政権交代の成果を強調し、夏の参院選に向け、気勢を上げるはずだった16日の民主党定期党大会は、小沢一郎幹事長の資金管理団体の土地購入事件が重大局面を迎えたことを受け、暗転した。小沢氏の強気の続投宣言に異論もなく淡々と議事を進行したが、鳩山政権にカタストロフィー(破滅的結末)がジワジワと迫りつつある。
小沢氏が演壇に上がると約2千人がひしめき合う日比谷公会堂は水を打ったように静まり返った。
「党大会に合わせたかのように逮捕が行われた。それがまかり通るなら、日本の民主主義の将来は暗澹(あんたん)たるものになる」
小沢氏の激しい検察批判に会場からは「そうだ!」と同調する声が上がり、最後は大きな拍手がわいた。この演説を意気に感じた議員も多く、森裕子選対委員長代理は「検察をトップとする官僚機構と国民の代表である民主党政権との全面的な戦争です。一致団結して最後まで戦う」とまくし立てた。
民主党は野党時代に自民党の「政治とカネ」問題を追及してきたが、小沢氏にさらなる説明責任を求める声は皆無。多くの議員は記者団の取材にも応じず、閉会後はそそくさと会場を立ち去った。
大手メディアは何かと与党に媚びた報道になりがちで、いわゆるクォリティーペーパーなんかよりも3流タブロイド紙の方が権力に批判的な視点を持っていることも多いと思います。そこで最近の産経新聞ですが、大手メディアっぽい報道姿勢から3流タブロイド紙みたいな報道姿勢に変わりつつあるようです。全国紙の場合、政権与党が変わっても権力に阿ねる姿勢は変わらないわけですが、産経新聞はひと味違うらしく、政権交代後は政府に対して遠慮がありません。
さて西松建設がらみで昨年から色々と追求を受けるようになった小沢一郎の身辺がまたもやきな臭くなってきました。小沢周辺のカネの流れについては検察が重い腰を上げる何年も前から共産党が独自に追求してきたものであるだけに何を今さらの感もありますが、まぁどうなるのでしょうね。ともあれ野党が与党の「政治とカネ」問題を追求する構造は変わらないようです。そして野党支持層が厳しい声を上げる中で与党支持層が無理筋を厭わず権力を擁護するのも変わっていません。自民と民主、どちらの党が政権を獲得したにしても、与党は与党の役を、野党は野党の役を演じる、支持層もそれに準じるのは不変のようです。野党時代はさんざん与党のカネの問題を追及してきたくせに、いざ自分が追われる立場となると掌を返す、何ともご立派な連中です。
自民党(及び支持層)の方が追求されることに慣れているせいか、被害妄想じみたことを言い出す回数は少なかったように思います。権力を握っているのだからそれなりに周りの目が厳しくなることを当然と思う意識が、なんだかんだ言って自民党にはあったはずです。逆に民主党(及び支持層)は追求する側に回っていた期間が長すぎたせいか、いざ自分たちが追求される側に回ると自分たちばかりが不当に狙い撃ちされているかのごとくに言い出す傾向が見られるのではないでしょうか。小沢にしてから「党大会に合わせたかのように逮捕が行われた」などと宣うわけですが、いつ逮捕したって何かしら政治のスケジュールとは重なるものでしょうに。本当に小沢/民主党を狙い撃ちするつもりがあるのだったら、取り返しの付かないよう選挙期間中に動くはず、むしろ選挙まで半年あるこのタイミングでの逮捕は逆に配慮されていると言っていいぐらい、それを国策操作云々というのは被害妄想としか言いようがありません。
参考、政治主導と住民至上主義
ただ、それ以上に問題と思えるのは森裕子氏の「検察をトップとする官僚機構と国民の代表である民主党政権との全面的な戦争です」という発言です。この辺はどうでしょうか、自分たちと「官(検察/官僚)」との対立を「国民(住民)」と「官」の対立にすり替えようとする姿勢は小泉に端を発し、現在では橋下や河村たかし、阿久根の竹原と言った手合いの得意とするところです。上記リンク先のエントリでは民主党の掲げる「政治主導」と阿久根の無法者が掲げる「住民至上主義」の類似性を取り上げました。国民(住民)によって選ばれた存在こそが絶対的に正しく、それに屈服しない存在(官僚/公務員)は国民(住民)の敵である、そうした世界観を政治主導と住民至上主義は――ひいては民主党と竹原市長は共有しているわけです。
