。
CDの音質に対して懐疑的であり、それ故1998年より新譜を発表していないが、2000年以降はジャズ・クラブ「新宿 PIT INN」を本拠地として定期公演を再開。 ジャズ、ブルースや黒人霊歌を独自の解釈で歌唱する姿勢は定評がある。
さびれた港町、凍てつく潮風、薄暗い路地裏…裏日本の進学校出身で、最期まで自分のスタイルを貫き通した。今、入手できるCDはこのベストアルバムのシリーズだけです。
そういった風景と人々の息づかい、匂いまでもが伝わってくる。
都会で暮らす誰しもが、失ったはずの懐かしい故郷…
二度と戻れはしない年月のなかで、憩っているふるさとの感触が、このアルバムには閉じ込められている。
Makiの歌声は、人々に忘れ去られ、遺棄された情念のレクイエムである。
DARKNESS I 価格:¥ 5,097(税込) 発売日:1995-08-30 |
DARKNESS II 価格:¥ 5,097(税込) 発売日:1996-12-21 |
DARKNESSIII 価格:¥ 5,097(税込) 発売日:1997-11-19 |
というわけで、日本のシンガーソングライターのハシリでもあり、生涯「浅川マキの世界」を貫き通した巨星を悼んで、Youtobe特集です。
「もっと美しい女に生まれたかった」。浅川マキは願いを聞かれるとそう答えるのが常であった。たしかに、女バーブ佐竹といった感じだったが、独特の雰囲気を持った女性だったね。
寺山修司が発掘したというんだが、それをいうならカルメンマキも同じだろう。寺山修司は日本でも有数の音楽が分かるという意味での造詣の深い男であった。
浅川マキには悪いが、彼女の死で、改めて寺山修司について考えた。
投稿 阿井卯栄男 | 2010/01/19 12:25
実に悲しい。
「浅川マキの世界」「MAKI II」はレコード持ってます。
投稿 通りすがりのabc | 2010/01/19 12:29
「浅川マキの世界」はLPとCDで持っています。
投稿 三島原住民 | 2010/01/19 12:48
「赤い橋」が一番好きだ
投稿 ひこうき雲 | 2010/01/19 12:58
熱烈なファンというわけでは有りませんが、好きでした。ベスト盤(CD)を、折に触れ聴いています。 ところで、題名のわからない曲があるのですが、どなたかご存知の方、おしえてくれるとありがたいです。さわりの歌詞はたしかこんな感じ?
ねえちょっと、水夫さん。
海から上がったばかりの、
ねえちょと、水夫さん。
あたしのいい人になってちょうだい。
明かりよ水夫さん、暖かい白い明かりよ・・・・・・以下略
昔、ラジオで流れてたんです。
投稿 けんじ | 2010/01/19 14:15
何かニュースで知って、いきなり40年も昔に呼び戻された気がします。
今朝は早くから物置の奥からレコード探し出してきました・・・
他にも掘り出し物もありましたが、「浅川マキの世界」見つけ出しました。
早速洗浄してレーザープレーヤで再生しました。
当時は安物のプレーヤだったので溝はかなり削れていましたが、気分はギラギラした青春を思い出し泣けました。
少しイコライズしてデジタル化しちゃいました・・・CDにして車で聞くためと、iPod用です。
気分としては8トラックテープにしてみたかったりして・・・
投稿 TangoBack | 2010/01/19 14:18
まだ、淀橋浄水場から高層ビル群に
変わろうとしている頃の工事現場の西新宿を、
誰の歌かもわからず、フーテン野郎と一緒に
よぉがあけたらっ、、
いぃちばん早い汽車に乗るから、、
と大声で歌いながら歩いたの、
思い出しますた。
>「赤い橋」が一番好きだ
うんオイラも、、
今夜は、新宿あたりで飲みたいな、
でも、行けないな、
ずいぶん遠くまで来てしまった。
投稿 およよ | 2010/01/19 14:22
昨晩は、灯ともし頃(LP)を聞きながら酒を飲んだ。
いつに無く、酔ってしまった。
どの歌もみんな好きだけど 特に
「少年」、「夕凪のとき」、「前科者のクリスマス」、「トラブル・イン・マインド」かな?
小生のように、案外、浅川マキから自分の精神世界に何らかの影響を受けた人が、少なからず居るんじゃないかな。
「Maki 」を初めて聞いたのは18歳のとき。バイト先の喫茶店だった。あのLPの中のインタビューで「寝たまま死にたいな、うん、寝たまま…」て言ってたっけ。
あれから、もう39年?たってしまった。 合掌、そして有難う。
投稿 老人大学院生57歳 | 2010/01/19 14:24
近藤等則の動画をYouTubeで探してたら、
浅川マキさんに突き当たりました。
こんな凄いアーティストがいたなんて・・・
もっと早くに知りたかったです。
投稿 まるよし | 2010/01/19 14:26
浅川マキ自身に関係のない話で恐縮だが、
北陸自動車道で、彼女の出身地を通ったら、
美川県一の町
http://kanazawa.cool.ne.jp/discoverjunk2/ruins/Otherstop/mikawa/index.htm
というバカでかい看板が目に飛び込んだ。平成の大合併
で白山市になった時、撤去の話も出たが、認知度が
高いということで存続決定。
ちなみに、美川憲一は長野県諏訪市の出身。
どうもでした~。
投稿 でべそ山 | 2010/01/19 14:29
>ねえちょっと、水夫さん。
「港町」という曲です。
マキさんのスウィング感がたまりません。
合掌。
投稿 ばん | 2010/01/19 15:41
>「赤い橋」が一番好きだ
うん、私もそう。たまたま、中野の生ギターで歌わせる店に歌詞カードがあって歌ったのが去年の夏。北山修百科撰の三番目にのっている。
日本語の詞をつけた「ガソリン・アレイ」とか「セントジェームズ病院」も好きだ。
「セントジェームズ病院」は南里さんがペットを吹いていたのでは?
ミュージシャンに愛されたひとでした。
アケタの店での渋谷毅さんたちとのライブが印象に残っています。
(夜が明けたらをテレビでみた記憶があるのですが、錯覚?)
高田渡、浅川マキ、、、、みんな橋を渡って帰らない。
けんじさん
>ねえちょっと、水夫さん。
は「港町」というタイトルで、ラングストン・ヒューズの詩を誰かが訳して山下洋輔が曲をつけたもの、だったと思う。
行きましょうよ、ねえ、あんた
一緒にいらっしゃいってば
まだあの世にいくまではもう少し時間があるつもりです、マキさん
寺山さんに久しぶりにお逢いできますね
投稿 常民 | 2010/01/19 15:42
平成生まれの子供たちが成人式を迎えたこの正月。
…昭和がだんだん遠くなる。
投稿 odinn | 2010/01/19 15:53
>緑魔子と浅川マキと藤圭子は、日本三大オカッパ女です。
おかっぱフェチのおれっちも概ね同意せざるを得ないwww
投稿 をちぁ | 2010/01/19 15:59