漏れた呟き


うつ病人の毒々しくない本音と対策

メンタルヘルスが苦手な方は、理解するか素通りしてください。

偏見というフィルター

2009年06月29日 | 呟き
mixiニュース
“心の風邪”では片付けられないうつ病をどう乗り越えるか
に対する日記にこんなものがあった。

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どれだけ苦しいか。
世界から色が無くなるんだよ。
好きだったものに対しても一切心が動かなくなる。
眠ったまま自分がそのまま消えて無くなれば良いのにって思うんだよ。
目が覚めると「死にたい」って真っ先に考えるんだよ。
食べることは生きることだから、食べれなくなるし。
会社に行こうとすると、体が震えるんだよ。

なったことがない人には分からないよ…
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とても私も感じていることだった。

ああ、この人もほんとうにうつ病なんだな、と思った。

その日記に対するコメントに、このようなものがあった。

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「なった事ない人にはわからない」
とよくおっしゃる方がいますが
わかってもらって、それで何を求めているのでしょうか。
慰めてくれたり味方になってくれる人がいたとして、その人はなった事がなくてもOKなんですか?
国民がみんな鬱病になれば満足なのですか?
興味あるので教えて欲しいです。
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これを読んだ知人は唸って

「わかろうとしないのかしら」

と言った。

しかしそのコメントは私が作為的に途中までしか見せていないものだった。
そのコメントは以下のように続く。

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ちなみに私は医者には鬱病と言われていますが、自分ではそれを認めていません。
それに、別にわかってもらえなくても構いません。私も他人の事などわかりませんし、それほどわかりたいとも思わないので。
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そこを見せた時、その知人は泣いた。

「自分にもまだ偏見があったんだ」
「うつ病の人をみんなひとまとめにして見ていた」
「自分にはまだフィルターがあったんだ」
「同じ病気の人がみんなわかりあえるわけじゃない」
「自分はまだまだだ……」

私はその人がそのように偏見に対する自分の姿勢を変えてゆく様を見て泣いた。

こんな人もいるのだ、と。

今、この人は新たな「無知の知」を感じたのだろうな、と。

そしてそういう自分の未熟さを泣いて嘆いて向上しようとする人を尊敬する。
この人と出会えてよかった。
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知人へのメッセージ

2009年05月06日 | うつ対策
落ち込んでいる知人へ送ったメッセージ。

 。。。。。

私の持論なのですけれど。
もしも現代の人が江戸時代に行ったら、最初はかなり苦労すると思うんだ。
水道もない。電気もない。食べるものも安定してない。
もしも江戸時代の人が現代に来たら。
家の中で新鮮な水が出る。電気ってナニコレ! 超便利! 炊事洗濯もラクチン!!

でも、人間「慣れ」があるもので。
そのうち、その環境が当たり前になってしまう。
辛いことにも慣れて、違う幸せを感じる。
便利なことにも慣れて、違う不幸を感じる。

そうやって山有り谷有りで、バランスをとっているのだと思う。

ただ、どうやら人は良い思い出をより強く残すらしい。研究によると。
なので、山無し谷無しの人生よりも、山有り谷有りの方が、平均したら同じになったとしても、良い思い出、幸福な感覚をより多く残すとしたら、たくさん経験した方が幸せになるらしい。

今、キミはとても辛い状態になっているらしい。

火事の煙に巻かれたとして。その後の呼吸はどんなに幸せだろう。それまでは当たり前だった「自然に息をする」ということがどれだけ楽で幸せかと思うと思う。

だから、これからもしキミがみんなの言う「普通」の状態になった時、どれだけ幸せを感じるだろう。みんなの言う「幸福」の状態になった時、その山や谷の振れ幅はいかばかりだろう。

今辛いキミは、これからとてつもない幸せを感じるのだろう、と思う。
その幸せを感じるまで、というか、感じるようになれるように、自分をコントロールしてね。

p.s.「辛い」ということを、あまり明文化したり人に伝えたりしない方がいいと思う。漠然と思っていたことをさらに自分に言い聞かせる結果になったり、そういうことを見聞きした人がウンザリして自分から離れていったりすると、さらに落ち込んでしまうから。
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偏見は群れをなして

