新型インフルエンザへの警戒が続く。佐賀県内の患者は減少はしているものの、依然として警報レベルにある。昨春の発生来、「人類の歴史は感染症との闘い」という言葉を幾度となく目にしたが、慢性疾患のハイリスク者の優先治療など、さまざまな教訓を得た。当初の混乱の中で起きた過剰反応や中傷行為も、社会で共有すべき教訓だろう。
昨年末、ある会議で次のような発言があった。「かつて私たちの社会はハンセン病を患った人々を地域から強制隔離した。それと同様のことが一連のインフルパニックで繰り返されたのではないか」
県内外の仏教者らが3月に計画しているハンセン病問題シンポジウムの実行委員会で、「無らい県運動」という言葉を引いての提起だった。
無らい県運動とは「らい病」と呼ばれたハンセン病の患者が一人もいない県、つまり、患者全員を社会から隔離する運動だった。
愛知県で1929(昭和4)年に始まり、患者の絶対隔離を打ち出した癩(らい)予防法(旧法)公布の31年以降は全国に拡大。官と民が一体となり「患者狩り」が行われた。
それから半世紀以上たった昨年5月、新型インフルエンザが国内で確認されると、海外渡航で感染者を出した学校に対し「税金で治療するのか」「感染者の氏名を教えろ」といった抗議の電話やメールが相次いだ。ネット上では感染者を誹謗(ひぼう)中傷し、差別する書き込みも続出した。
佐賀新聞のニュースサイトで首都圏での最初の感染事例を伝えた時、編集部に保護者とおぼしき女性の切迫した声で「生徒が特定される恐れがあり、至急削除してほしい」と電話がかかってきた。
新型インフルエンザはいつ強毒性のウイルスに変異するか分からず、リスクを警戒するのは当然だろう。弱毒性でワクチン接種で対応できることが分かった今だから「過剰反応」と言える面もある。二つの事象を同一視することに異論もあるだろう。
ただ、どれだけ医療や科学が進歩しても、未知の感染症を前にした時、感染者への気遣いよりも、不安や防衛意識が先に立ち、不確かな知識と偏見から、排除、隔離へとなだれ込んでいく。
無らい県運動に関しては国のハンセン病問題検証会議が2005年の最終報告書で、患者や家族への差別、偏見を助長するなど「社会被害」の一因になったと指摘した。
そこに、二つの感染症が浮かび上がらせる共通の土壌というか、この社会の意識構造があるのではないか、というのが先の指摘だ。
国の責任を認めた2001年の熊本地裁判決後、各地で無らい県運動の実態を掘り起こそうという動きが出ている。だが、佐賀県内ではほとんど明らかになっていない。
ある資料では1954(昭和29)年、熊本県で起きた療養所付属施設児童の通学拒否事件に関連し、佐賀県内で患者家族が服毒自殺したという記述があるが、具体的なことは不明のままだ。
訴訟では国家による隔離政策が断罪されたが、過ちを犯したのは国だけではなかった。また、過去の問題ではなく、厳然としてある現在の問題なのだ。感染症隔離の歴史と向き合うことが「次」への教訓となる。(吉木正彦)
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