【アニメ監督・片渕須直インタビュー】『マイマイ新子と千年の魔法』地味すぎるアニメ映画が起こした小さな奇跡
2010年01月16日15時20分 / 提供:日刊サイゾー
昨年末、席数わずか50程度の映画館「ラピュタ阿佐ヶ谷」は空前の熱気に包まれていた。8日間のレイトショーで公開された、ひとつの作品を観るためにファンが殺到。開演の10時間以上前にはすべての整理券が出払い、それでも劇場を訪れる観客は後を絶たず、連日その席数以上の人数が、やむなく入場を断られていたという。
『マイマイ新子と千年の魔法』──小さな町の小さな劇場に大フィーバーを巻き起こした1本のアニメ映画は、その熱気を受けて年明け9日から再び3週間のアンコール上映に入っている。
一体この作品の何が、そこまで人を惹きつけて止まないのか。片渕須直監督に話を聞いた。
──昨年末の大入りを受けてのアンコール上映ということで、まずはおめでとうございます。
片渕須直監督(以下、片渕) ありがとうございます。実はここ(ラピュタ)に来る前に新宿ピカデリーで上映していたんですが、終わりの頃はかなり口コミが広がって、大人のお客さんが来てらっしゃったんですね。それが午前中の上映だけだったので、多くのサラリーマンの方が会社を休んで観に来られているという、本当に申し訳ない状況になってしまっていたんです。やっぱり会社が終わった後に、のんびりした気分で映画を観ていただくのがいいんじゃないかと思って、ここへ来てレイトショーという形にしたんですが......。
──まったく入りきらないくらいの観客が来てしまった。
片渕 うん、想像を超えていました。初日から補助席まですべて、午前中に埋まってしまって。これは困ってしまうな、ということで劇場さんのほうからアンコールのご提案をいただきまして、今回また3週間のレイトショーということになりました。
──『マイマイ新子と千年の魔法』は、昭和30年代の山口県を舞台にした作品です。そもそもの企画の成り立ちというのは、どのようなところから。
片渕 この作品はそれまでの(アニメ制作会社)マッドハウスがやっていたこととはちょっと違って感じられるかもしれないけれど、企画当時のマッドハウスは、いろいろな方向の作品を作っていこうという意欲で経営陣が燃えていて、社長の丸田順悟さんが、子どもの世界の持つみずみずしさを映し出したこの話を映画にできないだろうか、と原作本を持ってこられたのが最初です。
──その原作『マイマイ新子』(マガジンハウス・新潮文庫刊)をお読みになった印象はいかがでしたか。
片渕 まず、映像的なイメージが、ふんだんに溢れた小説だと思いました。ぼくはアニメーションとは基本的にファンタジーであるべきだと捉えているのですが、たいていの場合、ファンタジーとは快楽原則的にゆだねていくのが普通です。それだけでは先行きがない、とも感じてたんですが、この小説は「心地よさ」だけで物語を作っていないな、という印象があって。26のエピソードからなるオムニバス的な話なんですが、そのひとつひとつに必ず死のイメージみたいなものが散りばめられているんです。それが、昭和30年代という時代にすごくマッチしていたような気がしますね。生活と死が隣り合わせにあることが今よりずっとあからさまだったような、そんな印象でした。これは、ストーリー的に一筋縄ではいかないな、と。
■この時代に"地味"なアニメで勝負できるのか
──いま、アニメの世界は日に日に華やかになってきています。動きも速くなり、CGや3Dもどんどん取り入れられている。そういう市場のなかで、この作品は、言葉は悪いですが、一見してすごく地味に映りました。
片渕 地味ですね、地味です。はい。3DCGも使っていますが、あえて目立たない使い方にしています。地に足がついた感じが欲しかったんです。それで、「地に足がついた感じが心地よかった」という感想に数多く出会って、間違ってなかったと思いました。
──企画を進める上で、マーケティング的な障壁などはなかったのでしょうか。
