「同情してほしくない」…深夜の会見で強がりのセリフを
残したボクはたったひとりの部屋で大泣きした
【小林繁の細腕波乱半生記:プレイバック3】江川卓と小林繁のトレードが2月1日のキャンプインまでに成立しなかった場合、巨人は野球機構を脱退して新リーグを結成する。脅しなんかではない。すでに西武とヤクルトの内諾を得ており、いずれパ・リーグ全球団が賛同するのは確実な情勢だ——。 複数の球界関係者が「江川事件」の舞台裏を説明してくれた。ボクは全身が震えた。何ということだ。ボクの腹ひとつでプロ野球界が大変なことになる。巨人残留、阪神移籍、それとも引退か、などと揺れている場合ではなくなった。もはや結論は一つしか出せない。追い込まれ、切羽詰まったボクはトレード通告を承諾するしかなかった。
それにしても、何でボクがこんな目に遭うのか。読売巨人軍を心の底から愛し、その一員として自分なりに誇りを持って努力してきたつもりだ。体重62キロの体にムチ打ち、細い腕をこれでもかとしならせ、何とか巨人軍に貢献したいと歯を食いしばってきた。ボクは自分の運命を恨むしかなかった。
夜12時の締め切りまで1時間を切った昭和54年1月31日の午後11時すぎ。ボクはホテル・ニューオータニの一室で長谷川実雄球団代表と再びひざを交えた。
「お受け致します」。悔しさで震える指先にグッと力を入れ、契約書にハンコを押した。同時刻、江川も阪神の小津正次郎球団社長と入団、移籍の手続きを済ませていた。日付が変わった2月1日午前0時15分。ボクは読売新聞社8階の会議室に場所を移し、記者会見に臨んだ。 大勢の報道陣を前に、今も語り継がれる気丈なセリフを吐く。
「野球が好きだから喜んで阪神へ行く」。野球は商売として考えていたけど、それだけではない。ボクが拒絶すればお世話になった巨人軍はもちろん、子供のころから大好きだったプロ野球界が大混乱に陥る。だから喜ばしいことだと伝えたかった。
そして「同情してほしくない」。このセリフには言外に二つの思いを込めていた。一つは小林繁は何と痛ましく、かわいそうな選手だと思われているかもしれないと思ったことだった。ボクは意地っ張りで、弱々しい面をさらけ出したくない性格だ。目いっぱい強がってみせようと思った。
もう一つは「巨人軍」という巨大な家を失ったことだった。「江川事件」が起こらなければ、ボクの将来は前途洋々だったかもしれない。球界の盟主、絶大な人気を誇る大巨人の傘に守られ、安定した生活を送る可能性も低くはないだろう。でも、これからは巨人軍を敵に回し、自分ひとりの力で生きていかなければならない。そんなボクに同情は無用ですよと訴えたかった。
カッコいいことを言ってはみたけど、もう1人の素直な自分は寂しくて寂しくて仕方がなかった。深夜の記者会見を終えたボクは、黒塗りのハイヤーでホテル・ニューオータニへ戻った。身も心もズタズタに切り裂かれ、崩れるようにベッドに倒れ込んだ。
泣いた、泣いた。誰に気兼ねすることもなく、たったひとりの部屋で大泣きした。悔しくてたまらない。でも、どうすることもできない現実。遠く鳥取・赤碕町に住むオヤジの顔が浮かんだ。大の巨人ファンで、YGのユニホームを着たボクの活躍を何よりの楽しみにしていた。ボクはむせび泣き続けた。長い長い激動の1月31日は、涙が枯れて幕を閉じた。
(続く=東京スポーツ:2006年05月25日付紙面から)
残したボクはたったひとりの部屋で大泣きした
【小林繁の細腕波乱半生記:プレイバック3】江川卓と小林繁のトレードが2月1日のキャンプインまでに成立しなかった場合、巨人は野球機構を脱退して新リーグを結成する。脅しなんかではない。すでに西武とヤクルトの内諾を得ており、いずれパ・リーグ全球団が賛同するのは確実な情勢だ——。 複数の球界関係者が「江川事件」の舞台裏を説明してくれた。ボクは全身が震えた。何ということだ。ボクの腹ひとつでプロ野球界が大変なことになる。巨人残留、阪神移籍、それとも引退か、などと揺れている場合ではなくなった。もはや結論は一つしか出せない。追い込まれ、切羽詰まったボクはトレード通告を承諾するしかなかった。
それにしても、何でボクがこんな目に遭うのか。読売巨人軍を心の底から愛し、その一員として自分なりに誇りを持って努力してきたつもりだ。体重62キロの体にムチ打ち、細い腕をこれでもかとしならせ、何とか巨人軍に貢献したいと歯を食いしばってきた。ボクは自分の運命を恨むしかなかった。
夜12時の締め切りまで1時間を切った昭和54年1月31日の午後11時すぎ。ボクはホテル・ニューオータニの一室で長谷川実雄球団代表と再びひざを交えた。
「お受け致します」。悔しさで震える指先にグッと力を入れ、契約書にハンコを押した。同時刻、江川も阪神の小津正次郎球団社長と入団、移籍の手続きを済ませていた。日付が変わった2月1日午前0時15分。ボクは読売新聞社8階の会議室に場所を移し、記者会見に臨んだ。 大勢の報道陣を前に、今も語り継がれる気丈なセリフを吐く。
「野球が好きだから喜んで阪神へ行く」。野球は商売として考えていたけど、それだけではない。ボクが拒絶すればお世話になった巨人軍はもちろん、子供のころから大好きだったプロ野球界が大混乱に陥る。だから喜ばしいことだと伝えたかった。
そして「同情してほしくない」。このセリフには言外に二つの思いを込めていた。一つは小林繁は何と痛ましく、かわいそうな選手だと思われているかもしれないと思ったことだった。ボクは意地っ張りで、弱々しい面をさらけ出したくない性格だ。目いっぱい強がってみせようと思った。
もう一つは「巨人軍」という巨大な家を失ったことだった。「江川事件」が起こらなければ、ボクの将来は前途洋々だったかもしれない。球界の盟主、絶大な人気を誇る大巨人の傘に守られ、安定した生活を送る可能性も低くはないだろう。でも、これからは巨人軍を敵に回し、自分ひとりの力で生きていかなければならない。そんなボクに同情は無用ですよと訴えたかった。
カッコいいことを言ってはみたけど、もう1人の素直な自分は寂しくて寂しくて仕方がなかった。深夜の記者会見を終えたボクは、黒塗りのハイヤーでホテル・ニューオータニへ戻った。身も心もズタズタに切り裂かれ、崩れるようにベッドに倒れ込んだ。
泣いた、泣いた。誰に気兼ねすることもなく、たったひとりの部屋で大泣きした。悔しくてたまらない。でも、どうすることもできない現実。遠く鳥取・赤碕町に住むオヤジの顔が浮かんだ。大の巨人ファンで、YGのユニホームを着たボクの活躍を何よりの楽しみにしていた。ボクはむせび泣き続けた。長い長い激動の1月31日は、涙が枯れて幕を閉じた。
(続く=東京スポーツ:2006年05月25日付紙面から)
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