今だから話せる「拳銃暴発」の失敗談


小峰さんを拳銃弾が襲ったのは私の責任

ベレッタ22口径・自動小型拳銃

 小峰孝生さんといって名前を聞いて、すぐに「ハイ、知っています」と答える人は、かなりの銃マニアである。月刊コンバット・マガジン誌に、『拳銃王』という記事を連載している人といえば、「ああ、あのさすらいのフリーランスガンファイターか」と気がつく人もいるだろう。あの小峰隆生さんだ。

 彼とは15年ぐらい前に、同じ編集部で仕事をしたことがあった。当時も小峰さんは異様なガンマニアで、編集部でも腰には拳銃ホルダーをつけ、本物そっくりのモデルガンをぶら下げて仕事をしていた。ある時、彼の胸が膨らんでいるので尋ねたら、やはり脇に44マグナム拳銃(モデルガン)がぶら下がっていた。そんなぶっそうな恰好で、成田空港を出国しょうとしたら取り調べられたと聞いたこともある。

 そんな小峰さんたちと、年末年始の休暇を利用して、ロサンゼルスに旅行に行くことになった。ロサンゼルスには小峰さんが銃の師匠と仰ぐ人がいた。私もその方に、ロサンゼルス郊外の射場で、何度か、LAPD(ロサンゼルス警察)式の拳銃射撃(コンバット・シューテング)を教えてもらった。その師匠さんはLAPDの射撃コーチ(教官)の経験のある人だった。

 それから数日後、我々はコロラド川にキャンプに行くことになった。ロサンゼルスから車で数時間走り、次にモーターボートを借り数時間かけて上流を目指す。そして静かな岸にモーターボートを泊めた。その岸の背後には断崖絶壁の岩壁がそそり立っていた。その川岸にテントを張りキャンプすることになった。

 この時である。モーターボートから荷物を降ろした場所に、1丁の小型拳銃が置かれていた。おそらくテントを張っているときに、ガラガラ蛇が出てきたら、この拳銃で射殺するつもりと想像した。その拳銃はベレッタの22口径小型拳銃だった。今はアメリカで禁止されているが、昔は女性が護身用にハンドバッグに入れた小型自動拳銃である。

 私はその拳銃を手にとって、上部を後ろにスライドさせた。その薬室にはまだ弾が入っていなかったので、スライドを前に戻して薬室に弾を入れておいた。そうしなけけば、もしガラガラ蛇が飛び出してきた時に、とっさの射撃が出来ないと考えたからだ。

 テントを張り終えると、シャワー代わりにコロラド川で泳ぐことになった。そのとき、小峰さんが海パンに着替える時に、裸でフラダンスを踊って(後ろ向き)、いっしょにいた師匠の娘さん(高校生)をからかった。すると師匠は、苦笑いしながらそばにあったベレッタ拳銃を持って、冗談で小峰さんに狙いをつけた。その次の瞬間、「バン」といって弾が飛び出したのだ。周囲にいた皆は、すべて冗談で行われていると思い、大笑いして笑い転げていた。しかし師匠の顔は不思議そうな表情で、じっと手元のベレッタ拳銃を見つづけている。「なぜ、弾が出たんだろう」。その真実を知っているのは私だけである。

 幸い、弾は命中しなくてよかった。でも小峰さんのすぐそばを、弾は間違いなく飛んだのだ。師匠は銃に慣れているので、たとえ冗談でもトリガーを引き、射殺する以外は人間に照準を合わせなかった。から、小峰さんは今も生きている。

 このことを小峰さんに打ち明けたのは数年後である。その時、「コエー(怖い)」と小峰さんは絶叫していた。

 日本の警察官が、拳銃の薬室に1発弾を抜いているというが、暴発や誤発を防ぐには効果がある。自衛隊でも、実弾射撃を行う場合は、射場でも命令があるまで絶対に薬室に弾を送り込まないし、射撃終了後も、薬室を覗き込んで弾が残っていないか点検する規則がある。銃を使用する(射撃)場合、絶対に安全な状態から開始し、絶対に安全な状態で終了することが必要である。

 ところで小峰さんの「拳銃王」はおもしろい。コンバット・マガジン誌を読む時は、そんなエピソードがあったと想像しながら読むといい。結構、小峰さんも怖いことをしていると思いながら読むと、面白さが倍増する。
写真はコンバットマガジン誌に連載中の『拳銃王』の小峰さん。下の拳銃がベレッタの22口径。40年前にデザインがいいと、アメリカで女性の護身用に爆発的に売れた。