片渕 作り手側は、わりと確信犯的に考えていました。いまは派手なハリウッド映画もたくさん作られているけれど、その内容的な部分、人物の描き方だったり、かなり画一化されてしまって、まるでルールブックがあって、みんながそれに従って同じものを作っているようにすら感じてしまう。映画って、観客がどんな風に新鮮なものを味わうかという"刺激"であるはずです。どれだけ派手でも新鮮じゃないものは単にボリュームが大きいだけの話で、それに対して太刀打ちできるな、という気持ちはありました。
──その「太刀打ちできる」という最大の武器は何だったのでしょうか。
片渕 自分が子どもだった頃、たしかにたずさえていたはずの、「子どもならではのものの見え方」みたいなものを、リアルに思い出せそうだったこと。その上で、登場人物を見渡してみて、その一人ひとりの人物像を心地よく描こう、と思ったこと。好感の抱ける人物を、しかし、単純に"外づら"がいいだけじゃなく、"内づら"も持たせつつ、次々と登場させる。そうした人物たちが総体として並んだときには、かなり大きな力になるのではないかな、と思っていました。
──確かに、人物像がすごくリアルに描かれているという印象を受けます。
片渕 昔は、自分がものを作ろうとしても、いい人って一通りしか思いつけない感じがあったんですよね。それが、年季のせいというのか、人間ってこういうものなんだなって、何となく理解できるようになってきた感じがします。主人公の新子が「転校生の貴伊子の内側にはきっと何かあるはずだ」と想像力を働かせたようなことと同じような気持ちで、もの作りしているということです。それを広げていって、我々が日常生活で出会う世の中の人全員に対して、「何かあるはず」という気持ちで接しつつ生きていくことができるんだとしたら、ずいぶんあったかい気持ちにもなれるはずですよね。そういうリアルなあたたかさを、映画を見る方に味わっていただけたら、そう思ったわけです。
■「感動した理由が解らない」という究極の伝達
──この作品は、ネットでも多くの反響を呼び、上映存続の署名運動(http://www.shomei.tv/project-1385.html)なども起こりました。かつては評論家やプロのライターだけのものだった"映画批評"が、いまは無名の書き手が無報酬でたくさんの意見や感想を披露しています。そうした声は意識されますか?
片渕 『マイマイ新子と千年の魔法』をやるまでは、そんなに意識してなかったかもしれません。実は作り手としての自分は、物事を理屈として言葉に突き詰めないで作っているわけです。言葉にしちゃったらそこで終わってしまうモヤモヤした感触やイメージを、イメージのまま放つようにね。それが、観客の側で実に驚くべき精度で、的確に把握されていたりもします。一人ひとりの見方は仮に一面的だったとしても、それが多方向からあんなにたくさん集まって、ネットを見る方はそれを眺められるわけだから、すごく面白い状況だな、と思います。
──そうした感想のなかで印象的だったのですが、「感動したけれど、なぜ感動したのかよく解らない」という、同じ文言をあちこちで見かけました。こうした観客の反応に監督が分析を与えるとしたら......。
片渕 その「作るときになるべく言語化しないほうがいい」と我々が思っているままに受け取られているということなんじゃないでしょうか。これはひょっとしたら、理想的な形で伝達が働いているんじゃないか、という気がするんですよ。言葉にすべきものが何か解らないのに、作り手と観客のコミュニケーションが成立しているわけで。
──作り手がイメージとして出したものが、イメージとしてそのまま届いている。
片渕 もちろん、言語化しないとシナリオや絵コンテは書けないですから、ある程度、絵コンテのト書きには「ここはこういう意味で」みたいなことを書くんですが、そのシーンを観客の方が観たときに感想としていただいた文言がト書きとまったく同じだったりすることが稀にあるんですね。まるでテレパシーが通じたように、こちらの言いたいことが伝わったと思う瞬間がある。
