池田信夫 blog

Part 2

August 2007

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Dave Douglasの"Live at the Jazz Standard"という1週間にわたって行なわれたコンサートが、79曲のMP3ファイルとして、Musicstemというサイトで売られている。さすがに79曲も聞く気はないので、初日の8曲版だけを7ドルでダウンロードして聞いた。地味だが、いい演奏だ。

このサイトは、こういうマイナーレーベルのCDや演奏をMP3で配信する専門サイトらしい。ダウンロードといっても、ファイルはコピーできないようだが、iTunesのほぼ半値で、しかもコアなファンなら1週間分の演奏を全部聞ける。日本からアクセスしても著作権の制限などはない。

いわば、オンラインでジャズクラブを開いているようなものだ。こういう風にアーチスト自身が自由なフォーマットでウェブで音楽を聞かせるようになれば、今のCDというパッケージの必然性はなくなる。知名度のないアーチストなどは、CCライセンスで無料配信すればいい。

もちろん映像でも、P2Pで転送効率が上がれば、同じようなビジネスは可能だ。そういう方式が普及すれば、大手レーベルも映画の配給会社もiTSも「中抜き」され、テレビは1時間とか映画は2時間とか、マスメディア側の都合で決められたフォーマットも崩れ、音楽や映像を楽しむ形は、アーチストと客が自由に決めるようになるだろう。
2007年08月05日 01:29

日中戦争とソフトパワー

今年は、日中戦争の開戦からも70周年だ。これについても多くの本が書かれているが、本書の視点は明確だ。第1のポイントは、副題にもあるように、日本軍が日清・日露戦争において短期の殲滅戦で勝ったため、消耗戦や総力戦の体制ができていなかったという点だ。

おそらく、それを認識していたのは石原莞爾ひとりだっただろう。しかし彼にとっては来るべき対ソ戦に備える橋頭堡だった満州から、南に戦線が拡大する予想外の展開になったとき、戦局は彼にもコントロールできなくなった。しかも系統的な補給を考えなかったため、南京事件のような略奪を各地で繰り返した。ここでも、「首都南京を叩けば、蒋介石は戦意を喪失して降伏する」という殲滅戦の発想が抜けなかった。

これに対して蒋介石は、南京を脱出して首都を重慶に移し、消耗戦の構えをとるとともに、南京で日本軍の行なった「大虐殺」を海外にアピールする宣伝戦を展開した。この結果、それまで中立だったアメリカを引き入れて物資などの支援を得ることができ、その実力以上に戦うことができた。またアメリカも、ほんらい戦う気のなかった日本と対決姿勢を強め、対日開戦に至る。

この蒋介石の戦略が、今でいうソフトパワーの活用だというのが第2のポイントだ。南京事件の「30万人」という第1報を出した英紙の記者ティンパリーが国民党の工作員だったという話は「まぼろし派」の人々によく引き合いに出されるが、逆にいえば欧米メディアまで巻き込んだ蒋介石の情報戦の手腕が、日本よりはるかに上だったということだ。

こういう駆け引きをみると、日本の外交は、あれから70年たってもちっとも進歩していないなと思う。中国や韓国が南京事件や慰安婦などのソフトパワーを使って日本を悪役に仕立て、日米の分断を図るのに対して、「とりあえず頭を下げれば何とかなる」という短期決戦の発想が抜けない。そのうち世界中から非難を浴び、アメリカとの挟撃にあって沈没・・・という展開もそっくりだ。経済面でも、今や日米関係より米中関係のほうがはるかに重視されている。

この情報発信力の弱さは、著者も指摘するように、「世界最強の兵士と最低の将校」をもつといわれた陸軍以来の伝統だろう。現場の力はあるのに、出世するのが調整型のイエスマンばかりだから、戦略的な発想とそれを実行する指導力がなく、対外的な発言力もない。最近では、小泉前首相が珍しい石原莞爾型リーダーだったが、安倍首相は東條英機以下だ。
2007年08月03日 00:58

