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若者の知的レベルが低下しているというのは、すでに何度も報道されてきた。ただし、そのレベルは、「ちょっと悪い」というような生易しいものではなく、大幅に低下しているようだ。大学卒でも、中学レベルの数学ができない。50代の高卒の人々よりもはるかにレベルが下だ。……以下、記事を紹介しよう。
(大卒社員を採用しようとしたメーカーが)半年間で学生約60人を試験したが、「中学レベルの数学が出来ない学生が多く、不採用が続いた」という。つまり、現代の大学生の若者のレベルは、50代の高卒の人々よりも、大幅に低い。
また、東海地方の自動車関連メーカーが新入社員に行っている「算数テスト」の成績は昨年、100点満点で平均 50点を割った。図面が読めない若手が増えたため、基礎学力を検証しようと、技術系の新人と 50代社員にテストを試みたのは 2007年のことだ。結果はショッキングだった。小6〜中3程度の問題で、大学院卒が多い新人の平均は 55点。高卒が多い 50代より30点低かった。
( → 読売新聞・朝刊 2010-01-06 )
ま、今は、「大学全入時代」とも言えるから、今の大卒と昔の高卒を比較するのは、ちょっと妥当ではないかもしれない。だとしても、正答率の差は、否めない。大卒であるかどうかにかかわらず、現代の若者の知的レベルは大幅に低下している。そもそも、計算でなく、言語の表現力からして、大幅に低下している。漢字の書き取りですら、まともにできない若者が多数だ。
その理由は? 私の推定では、それは「ゲーム機づけ・ケータイづけ」だ。このせいで、まともに勉強もしないし、まともに本も読まない。頭の訓練ができていないのだから、知的レベルが大幅に低下するのは当り前だ。また、萌えキャラみたいなものに嵌まっている時点で、頭が幼稚化しているとも言える。
ついでに言えば、新聞社もひどい。特に、朝日新聞がそうだ。前項でも述べたとおり。
記事だけでなく社説もだ。朝日の社説は、近年、大幅にレベルが低下している。10年ぐらい前までは、かなりいいことを書いていたのに、最近のレベル低下は目に余る。昔は読売よりも朝日の社説の方がずっと上だったが、今では読売の社説よりも大幅に劣るほどだ。ひどいね。
[ 付記 ]
読売の記事では、学力低下の理由を「ゆとり教育のせいだ」という趣旨で示している。だが、それはありえないだろう。
ゆとり教育は、教育する量を減らすことだ。それは、上位の秀才には学力低下をもたらすが、中下位の凡才・鈍才にはかえって好影響をもたらすはずだ。低レベルの教育なら、凡才でもわかるはずだからだ。
ところが現実には、秀才のレベルが下がるだけでなく、凡才・鈍才のレベルまでが大幅に低下している、と判明したわけだ。とすれば、この学力低下は、ゆとり教育のせいではあるまい。
というわけで、「ゲーム機とケータイのせいだ」という私の主張が生じる。
私は、この問題に関してはゆとり教育がその原因であるという立場です。教育する量を減らすことが中下位には好影響をもたらすと書かれていますが、私は、量を減らすことが悪影響を与えていると思います。
その理由は、量が少すぎて体系的な理解ができないからです。数学や理科で顕著だと思いますが、系統的に理解が進む筈の学習の過程が、量を減らされたことにより飛び飛びになってしまっています。これでは、却って理解が困難になります。
数学や理科の授業は、喩えて言えば、樹木のように進んでいくと考えます。基礎を学び、応用し、それをまた基礎として先に進む。しかしゆとり教育では、枝葉を切るのならともかく、幹が輪切りにされてしまいました。こうなっては、一を聞いて十を知るような天才でなければ先に進むことができなくなってしまいます。
聞くところによると、学力は全体的に低下していますが、トップ中のトップのクラスは維持されているか、場合によっては伸びているようです。例えば、国際数学オリンピックの順位など。多くの事例を検証したわけではありませんが、こういった傾向は、私の考えと符合しているように見ることもできます。
ただ、ゆとり教育で減らされたものを補完/補間するために使うべき時間が、ゲームやケータイに奪われているということはあると思います。そう言う意味では、これらが皆学力を低下させる要因になっていると考えることもできるのではないでしょうか。
ゆとり教育では、学習量が半減して、授業時間は1割減ぐらいです。この場合、同じ内容を学習するための時間は、ほぼ倍増しているから、最低限の知識ぐらいは、きちんと習得できているはずなのです。
モデル的に言うと、……
ゆとり教育では、半分の量しか教えないから、最大でも 50点しか取れない。しかし、その 50点を取るための時間は十分にあるから、下位の生徒も 50点近くを取っていいはずです。上位の生徒は、100点近くを取る能力があるのに、50点しか取れません。結果的に、平均点は 50点弱でしょう。
それ以前の教育では、逆に、100点分を教えますが、下位の方は落ちこぼれてしまって、50点さえも取れません。せいぜい30点。上位は90点。平均して、60点。
以上を比べると、従来は平均点が60点で、ゆとり教育では 50点弱となるので、従来の方が学力は高かったことになります。しかし、下位だけに着目すれば、下位の生徒も 50点ぐらいは取れているので、下位の生徒だけはゆとり教育の方が学力が高いことになります。
例で言うと、ゆとり教育では、四則演算だけを教える。従来の教育では、四則演算は半分の時間で済ませて、あとは比例・反比例など、さまざまな概念を教える。当然、従来の教育の方が、学力は高い。
さて。ここで、四則演算という最も基本のテストをする。その場合、どちらが高い点数を取るか?