それが、今回の場合はさらに、言葉にする以前のものが直接伝わっていると。......そうだとしたら、これはもう究極の伝達が成り立ってしまっているんじゃないかと。よく、ものを作るときには「考えるより感じろ」って言うじゃないですか。そうして作ったものを観客の側も、「考えるより感じたまま」受け止めていただいているというのは、こちらとしてもすごく面白いし、わくわくしますね。そうして得た観客の方々が、今度は各地のあちこちの映画館に、『マイマイ新子と千年の魔法』というこの映画をかけてやってくれとアピールしてくださっている......。
■「児童映画なるものを取り戻す企み」とは
──今作、監督はこの映画を「児童映画なるものを取り戻そうとする企みである」とおっしゃっています。監督にとっての「児童映画」とはどういったイメージを指しているのでしょうか。
片渕 まず、それは単純に子どもに向けた映画ではないのかもしれません。でも、子どものころって、何だか解らないけれど観た映画ってたくさんあるんですよ。例えばぼくは7歳のときに衣笠貞之助監督の『小さい逃亡者』という作品を観て、今でもよく憶えているんです。それは実は、怪獣映画を観に行ったときに併映でかかっていた作品だったんですが、大怪獣同士の決戦を見たのと同じくらいの強さで印象を受けて今でも心に残ってます。いまは子ども向け映画も、テレビ番組の映画化という形でプログラム的に作られているばかりだと思うんです。そんななかで、テレビでは全然顔見知りじゃない映画だけど、偶然の出会いで心に残る作品が、もっとあってもいいんじゃないかと思っています。
──子どもと映画を偶然出会わせる。
片渕 子どもが偶然映画と出会おうにも、子どもは一人で観るわけではない。まず、ちゃんと大人の、親のほうにアピールする映画である必要がある、そう思いました。おかげさまで、「映画を見終わったあと子どもの気持ちになってしまって、バスに乗らずに歩いて帰った」という大人の観客もいたし、「自分の子どもを叱れなくなった」なんて感想もありました。
子どものことは、ぼくは全然なめてかかってませんから、相当いろいろなことを理解してくれると思うし、よしんば理解しなくても、子どもは丸飲みしちゃうことが多い。それが、10年20年記憶しておいてもらえるならば、そのときにひょっとしたら何か、大事なものになっているかもしれない。自分が子どものころ、そうやっていろいろなことを心に刻んできたな、というのがありますから。映画がどれもこれも同じような展開をするものばかりで、子どもはこの程度理解してればいいって言いきっちゃうものばかりだったら、それは栄養になっていかないんじゃないかなって気がするんです。
──もらったものを返す、という。
片渕 そうですね。監督として、というより元・子どもとしてね、映画に恩返しをするという、そういうことじゃないかと思っています。『マイマイ新子と千年の魔法』とは、「大人に子どもの心を取り戻させる映画。子どもを子どものままではいさせない映画」、そんな作品のつもりです。
(取材・文=編集部/写真=長谷英史)
●かたぶち・すなお
1960年、大阪府生まれ。日大芸術学部在学中から宮崎駿作品に脚本家として参加し、虫プロダクションなどを経て1986年、STUDIO4℃の設立に参加。その後、マッドハウスを拠点に精力的な活動を続けている。監督作として『名犬ラッシー』(96)、『アリーテ姫』(00)など。また、テレビアニメ『BLACK LAGOON』シリーズは今年、第3期がOVAとして発売予定。
Twitter<http://twitter.com/katabuchi_sunao>
●『マイマイ新子と千年の魔法』
監督・脚本/片渕須直 原作/高樹のぶ子『マイマイ新子』(マガジンハウス・新潮文庫刊)
出演/福田麻由子 水沢奈子 森迫永依 本上まなみ
配給/松竹
アニメーション制作/マッドハウス
(c)2009 高樹のぶ子・マガジンハウス/「マイマイ新子」製作委員会
上映スケジュールなどは公式サイト<http://mai-mai.jp/>にてご確認ください。