国民が(検察含む)官僚機構全般に不信感を持っているのは確かなことですが、とはいえ今回の疑惑で国民と検察が対立しているわけではありません。しかるに民主党は自分たちを「国民の代表」と強調することで、あたかも検察が国民の敵であるかのごとく主張している、そして相手を悪役として描き出すことで自分たちの正当化を図ろうとしているわけです。官僚とは国民の敵であり悪である、その官僚と戦う我ら○○こそ国民の見方であり善である――こうした手口に訴える連中は民主党以前にもいましたし、そして彼らが誠実であった試しはありません。
←「サッカーは戦争だ」などと言う奴は、本当の戦争を知らないんだ
〜ズボニミール・ボバン
ついでに言えば、こういう場面で「戦争」という言葉を使うのは適切なのでしょうか。よく「選挙は戦争だ」とか「サッカーは戦争だ」とか言う人がいるわけですけれど、この場合に「戦争」とは「避けるべきもの」ではなく「積極的に挑むべきもの」の比喩として用いられているわけです。そこで森裕子氏の場合はどうでしょう、民主党と検察の対立を戦争になぞらえているようですが、彼女に戦争を避けようとする意思は見られません。あるのは、むしろ積極的に戦おうとする姿勢、国民を巻き込んで「戦争」へと駆り立てようとする姿勢ばかりです。森裕子氏、ひいては民主党にとっても「戦争」という言葉は「避けるべきもの」「起こしてはいけないもの」ではなく「挑むべきもの」を意味している、そのことは頭に置いておく必要がありそうです。[参考、戦争回避の努力は?]
なお、ザグレブにボバンのお父さんが経営するイタリア料理の店がありまして、私も行ってみました。おいしかったです。
大丈夫なのかこの人?的な…。
民主党議員がみんなああいう勘違いを起こしてるとは思わないけど、まぁメディア戦略の下手くそさ加減は凄まじいもんがあるなぁと。
ああいう発言が周りを冷ややかにさせてるって事気づけないもんなんかねぇ?
┐('〜`;)┌
しかしここで小沢さん切れたらそれなりには評価が上がりそうなもんなんだけど、自民と一緒でそういうの出来ないってのがもう…。
猫かぶってるのか知んないけど、菅さん、こういう時動かないとね…。
小沢頼みで総理にしてもらうんじゃなくて、自分から奪いにいけよと思うなぁ。
鳩山が器じゃないのはわかりきってた事ではあるし…。
しかし検察もどうでしょうか?
数多ある国策捜査、無理筋の事件を強引に起訴し、99.9%有罪のお友達、司法に支えられての権力構造の腐敗。それらを考えると、カレル・バン・ウォルフレンが言うとおり、「日本の検察は正義の代弁者ではない」という指摘も間違っていないと思われます。
私には検察は、悪の告発者よりも国家暴力装置の一部としか見えないのです。
民主党はやたら官僚を敵視して人気取りを図る卑劣な体質を払拭し、検察も権力にあぐらをかいた体質を一掃して解体、再構築すべきと考えます。
ボバンのお父さんのお店ですか、流石ですね…… それはさておき戦争というものを見知っている人間からすれば「戦争」という言葉には相応の重みがあるはず、とかく日本では安易に「戦争」という言葉が比喩として用いられますが、この言語感覚は問題ですよね。
>た〜んさん
民主党議員には自民党ほど極右色の強い輩は多くないですけれど、戦略だの戦争だの、猛々しい言葉を好む傾向は変わらないみたいです。百戦錬磨であるはずの小沢にも慢心が窺われるだけに、森議員も気が大きくなっているような気がしますが、これでは支持層が離れていっても不思議ではありません。今までは自民党のカネの問題を追及してきただけに、これからは民主党が筋を通せるかどうかが問われる場面だと思うのですが……
>名古屋人さん
もちろん検察側に問題なしとは思いませんが、ただ一部の民主党支持層に見られる検察側の問題をあげつらうことで小沢の問題を相対化しようとする論調に最も危ういものを感じています。検察は検察で色々と改められるべきところもありますが、それを小沢の問題と差し引きで語ってはならないと思うのです。