(空港から呼び戻された小林さんはホテルへ=1979年1月31日)
「オッ、オッ、オレだったのか…」体中の力が抜けた
【小林繁の細腕波乱半生記:プレイバック2】羽田空港の九州方面行き搭乗口は、滑走路に向かって左端にあった。ロビーで数十人の報道陣に囲まれたボクは、いつの間にか球団職員に両脇をガードされていた。主力選手が取材攻勢に遭ういつものキャンプ出陣とは明らかに様相が違ってきた。そのまま1階国内線・宮崎行きの搭乗手続きカウンターの方向へ誘導されたものの、途中で手前の階段を上らされた。「2階は国際線の搭乗口でしょ。どこへ行くんですか」。そう問いかけても球団職員は口を真一文字に結んだまま無言を貫く。同僚ナインは待合室で楽しそうにお茶を飲んでいる。プロ野球選手の正月ともいうべきキャンプインの話題で盛り上がる場だ。ボクはそこに合流できず、顔すら合わせられないでいた。
頭の中は真っ白だった。何も覚えていない
「いったい何事が起こったのだろうか」と思いながら国際線の広いフロアを歩き続けた。空港の左端から中央階段にまで歩を進めると、再び下りていく。一段また一段…。次第に1階ロビーが見え、その向こうのガラス越しの景色が目に入ってきた。1台の黒塗りのハイヤーが止まっていた。鼻先には読売新聞社の社旗がパタパタとはためいていた。「オッ、オッ、オレだったのか…」。ようやく事態を把握したボクはぼうぜんと立ち尽くした。体中の力が抜け、その場に座り込みそうになった。阪神はやはり「小林繁」を交換要員に指名してきた。顔面蒼白のボクを乗せたハイヤーは、報道陣を振り切って勢いよく発車した。車中の記憶は完全に飛んでいる。阪神にトレード放出されるショックで何も覚えていない。それほど頭の中は真っ白だった。どれくらい走っただろうか。ハイヤーはホテル・ニューオータニの駐車場に滑り込んだ。
「今日の夜の12時までに決めなければならない。そうじゃないとご破算になる。阪神に行ってくれ」。長谷川実雄球団代表はそう切り出した。じきに正力亨オーナーも説得に駆けつけた。野球協約上、球団がまとめたトレードを選手が拒否できないことは承知している。ノーとは言えないが、頭が混乱してイエスとも言えない。
「夜12時ならまだ間があるので、ボクに考える時間をください」。そう申し出て、トレード通告の場はひとまずお開きとした。
「巨人は本気だ。トレードが成立しなければ新リーグを発足させるつもりだ」
宮崎行きの飛行機はとうの昔に離陸していた。チームから隔離されたボクは、恐怖にも似た孤独感に襲われた。ボク1人でどう決断を下せというのか。公私にわたってお世話になっていた人たちに相談するしかなかった。キャンプ地に到着した王さんに電話を入れた。「そうか…。一生のことなんだから、じっくりと時間をかけて考えなさい」。優しい口調で先輩としての精一杯のアドバイスをしてくれた。
本当はまず長嶋監督に電話を入れたかった。でも監督の立場なら、巨人軍が全面戦争を仕掛けてまで獲得に動いた江川卓とのトレードを承諾せざるを得なかっただろう。いわば長嶋監督も「江川事件」に巻き込まれた1人だと思った。連絡を入れればボクもつらいが、長嶋監督もつらい。ダイヤルを回す勇気はなかった。
事態は大変なことになっていた。いろいろな人に相談を持ちかける中で、複数の球界関係者からある有力情報がもたらされた。
「巨人は本気だぞ。トレードが成立しなければ新リーグを発足させるつもりだ」――。ボクは再び目の前が真っ暗になった。
(続く=東京スポーツ:2006年05月24日付紙面から)
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