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『マイマイ新子と千年の魔法』──小さな町の小さな劇場に大フィーバーを巻き起こした1本のアニメ映画は、その熱気を受けて年明け9日から再び3週間のアンコール上映に入っている。
一体この作品の何が、そこまで人を惹きつけて止まないのか。片渕須直監督に話を聞いた。
──昨年末の大入りを受けてのアンコール上映ということで、まずはおめでとうございます。
片渕須直監督(以下、片渕) ありがとうございます。実はここ(ラピュタ)に来る前に新宿ピカデリーで上映していたんですが、終わりの頃はかなり口コミが広がって、大人のお客さんが来てらっしゃったんですね。それが午前中の上映だけだったので、多くのサラリーマンの方が会社を休んで観に来られているという、本当に申し訳ない状況になってしまっていたんです。やっぱり会社が終わった後に、のんびりした気分で映画を観ていただくのがいいんじゃないかと思って、ここへ来てレイトショーという形にしたんですが......。
──まったく入りきらないくらいの観客が来てしまった。
片渕 うん、想像を超えていました。初日から補助席まですべて、午前中に埋まってしまって。これは困ってしまうな、ということで劇場さんのほうからアンコールのご提案をいただきまして、今回また3週間のレイトショーということになりました。
──『マイマイ新子と千年の魔法』は、昭和30年代の山口県を舞台にした作品です。そもそもの企画の成り立ちというのは、どのようなところから。
片渕 この作品はそれまでの(アニメ制作会社)マッドハウスがやっていたこととはちょっと違って感じられるかもしれないけれど、企画当時のマッドハウスは、いろいろな方向の作品を作っていこうという意欲で経営陣が燃えていて、社長の丸田順悟さんが、子どもの世界の持つみずみずしさを映し出したこの話を映画にできないだろうか、と原作本を持ってこられたのが最初です。
──その原作『マイマイ新子』(マガジンハウス・新潮文庫刊)をお読みになった印象はいかがでしたか。
片渕 まず、映像的なイメージが、ふんだんに溢れた小説だと思いました。ぼくはアニメーションとは基本的にファンタジーであるべきだと捉えているのですが、たいていの場合、ファンタジーとは快楽原則的にゆだねていくのが普通です。それだけでは先行きがない、とも感じてたんですが、この小説は「心地よさ」だけで物語を作っていないな、という印象があって。26のエピソードからなるオムニバス的な話なんですが、そのひとつひとつに必ず死のイメージみたいなものが散りばめられているんです。それが、昭和30年代という時代にすごくマッチしていたような気がしますね。生活と死が隣り合わせにあることが今よりずっとあからさまだったような、そんな印象でした。これは、ストーリー的に一筋縄ではいかないな、と。
■この時代に"地味"なアニメで勝負できるのか
──いま、アニメの世界は日に日に華やかになってきています。動きも速くなり、CGや3Dもどんどん取り入れられている。そういう市場のなかで、この作品は、言葉は悪いですが、一見してすごく地味に映りました。
片渕 地味ですね、地味です。はい。3DCGも使っていますが、あえて目立たない使い方にしています。地に足がついた感じが欲しかったんです。それで、「地に足がついた感じが心地よかった」という感想に数多く出会って、間違ってなかったと思いました。
──企画を進める上で、マーケティング的な障壁などはなかったのでしょうか。
片渕 作り手側は、わりと確信犯的に考えていました。いまは派手なハリウッド映画もたくさん作られているけれど、その内容的な部分、人物の描き方だったり、かなり画一化されてしまって、まるでルールブックがあって、みんながそれに従って同じものを作っているようにすら感じてしまう。映画って、観客がどんな風に新鮮なものを味わうかという"刺激"であるはずです。どれだけ派手でも新鮮じゃないものは単にボリュームが大きいだけの話で、それに対して太刀打ちできるな、という気持ちはありました。
