〈私を世界一愛してくれた両親を見送って〉
母の死の3日後に、
追うように逝った父・赤塚不二夫
赤塚りえ子
今年8月2日にこの世を去った天才漫画家・赤塚不二夫。日本中が悲しんだ訃報の陰で、不二夫さんの一人娘であるりえ子さんは、わずか3日前に実母も亡くなるという不幸に見舞われていました。実親の相次ぐ死で「生きる気力も体力も完全になくなっていた」というりえ子さんですが、本誌にのみ、その胸中を語ってくださっています。不二夫さんの闘病生活や最期、ご両親への思いなど、悲しみが胸に迫るインタビューです。
母は、ゴールデンウィーク中も海に出かけたりして、普段と変わらず元気だったんです。ところが急に左肩や左足付け根が痛くなって歩けなくなったので、5月18日に父が入院している病院の救急外来に連れて行きました。当初は点滴を打って、肩と足を治してもらうつもりだったんです。ところが、痛みはがんによるものでした。子宮頸がんが転移したのだと知らされました。
世界の終わりだと思いました。母といつも一緒だった私に、母のいない世界はありえない。母が死ぬ、その瞬間が来ることが、いちばん怖かった。母のことで頭がいっぱいになり、目に映る世界がすべて平坦になっていきました。
私はずっと母親に育てられてきたせいで、ママっ子なんです。離婚するとき、父は「りえ子は俺が連れて行くから」と言い、母は「連れて行くなら私は死ぬ」と泣いて拒んだそうです。それで苗字は赤塚のまま母に育てられました。母は命がけで私を育ててくれ、私と母の関係はほかの誰も入れないくらいに密でした。
母には、担当医からがんであることを伝えてもらいました。とても勘のいい人なので、隠して抗がん剤だの放射線治療だのというのは無理ですから。「ごめんなさい。あんたに迷惑かけちゃって……」。これが病名を聞いてからの母の第一声でした。そう言って、ずっとずっと泣いていました。母は自分の体より
(『婦人公論』2008年11月7日号より一部抜粋)