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チューリップはいつ頃から日本人が親しみ始めたのでしょうか。

gito_a_plainさん

チューリップはいつ頃から日本人が親しみ始めたのでしょうか。

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izankoroさん

gito_a_plainさん
失礼します。

質問の答え:舶来したのは江戸末期ごろ。一般に普及しだしたのは、戦前でしょうか。童謡のチューリップが作曲されたのは1932年だそうですが、歌詞から察するに、そのころには人気があったようですね。勿論、戦中はそれどころではなかったでしょう。

*************
スレを借りてここで別件失礼します。
↓のjamesotoribondさんへ。
至急謝罪したい事があります。
私のパソコンが急に不具合になり、ダウンしてしまいました。丁度、あなたのMy知恵袋のページを開けていました。無知で、何かウィルスに感染したと思った私は、注意喚起のメールを配信しました。今日、パソコンを専門家に見てもらい、ウィルスには関係のない機械の故障だと言う事が分かりました。ご迷惑お掛けしたことを陳謝します。大変失礼しました。

jamesotoribondさん

始まりは、なんと江戸末期ころ(1861~64)で、名前も鬱金香(うっこんこう)とよばれてたそうです。
その頃は、ごくわずかに家庭で栽培されていて、本格的な球根生産が行われたのは1919年(大正8)になってからで、新潟から始まって、富山、京都などで生産されたんだそうです。

その後、第二次世界大戦で栽培どころでなくなって(当たり前だよね)生産が減少したけど、戦後、新潟、富山を中心に島根、兵庫、鳥取など日本海沿岸の各県で生産が盛んになり、さらに茨城、埼玉、徳島などに広まったんだそうです。

最近は生産量が徐々に減っており、2005年(平成17)の球根生産は5350万球、球根切り花生産は7200万本で、5年前の2000年の生産量と比べるとそれぞれ4000万球、1800万本の減少となっていて
現在、市販されている主要品種は約350品種に上っているが、その球根は殆どがオランダからの輸入品だそうですよ。

出典: ヤフーJAPAN


《偶然ですが、きょうは、黒も混じった深いオレンジ色のチューリップ(画像)を、買ってきてました。》

投稿画像

chihayan_1971さん

チューリップが日本に入ってきたのは18世紀(1720年)頃(江戸時代)だといわれています。オランダ船がまだまだ貴重なチューリップを出島へ運んだのが最初みたいです。チューリップバブルがはじける前ですから非常に高価だったはず。献上品だったのかしらん?

明治時代から普通に販売されはじめて、本格的に国内生産が始まったのは大正時代(富山県)になります

庶民に親しまれたのはそれ以降になるでしょうね。戦争とかもありましたし

ご参考まで

tomi2005flowerさん

1634年、当時のオランダは平和が続き、海洋貿易で富を蓄え、国力が衰退したスペインにかわり、世界の覇権を握りつつありました。
オスマン=トルコから入り品種改良を重ねられた美しいチューリップは、富の象徴としてオランダで大流行。豊かなオランダには、お金が余っていましたから、人々はこぞって球根を買い漁るようになり、価格が急騰しました。特に珍しいチューリップの球根の値段は、限りなく上昇し、ついに投機の対象になっていきます。

チューリップ自体には特に関心がない人も、値段が上がりそうだと言われているので買い求める。すると、実際に値段が上がる。それを見て、人々は自分の予想が当たったとして更に自分の予想に自信を深め、更に買い求める。するとまた値段が上がる…という構図です。
買えば確実に値上がりするチューリップに、お金持ちも普通の市民も財産をつぎ込んでいきました。
また「一定期日に球根を入手できる契約書」の売買、今で言うところのオプション取引もさかんに行われるようになりました。
そして、センパー・アウグストゥスという種類の球根は、1個2000ギルダー(市民の平均年収の8年分)から6000ギルダーにまで高騰したのです。ブームの最高潮の時には、球根1つに当時の平均的な労働者の年収の10倍もの値段が付いたということです。
今の日本の平均的なサラリーマンの年収を400万円くらいだとすると、球根1つに4000万円くらいの値段がついたわけです。

しかし、1637年のある日、所詮はチューリップの球根であることに皆が気づいたのか、球根の価格は、突然、暴落しました。
球根は、貴重な財産から、ただの球根に戻り、多くの人は財産を失いました。また、借金で投機を行っていた多くの人は破産していきました。

この影響を受け、オランダ経済全体が長期間の深刻な不況に陥ったそうです。そして、これを機に世界経済の中心地はロンドンに移っていきました。

デュマが書いた黒いチューリップの時代で、
江戸時代、中国とオランダが日本の海外との間口ですから、その頃でしょう^^

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