──その「太刀打ちできる」という最大の武器は何だったのでしょうか。
片渕 自分が子どもだった頃、たしかにたずさえていたはずの、「子どもならではのものの見え方」みたいなものを、リアルに思い出せそうだったこと。その上で、登場人物を見渡してみて、その一人ひとりの人物像を心地よく描こう、と思ったこと。好感の抱ける人物を、しかし、単純に"外づら"がいいだけじゃなく、"内づら"も持たせつつ、次々と登場させる。そうした人物たちが総体として並んだときには、かなり大きな力になるのではないかな、と思っていました。
──確かに、人物像がすごくリアルに描かれているという印象を受けます。
片渕 昔は、自分がものを作ろうとしても、いい人って一通りしか思いつけない感じがあったんですよね。それが、年季のせいというのか、人間ってこういうものなんだなって、何となく理解できるようになってきた感じがします。主人公の新子が「転校生の貴伊子の内側にはきっと何かあるはずだ」と想像力を働かせたようなことと同じような気持ちで、もの作りしているということです。それを広げていって、我々が日常生活で出会う世の中の人全員に対して、「何かあるはず」という気持ちで接しつつ生きていくことができるんだとしたら、ずいぶんあったかい気持ちにもなれるはずですよね。そういうリアルなあたたかさを、映画を見る方に味わっていただけたら、そう思ったわけです。
■「感動した理由が解らない」という究極の伝達
──この作品は、ネットでも多くの反響を呼び、上映存続の署名運動(http://www.shomei.tv/project-1385.html)なども起こりました。かつては評論家やプロのライターだけのものだった"映画批評"が、いまは無名の書き手が無報酬でたくさんの意見や感想を披露しています。そうした声は意識されますか?
片渕 『マイマイ新子と千年の魔法』をやるまでは、そんなに意識してなかったかもしれません。実は作り手としての自分は、物事を理屈として言葉に突き詰めないで作っているわけです。言葉にしちゃったらそこで終わってしまうモヤモヤした感触やイメージを、イメージのまま放つようにね。それが、観客の側で実に驚くべき精度で、的確に把握されていたりもします。一人ひとりの見方は仮に一面的だったとしても、それが多方向からあんなにたくさん集まって、ネットを見る方はそれを眺められるわけだから、すごく面白い状況だな、と思います。
──そうした感想のなかで印象的だったのですが、「感動したけれど、なぜ感動したのかよく解らない」という、同じ文言をあちこちで見かけました。こうした観客の反応に監督が分析を与えるとしたら......。
片渕 その「作るときになるべく言語化しないほうがいい」と我々が思っているままに受け取られているということなんじゃないでしょうか。これはひょっとしたら、理想的な形で伝達が働いているんじゃないか、という気がするんですよ。言葉にすべきものが何か解らないのに、作り手と観客のコミュニケーションが成立しているわけで。
──作り手がイメージとして出したものが、イメージとしてそのまま届いている。
片渕 もちろん、言語化しないとシナリオや絵コンテは書けないですから、ある程度、絵コンテのト書きには「ここはこういう意味で」みたいなことを書くんですが、そのシーンを観客の方が観たときに感想としていただいた文言がト書きとまったく同じだったりすることが稀にあるんですね。まるでテレパシーが通じたように、こちらの言いたいことが伝わったと思う瞬間がある。
それが、今回の場合はさらに、言葉にする以前のものが直接伝わっていると。......そうだとしたら、これはもう究極の伝達が成り立ってしまっているんじゃないかと。よく、ものを作るときには「考えるより感じろ」って言うじゃないですか。そうして作ったものを観客の側も、「考えるより感じたまま」受け止めていただいているというのは、こちらとしてもすごく面白いし、わくわくしますね。そうして得た観客の方々が、今度は各地のあちこちの映画館に、『マイマイ新子と千年の魔法』というこの映画をかけてやってくれとアピールしてくださっている......。