2006年11月21日 | 呟き
理性、判断力はゆっくりと歩いてくるが、偏見は群れをなして走ってくる。

ルソー『エミール』(上)

 。。。。。

またしても岩波書店の「今日の名言」から。
http://www.iwanami.co.jp/meigen/

上のものは11月19日に選り抜かれていたものだ。

私はうつ病になって、偏見を受ける、自分も偏見を持っている、ということを実感することが増えた。

しかし厳密に偏見の無い人というのは存在しない。

せめて無知の知を持ち、「自分はそのことについて知らない」と思いながら偏見を少なくして物事に臨みたい。
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自分をセーブすること

2006年10月24日 | うつ対策
うつには本当に波がある。

私は先日まで底辺をのたうち回っていたような感じだった。

しかし外出し、外の世界(人間関係や空間)が広がると感じたことで、一気に急上昇したようだ。

その急上昇の時の状態は、(門外漢なので違うかもしれないが)躁鬱のソウの時に似ているのかもしれない。

元気が出て、開放感に満ち、自分にはいろんなことができるのだ、と思ってしまう。

しかしそこで限度を知らずに、その時の気分のまま行動すると、反動が来て寝込むのだ。

だから私も少しずつ、少しずつ活動を初めている。

 。。。。。

まず手芸。

その日生きていた成果が目に見えて作品となって残るのは、達成感があり、とても良い。

 。。。。。

また、在宅での仕事探し。

無理なことはせず、自分にできるものだけに応募するようにしている。

これで仕事もできるようになれば、さらに上向きになるかもしれない。

 。。。。。

しかし先生に「仕事は達成感があるからおすすめです。しかし無理だと感じたらすぐに辞めて下さい」と言われている。

無理は禁物。

今元気だからって、自分の限度を自覚し、ゆっくり這い上がろう。

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今日もいい気分

2006年10月22日 | 呟き
昨日の疲れを引きずるかと思いきや、目が覚めて、暗い気分にならず、いつもの習慣で少しベッドの中にもぐっていたあと、普通に起きあがり、洗顔や食事ができた。

起きあがれない覚悟をしていたのに。

さらに、午後には活動的になり、近所へ自転車で買い物に出かけることもできた。

服を見ていても「今の自分にこれを買うお金はない」と思いつつ、掘り出し物を手にいれて上機嫌になったり。

買い物の帰りには、自転車で風を受けながら、さらに開放感を感じ、気分が上昇するのを自覚した。

 。。。。。

うつには好・不調の波がある。

私も何度も経験してきた。

今回はうまく好転できそうだ。

今度こそ。
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気分転換の結果

2006年10月21日 | 呟き
今日の外出は、同じ趣味のコミュニティの人達との初対面だった。

過剰に嫌われないように気を使ってしまう私は、初対面の人が多いと、気を回しすぎ、疲れてしまう。

しかし今日は同じ趣味ということでとても楽しく過ごすことができ、「興奮し過ぎてる」と思った時には安定剤を飲み、二次会には行かず、自分をコントロール、セーブし、疲れたものの、立って電車で帰ることができた。

そして、一つ前のエントリで書いたグループ以外にも、人との繋がりは広がるもので、それは楽しく、前のグループの、特に「くだらない」と思う人のことで苦しむより、そういう人は忘れて、新しいコミュニティに入ればいいのだ、と実感した。


目の前が開いた気がした。


そして自分をコントロールできたことで、自信もついた。


今は楽しい余韻で浮かれており、明日になったらもう少し楽観的な考えは少なくなるかもしれないし、寝込むかもしれないが、今日を楽しく過ごせ、視野を広げ、自信を付け、家を出る前に書いた「行った結果」「行かない結果」ではない、最も良い結果が得られた。

これで心身共によく休むことで、また少しずつ上昇してゆくだろう。

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少し説明

2006年10月21日 | 呟き
ここは不親切なブログで、本当に独り言を呟いていることが多い。

できれば「うつ対策」「先生のことば」を多く載せ、同じ苦しみの人の手助けになったり、無理解の人の導入になったりすると嬉しいと思ったりもした。

最近は私が揉め事を引きずっているので、つい呟いてしまう。

今日の「気分転換」の結果を書く前に、少しその「揉め事」を説明したい。

 。。。。。

私は長くこの病気であり、定期的に外に働きに出ることができない状態だ。

対人恐怖症でもあり、なかなか新しい知り合いもできない。

しかし数年前から友達を通じて知り合ったグループは、お互いのプライベートに干渉はしないがイベントを楽しむといったもので、そのイベントが唯一の外との触れあいだった時期もあった。