私は、ゆとり教育の方だと思いますよ。四則演算ばかり教えていれば、四則演算だけは上手にできて当然だ。他のことは何もできないとしても。
──以上、補足的な説明です。
基礎が出来ていない状態では、いくら時間をかけても習得することはできないのではないでしょうか。
ある項目について学ぶ内容が減った。確かに、その項目にかけられる時間が増えたので、充分な達成度に至るまで学習を進めることができるようにも思えます。
しかし、それを学ぶために必要な前段階の学力が内容削除のために身に付いていなかったら、時間をかけてもわからないものはわからないのではないでしょうか。
前のコメントで述べたように、私が問題にしているのは、内容の削除により学習内容が飛び飛びになってしまって、段階を踏んだ学習が困難になっていることです。この状況では、上記のように、時間をかけることができても学力は身に付かないと思います。
ゆとり教育が生まれた理由は日本の詰め込み教育の反省からだと思っています。
ドイツ等に比べたら、明らかに自由度が少なかった。だからゆとり教育の思想は正しいと思われる。
では、ゆとり教育において今日発生している問題の本質は何か?
それは基本と応用を厳密に区別するのは実は難しい事にある。
数学を例にとれば、基本と応用の区別は非常に難しい。
例えば「数」だ、整数、有理数、無理数、虚数・・どの数をどの場合に適用すべきか、すべきで無いかは教育する上で重要だ!
例えば四則演算における割り算がそうだ!この説明理由は割愛するが、要するに、理想的な教育カリキュラムは直ぐに構築出来ない。
だから見直し、修正をすればよい。
現状のゆとり教育の成果と思われる結果が落第点だから、以前の詰め込み教育に先祖帰りする・・ではダメだと思う。
追記:友人に教師を教育している方が居ます。その方の主張は「最近の教師レベルは非常に低い」そうです。
ですが、その前に、私見ですが、生徒とその親の倫理、道徳レベルは呆れるほど低下しているのも事実ではないでしょうか。
最終的には、自身を含め、身近なもの(自分の子供)からしっかり、ご自身が教育する事が良策でしょう。
日本潰しの一環として教育をターゲットにした『沈黙の兵器』低強度戦争だったのでしょう。
ゆとり教育もTVゲーム&携帯も両方悪いのですが、文部科学省の教育指導要領も相当に悪いのではないでしょうか。
子供が学力を身につける上で一番重要なのは、学んでいる学問について興味を持つことでしょうが、教育指導要領では踏み込んだ授業や興味を持たせる様な授業を行うことは禁じられている様です。
この様なことは、『文部科学省の犯罪』と言っても良いと考えます。
優等生も劣等生も同じ教育。長所も短所もそのまま。個々への干渉は出来るだけ少なくする。
・教育は先生だけ?
教育は学校がするもの。勉強は子供だけ、親は勉強しない。
・結局、理解できずに過ぎ去る。
最低限の教育なのに、そのベース部分を理解することなく過ぎ去り、最低限のレベルでも理解できない。
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トップレベルは下がり、ボトムレベルも下がる。子供世代、孫世代は更に下がる。今更、ゆとりを止めても、教える側がゆとり世代でどう教えるのか?
学力のダウンスパイラルをどう断ち切るかは、親の努力に依ると考えています。
日テレで「天才じゃなくても夢をつかめる10の法則」と言う番組を放送していましたが、親の努力が必要なのは当たり前ですよね。
この当たり前を、大々的に放送してそこそこの視聴率が取れるのですから、「当たり前が当たり前ではなくなった」と言うことなのでしょう。
とすると、14年前には義務教育の水準はもうそこまで低下していたのでしょう。しかし、今の50代つまりおよそ36年前の水準はまだ高かった。多分、その間に何かが起きて大学進学が就職への通過点にすぎなくなった。そして、その流れを携帯電話やゲームの普及が後押しした。
それ以前は、年ごとにレベルがアップしていった。
それ以後は、年ごとにレベルが下がっていく。
→ 知的な書評ブログ 「読書する運動選手(菊池雄星)」
http://books.meblog.biz/article/2187410.html