■「児童映画なるものを取り戻す企み」とは
──今作、監督はこの映画を「児童映画なるものを取り戻そうとする企みである」とおっしゃっています。監督にとっての「児童映画」とはどういったイメージを指しているのでしょうか。
片渕 まず、それは単純に子どもに向けた映画ではないのかもしれません。でも、子どものころって、何だか解らないけれど観た映画ってたくさんあるんですよ。例えばぼくは7歳のときに衣笠貞之助監督の『小さい逃亡者』という作品を観て、今でもよく憶えているんです。それは実は、怪獣映画を観に行ったときに併映でかかっていた作品だったんですが、大怪獣同士の決戦を見たのと同じくらいの強さで印象を受けて今でも心に残ってます。いまは子ども向け映画も、テレビ番組の映画化という形でプログラム的に作られているばかりだと思うんです。そんななかで、テレビでは全然顔見知りじゃない映画だけど、偶然の出会いで心に残る作品が、もっとあってもいいんじゃないかと思っています。
──子どもと映画を偶然出会わせる。
片渕 子どもが偶然映画と出会おうにも、子どもは一人で観るわけではない。まず、ちゃんと大人の、親のほうにアピールする映画である必要がある、そう思いました。おかげさまで、「映画を見終わったあと子どもの気持ちになってしまって、バスに乗らずに歩いて帰った」という大人の観客もいたし、「自分の子どもを叱れなくなった」なんて感想もありました。
子どものことは、ぼくは全然なめてかかってませんから、相当いろいろなことを理解してくれると思うし、よしんば理解しなくても、子どもは丸飲みしちゃうことが多い。それが、10年20年記憶しておいてもらえるならば、そのときにひょっとしたら何か、大事なものになっているかもしれない。自分が子どものころ、そうやっていろいろなことを心に刻んできたな、というのがありますから。映画がどれもこれも同じような展開をするものばかりで、子どもはこの程度理解してればいいって言いきっちゃうものばかりだったら、それは栄養になっていかないんじゃないかなって気がするんです。
──もらったものを返す、という。
片渕 そうですね。監督として、というより元・子どもとしてね、映画に恩返しをするという、そういうことじゃないかと思っています。『マイマイ新子と千年の魔法』とは、「大人に子どもの心を取り戻させる映画。子どもを子どものままではいさせない映画」、そんな作品のつもりです。
(取材・文=編集部/写真=長谷英史)
●かたぶち・すなお
1960年、大阪府生まれ。日大芸術学部在学中から宮崎駿作品に脚本家として参加し、虫プロダクションなどを経て1986年、STUDIO4℃の設立に参加。その後、マッドハウスを拠点に精力的な活動を続けている。監督作として『名犬ラッシー』(96)、『アリーテ姫』(00)など。また、テレビアニメ『BLACK LAGOON』シリーズは今年、第3期がOVAとして発売予定。
Twitter<http://twitter.com/katabuchi_sunao>
●『マイマイ新子と千年の魔法』
監督・脚本/片渕須直 原作/高樹のぶ子『マイマイ新子』(マガジンハウス・新潮文庫刊)
出演/福田麻由子 水沢奈子 森迫永依 本上まなみ
配給/松竹
アニメーション制作/マッドハウス
(c)2009 高樹のぶ子・マガジンハウス/「マイマイ新子」製作委員会
上映スケジュールなどは公式サイト<http://mai-mai.jp/>にてご確認ください。
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注目の情報
『スピードラーニング』を移動中に聞いてます。英語を聞いてすぐ日本
語が分かるのがいいですね。海外の試合で外国人選手とコミュニケーシ
ョンをとれるようになったのが一番嬉しいです!
遼くんが今も学んでいる英語とは