フラット革命

毎日新聞が、今年の正月から始めた「ネット君臨」という連載は、インターネットを既存メディアの立場から一方的に断罪するものだった。著者(佐々木俊尚氏)は毎日新聞の記者出身だが、こうした姿勢に疑問をもち、取材の過程を取材する。そこから浮かび上がってくるのは、インターネットの登場におびえ、「格上」のメディアとしての新聞の地位を何とかして正当化しようとする姿勢だ。

社会の中心に政府や大企業やマスメディアがあり、そこで管理された画一的な情報が社会に大量に流通する、というのが20世紀型の大衆社会だった。しかしインターネットでは、こうした階層秩序は崩壊し、政治家も新聞記者も匿名のネットイナゴも同格になる「フラット化」が進行している。この変化は、おそらく不可逆だろう。

マックス・ヴェーバーの言葉でいえば、政府も企業も含めた「官僚制」による合理的支配の時代が終わろうとしているのだろう。官僚制を必要としたのは、処理すべき情報の急速な増加だった。それを処理できる能力は、20世紀初めにはきわめて限られていたので、情報を中央に集めて数値化して処理する官僚機構が必要になった。しかし今の携帯電話の処理能力は、1950年代に国勢調査の情報処理に使われたIBMのコンピュータより大きい。もう情報を官僚が集権的に処理する必要なんかないのだ。

その先に来るのは、情報を個人が分権的に処理し、それをネットワークで流通させる社会だろう。しかし、その情報をだれが集計し、意思決定を行なうのだろうか。商品を分権的に流通させるシステムとしては市場があるが、そこでは価格が交渉や契約を成立させるメカニズムになっている。しかし情報には稀少性がないので、価格のような調整メカニズムが働かない。このため、イナゴがサイバースペースを占領し、誹謗中傷があふれ、コミュニティが崩壊し、「ネットカフェ難民」のような原子化した個人が社会に広がる。

インターネットが社会のインフラになることは避けられないが、その先に今より住みよい社会があるかどうかはわからない。「無政府的」な市場社会を混沌から救っているのは財産権というルールだが、情報社会にそういう普遍的なルールは見出せるのだろうか。著者も、これまで国家のになってきた「公共性」を自律分散的なシステムによって再建する必要があるとのべているが、その見通しが立たないことも認めている。
2007年08月02日 13:04
IT

コモンズとしての電波

FCCが700MHz帯オークションのルールを発表した。結果的には、グーグルなどが要求していた「端末やアプリケーションを自由に選べる帯域」を1/3確保する一方、「MVNOに卸し売りすることを義務づける」という要求は却下した。グーグルは、これを「一歩前進」と評価している。

このように電波を「水平分離」し、オークションで「電波利用権」を得た免許人は「インフラ卸し」に特化してサービスは別会社に分離し、他社にも電波を開放する、という案は私が5年前に「コモンズとしての電波」という論文で提案したものだ。これは免許不要帯に開放できない場合の次善の策だが、いま総務省のやっている密室取引よりはるかにましだと思う。
デジタルコンテンツがインターネット上を豊富に流通し、通信と放送の融合が進められる今こそ、著作権の扱いについて、根本に戻って考え直す必要があるだろう。

今回は、インターネットに関する法的課題について積極的に意見・提言を発せられている白田秀彰氏をお招きし、オンライン社会の秩序と法、とりわけ著作権のあり方について、そのお考えを伺うことにした。

スピーカー:白田秀彰(法政大学社会学部准教授)
モデレーター:山田肇(ICPF事務局長・東洋大学教授)

日時:8月30日(木)18:30~20:30
場所:東洋大学・白山校舎・5号館5202教室 
 東京都文京区白山5-28-20
 キャンパスマップ

入場料:2000円 ※ICPF会員は無料(会場で入会できます)
 申し込みはinfo@icpf.jpまで電子メールで氏名・所属を明記して
 先着順40名で締め切ります


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