ただイベントを楽しめればいい、という関わりだけで、内心「くだらないな」と思う人もいた。

「周囲は自分の鏡」という言葉を目にし、私はこういう人と同じなのか、と落ち込むこともあった。

そのグループで、私に恨みを持った人が、グループ内に私の悪口を言って回った。

口汚く、私が最もダメージを受けるような方法で。

私は沈黙していた。

「くだらない」と思っていた人達は、その話を鵜呑みにし、私を嫌った。

 。。。。。

しかしグループの主催者は両方の意見を聞いており、私との付き合いをやめるどころか、悪口を言って回った人を「馬鹿なガキ」と言い、グループ内を落ち着かせようとしている。

10月6日に書いた「女友達のことば」の友達(仕事仲間、私は休職中)に、その時よりもっと詳細に説明したら、「それ、今年M君(仕事仲間)が死んだニュースの次に嫌な話だよ!」と言ってくれた。

他の友達も、母も、信頼できる人もたくさんいる。

元からくだらないと思っていた人が自分をどう思っても気にしない、もしくは「知り合いの片方の意見だけで判断してしまう程度の人達」と思うようにする。

もちろん悪口を言ってまわった人は罪人に値する。




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気分転換

2006年10月21日 | 呟き
夕べ遅くに寝た子を起こすような電話があった。

進まない話しの内容、知りたくない情報。

電話でも大声を出し、遅い時間というのもあり、フラフラだった。

 。。。。。

今日は以前から約束のあった遊びの日。

少し遠出、初対面の人もいる。

疲れて動けなくなる可能性あり。

・出かけて気分転換をし、倒れそうになって帰るか

・無理せず休んで「今日も何もできなかった。約束も守れなかった」と自責し、自信喪失してしまうか

どちらかだ。

 。。。。。

今は責めるべきではない人のことまで内心責めている。

冷静ではないと自覚できる。


うまく自分の中で出来事を消化させてしまおう。

思考の変換をして。


いらない人はいらない人だったとわかっただけだ。

もう関係のない人達だからいいのだ。

私を知って、きちんと向き合ってくれる人と仲良くできればいいのだ。



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しっかり休みましょう

2006年10月17日 | うつ対策
岩波の今日の名言

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大食(おおぐら)いをして、眠りをこのみ、ころげまわって寝て、まどろんでいる愚鈍な人は、糧(かて)を食べて肥る大きな豚のようである。

『仏弟子の告白』

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うつの人に必要なのは、睡眠と休養。

でも動けるくらいに調子が良くなってくると、今度は何もしない自分を責めるようになりがちです。

「自分は怠け者なのではなかろうか」
「自分は生産性のない役立たずだ」
「それでも食べて、生きる作業をしなければならない」

そう悩んでいる時、上の『名言』のような言葉は酷く刺さります。

病気に無理解の人も、上に近い、不用意なことを言ったりします。

でも、本当の怠け者は「自分が怠け者なんじゃ」なんて悩んだりしません。

こういう状態の人が、まずできることは、上に書いたように休養し、病気を「そのうち治るさ」程度の気楽さで(でも本気で)捉えること。

時には意識して休養すること。
これは行動だけではなく、考えることもです。

自分を生産性の無い役立たずだと責めるなら、自分を上手くコントロールする方法を努力して身に付け、病気を良くするのがベストな方法ですよね。

そのコントロールする方法を、前回の「先生のことば」の最後で書いたように、次回の「先生のことば」で述べたいのですが、今は私もあまり文章を書ける状態ではないので、ゆっくりお待ちくださいませ。

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週末に外出したら、疲労で「能面のような無表情」になってしまいました……。

ゆっくり、休みます。


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くだらんダジャレ

2006年10月13日 | 呟き
倦怠感

 ↓

ケン、体感☆


「ペンタデカン」とも音が似てると思う。育毛剤に入ってるやつ。
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